03 運命の人 2

 間違いない、ジェットが2号の中に入り込んでいる。しかし、一体なぜだ。


「な、なんだこの人形!」


 急に喋り出した人形に怯む男の子。


 2号はボリボリとビスケットを齧りながら「あーん?」とガラの悪い不良のように煽る。


「誰が人形じゃ。オレにはジェットっつー名前があるわ! テメェこそ、人に名乗らせておいて自分の名前は言わねぇってか? お前の名前は知ってて当然ってか? 自惚れんな、ばーか!」


 カーッ、ペッと2号は唾の代わりに口から綿を吐きつけた。


(おい、バカやめろ。その綿はお前の血肉だぞ。身を削って唾のように吐くんじゃない)


 私は恐る恐る食べカス付きの綿を吐きつけられた男の子を見ると、彼は怒りで拳を震わせながら私を睨んでいた。


「セレスチアル家……そういえば人形使いドールマスターの家系だったな……」

(違います! いや、違くはないけど、私は何もしてません! 誤解です!)


 なんとか弁明したいが、悪魔がぬいぐるみに入って悪さをしているなんて誰が信じるか。


 今も2号は「うけけけけ」とトチ狂ったように笑い声を上げていた。私がさっき、首がもげる勢いで抱きしめていたせいで、首を支えていた糸が緩んだのだろう。首の可動域がすごい事になっており、首が逆さまにぶら下がっている。2号は首をゆらゆら揺らしながらさらに煽り立てた。


「んだよ? セレスチアル家にいちゃもん付けようってか? 家名も名乗れねぇようなちび助だ。小さいテメェの家なんざァ程度が知れるなァ!」

(やめてー! それ以上煽らないでー!)


 確かにセレスチアル家はいい位にいるが、決して私が大きな顔ができるわけではない。


 男の子の額にはぴしっと青筋が浮いている。今にも人形に殴りかかりそうな勢いだった。


「だ、誰が小さいだ!」

「身体も器もちいせぇだろうが! このおチビさんよォ!」

「こ、このっ!」


 とうとう男の子は2号に向かって拳を振り上げた。しかし、高く振り上げられた拳は振り下ろされる事はなかった。今も首をぶらぶらと揺らしながら煽る2号に、彼はぐっと怒りを押させて、拳をゆっくりと下ろした。


 そして、怨念を込めた目で私を睨みつけると私に向かって指をさした。


「よく聞け! クリスティーナ・セレスチアル! オレはレッドスピネル公爵家の嫡男! ヴィンセント・レッドスピネルだ! お前がオレの家の名前を聞いて、怖がらないように言わなかっただけだからな!」


 顔を真っ赤にして名乗りを上げた男の子。私はその名前を聞いてサッと血の気が引いた。


(ヴィ、ヴィ、ヴィ……ヴィンセントぁおおおおおおおおおおっ⁉)


 クリスティーナ・セレスチアルには人生を左右する運命の人がいる。


 ヒロインのイヴ、初恋の相手のシヴァルラス。悪魔のジェット。


 そして、クリスティーナと共謀してヒロインの心を奪う共犯者、ヴィンセント・レッドスピネルである。


 彼は強い魔力を持つヒロインに興味を持つが、自分に全くなびかない事に腹を立てて、ヒロインに近づいていくのだ。彼はシヴァルラスルートでは当て馬役としてあてがわれ、バッドエンドでは嫉妬心からクリスティーナと共にヒロインの心を奪うという強硬手段を取る。


 つまり、私にとって彼は関わりたくない男であり、実はゲームでクリスティーナの数少ない友人の1人だった。


「ヴィンセント……レッドスピネル……」

「そうだ。やっとオレの凄さが分かったか!」


 私が驚いている様子に少し満足したのか、彼は誇らしげにしている。自分の家が公爵家、それも彼の父は国王の弟だ。血筋的にも家柄的にも最高峰と言っても過言ではない。しかし、実際に私が驚いているのは彼の家名ではなく、彼の外見だった。


 本編のヴィンセントは未来の私がヒールを履いても見上げてしまうほどの高身長である。優男なシヴァルラスとは対照的に男らしさのある顔立ち、その態度は堂々を通り越して高慢で威張り散らしている俺様だ。


 シヴァルラスルートではことごとく2人の仲に割って入ってくる邪魔者だったが、意外にもプレイヤーに人気がある。私はヴィンセントを攻略してないので彼の魅力は分からなが、なぜかシヴァルラスも彼に甘いのだ。


(まさかあのヴィンセントがこんなチビだったなんて……!)


 衝撃な事実に私が呆然としていたが、2号は「はーん?」と大して興味なさそうにビスケットをボリボリと齧っていた。


 そして、さらに2号は私を震撼しんかんさせる一言を言い放った。


「別にお前が威張ることじゃなくね?」


 ぴしゃーんっ!


