03 予期せぬ事態 1


 その翌日の昼、私は学食でラザニアをかき混ぜていた。


(見ちゃった……目の前で見ちゃった……)


 ぐるぐるとラザニアを混ぜながら考え事をしている私の隣で、ジェットとヴィンセントがその様子をそっと見守っている。


(見ちゃった……2人がキスしたところを……見ちゃった……)


 あの後、私は見事気絶し、ジェットとヴィンセントに保健室まで運ばれた。目が覚めたのは夕方頃だった。あれから私は昨日の衝撃的な瞬間が頭から離れず、授業中もずっと上の空だった。


(見ちゃった……2人の……推しと、ヒロインのキスシーン……なんて……なんて幸運なの!)


 この学園に入学して早1か月。私はイヴとシヴァルラスのイベントを全く見ていない。なんせ、シヴァルラスは学年が違う上に、中庭のマルチイベントから昨日の昼食会まで彼女はイベントを発生させていないのだ。


(というか、私……この学園生活でようやく推しとヒロインのイチャイチャが拝めると思ってずっと浮かれてたけど……結ばれるのが推しとは限らないのよね)


 人生は1度きり。数多あるエンドの中で選ばれるのも1つのみ。さらにはバッドエンドも存在するというこの世界。


 そんな中でヒロインと攻略キャラのキスシーンを目の前で拝めるなんて、何たる幸運か。


(シヴァルラスのキスシーンって1回きりなのよね。しかもエンディングだし、人目のない所でするし。事故チューとは言え私は恵まれてる!)


 ありがとう、イヴ。そしてありがとう、クリスティーナ・セレスチアル。中庭のベンチに生まれ変わりたかったなんて文句を言ってごめん。私は心の底から謝罪する。


「ふふっ……ふふふふっ……」


 思わず不気味な笑いが口から漏れる。おっと、はしたないはしたない。ラザニアもいつぞやのグラタンように可哀そうなことになっている。


「おい、あれ大丈夫か……?」

「まあ、目の前で見ちゃったらそりゃね」


 私を挟んで会話をしているヴィンセントとジェットの声が聞こえた。


 そろそろ淑女の顔に戻らねば。


「私はそんなに気にしていません」


 私は淑女の顔を取り戻して2人を見上げると、2人の視線は私のラザニアに注がれる。


 私が荒熱を取る為に混ぜたラザニアは、中のパスタがぐちゃぐちゃのバラバラに解体され、ミートソースが飛び散ってしまっている。


 むくりと動き出した5号が、手すきのスプーンを取ってラザニアの皿を叩く。


「これがお前の未来だ、イヴ・ラピスラズリ……」

(思ってもないことを言わせるな!)


 無言でジェットにそう訴えると、彼は声を押し殺して笑っている。


 なんて性悪の悪魔だ。


「しかし、クリスティーナ。お前が口で気にしてないと言っても……周りがな……」

「周りですか?」


 ヴィンセントが周囲に視線を送ると、辺りの生徒達が一斉に目を逸らし始めた。


(なるほど……そういうことか)


 いつもシヴァルラスと会う時は、2人きりではなく複数で人目のある所を選んでいる。


 なので、人目のある中庭で事故とはいえ婚約者候補の前でキスしたイヴ。そして、それを見て気絶した私。噂にならない方がおかしい。


 食堂にいる生徒達の中にあの時の現場を目にした人がいるらしく、コソコソと話している声が耳に届いていた。中には私以外の婚約者候補達のものもあった。


「コソコソと耳障りだなァ……羽音がうるせぇコバエかよォ」


 毒を吐き散らす5号の言葉に食堂は一気に静まり返る。


 話し声どころか、衣擦れの音すらもしない。呼吸音さえ許されないような空気が食堂に流れた。


(大丈夫? みんな息してる?)


 私も心配する静けさ。しかし、そんな空気をぶち壊す超新星が食堂に現れた。


「みんなのアイドル、ブルース・ラピスラズリ参上~! 食堂にいる全子猫ちゃん達、元気~っ?」

(ブルゥゥゥゥゥゥゥゥルス!)


 まさに天の助けとはこの事。彼が現れたおかげで皆が安堵を漏らして食事に戻って行った。ブルースはそのまま私達の所に来ると、当然のように私たちの向かい側に座った。


 ヴィンセントもホッと息をついて、呆れたように言う。


「なんだよ……みんなのアイドルって……まあいい。お前が空気を壊してくれたおかげで助かった」

「え~、何の事です~?」


 ブルースはそうとぼけて見せると、水色の瞳を私に向ける。


「ごきげんよう! クリスティーナ嬢、倒れたんですって? ご機嫌いかが?」


 私が倒れた事を知っているという事は、それなりに噂を知ってわざと明るく接しているのだろう。


「ええ、おかげさまで」

「テメェの頭もご機嫌そうで何よりだぜェ」


 5号の毒が止まらない。1度ジェットを黙らせたい。


 ブルースは5号をぎょっと見つめた。


「うわっ! その人形喋るんですか?」

「気を付けろ、ブルース。そいつに隙を見せたら最後、毒を孕んだ言葉で噛みついて、心を抉ってくるぞ?」

「もはや狂犬じゃないですか、ヤダ~」


 彼はケタケタと笑いながら飴玉を5号にチラつかせる。5号の赤い瞳が飴玉を追い、ぱかっと口を開けた。ブルースはその口に飴玉を放り込んでやった。


 ガリガリと音を立てて飴玉を齧った5号は、大人しくなってその場に座る。それを見てホッとした私は5号を抱き寄せた。


(まったく、余計なことばかり喋るんだから!)


 私がジェットを睨みつけると彼は笑顔で返してくる。きっと笑いながら「ごめ~ん」と思っているに違いない。私はため息をついた。


「それで、ブルース様。私に何か御用ですか?」

「何かうちの義妹いもうとが不手際起こしちゃったみたいで、本当に申し訳ないです」


 ずいぶんと軽いノリの謝罪だが、仕方ないといえば仕方がない。あれは事故な上にブルースには何も関係がないのだ。


「別に気にしていません」


 淑女の顔をして言う私の横で、ジェットが私のラザニアを指さした。


「動揺のあまりにラザニアをぐちゃぐちゃにするくらいには気にしてないらしいよ、ブルース」


 この悪魔、また余計な事を。


「うぅ……なんて可哀そうなラザニア。まるで義妹いもうとの未来を暗示しているかのようだ」


 ブルースもブルースで人聞きの悪いことを言わないで欲しい。


 2人のやり取りにヴィンセントは「そんな軽口を叩いている暇じゃないぞ」と窘め、私はハッとする。


 そうだ、これはいわばスキャンダルなのだ。噂は尾びれ背びれと付いていくもの。早めに対処した方がいい。


 手っ取り早く、あれは事故でしたと伝えればいいのだが……


(私が納得しても他の婚約者候補達がなぁ~)


 今も彼女達の視線が痛い。この1か月、私が受けていた嫉妬の矛先がイヴに向けられると思うと可哀そうな気もする。まあ、それもイベントの一環なのだが。


「おい、あれ……」


 食堂内が一斉に騒めき、私達はその発生源に目をやった。


 その視線の先にはシヴァルラスと申し訳なさそうに顔を俯かせたイヴの姿があった。


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