 ヴィンセントに雷が落ちたような気がした。


「…………は?」


 顔を引きつらせるヴィンセントに2号は続け様に言った。


「偉いのはお前じゃなくて、お前の親父だろうが。親の権力で威張ってねぇでテメェが偉くなってから出直してこい、ちび!」


 ペッと綿を吐き付け、ヴィンセントに当たる。


「…………」


 当たった綿が地面に落ちるまでの時間がやけに長く感じた。


 ヴィンセントは俯いたまま固まっており、2号がビスケットを齧っている音だけが周囲に木霊している。


 気づけば、周囲の視線が私達に集まっていた。


 これはまずい。すでに引き返せないレベルで状況が悪化している。


 きっと相手も周りも私が2号を動かしていると思っているだろう。とりあえず、謝ろう。無暗に相手に恥をかかせるのは良くない。


「ヴィ……ヴィンセント様……っ⁉」


 恐る恐る声を掛けた時、バッとヴィンセントが顔を上げた。


 顔を真っ赤に染め、その目には薄っすらと涙を浮かべている。


「クリスティーナ・セレスチアル……」


 まるで地獄から這い上がってくるようなドスの利いた声。彼の背後に黒いオーラが見えたような気がした。私はごくりと喉を鳴らす。


「は、はい…………」


 私は覚悟を決めて返事をすると、彼は大きく息を吸い込んだ。


「宣戦布告だ! いつか、ぜッッッッッたいにお前をぎゃふんと言わせてるからなッ!」


 まるで捨て台詞のような宣戦布告に、周りがざわめいた。


「おうやってみろや、この……むぐっ!」


 もうこれ以上事態を悪化させてたまるかと、私はジェットを黙らせた。


(どうしてくれるのよっ! この悪魔――――っ!)


 公爵家、それもヴィンセントに目を付けられてしまった。一体この宣戦布告をどう返事をしたらいいのだ。


 すっと2号が動かなくなり、ジェットがニヤニヤ顔で現れた。


「いや~、面白いことになったね!」

(面白くないわよ!)


 ヴィンセントは貴族の中でも上流の上流貴族だ。そんな彼に目を付けられ、ましてや相手に恥をかかせるなんて淑女のやる事ではない。父にも兄にも迷惑がかかる上に、私はシヴァルラスの婚約者候補を外されてしまうだろう。


(後で覚えておきなさい、ジェット!)


 あの悪魔は早々に退散し、彼の姿が見えない。一体どこに行ったんだ。


「何をしているんだい、ヴィンセント?」


 聞き間違うわけがない彼の声が聞こえ、私はそっちへ目を向けた。


「うわっ! シヴァ兄!」

(推し~~~~~~っ!)


 心配そうな顔をしてこちらに向かってきたシヴァルラスは、私とヴィンセントを交互に見た後、ヴィンセントに呆れたような目を向けた。


「お前の声が遠くまで聞こえたよ? また御令嬢に失礼な物言いをしたのかい?」

「ち、違いますよ! どちらかって言うと、コイツが……!」


 ヴィンセントの恨めしそうな目が私に向けられる。

 

 本当のこと過ぎて私は何も言い訳ができない。


「それでも、女性に怒鳴るのはいけないことだよ?」

「う…………はい」


 シヴァルラスに叱られてしょんぼりとするヴィンセント。まるで子犬のようだ。


「セレスチアル侯爵令嬢、従兄弟が失礼をしました」


 従兄弟の為とはいえ、王子であるシヴァルラスが頭を下げ、私は慌てて訂正をする。


「あ……その、私が先にヴィンセント様に向かって失礼な事を言ってしまったのです。そ、それに人形を使って心無い事も言ってしまいました……そ、そのヴィンセント様……数々の非礼お詫びいたします」


 深々と頭を下げた私をヴィンセントは青い瞳を丸くして見ていた。


 あんなにチビだとか偉そうと罵詈雑言吐いていた女が、しおらしくしているのだ。それは驚くだろう。


 私は心の中で大きなため息をついた。


 一応、表向きは事態が収束したとはいえ、後で父と兄には報告しなくてはならない。こんな事があってはシヴァルラスの婚約者候補から外され、友達もきっとできないであろう。私としても散々な結果だ。


(というか、ジェットの奴はどこに…………)

 

私は周囲に視線を巡らせた時、悪魔はすぐそこにいた。


 ──シヴァルラスの背後に。


 彼の背後からひょっこりと顔を出して、にこにこ顔でこちらに手を振っている。


(ジェット! そんなところに……)


 彼は声を押し殺して笑い、後ろから来た給仕に目を向けた。


 給仕の手にはグラスを乗せたトレーを持っており、こちらに向かってくる。


(まさか…………っ!)


 ジェットの唇が持ち上がり、天使のような極上の笑みを浮かべた。


 そして、シヴァルラスの横を通り過ぎようとした給仕の足に向かって、容赦なく足を引っ掛けた。


「うわっ!」


 給仕の声と共に私の頭上でジュースが入っていたグラスが宙に浮いているのが見えた。


(あ……やばい)


 そう思った時、私の目の前にヴィンセントが庇うように現れる。


「え……?」


 ばしゃり……


 しかし、小柄なヴィンセントが私の前に立っただけでは防ぎきれず、冷たいジュースは容赦なく私とヴィンセントに降りかかった。周囲が騒然とする中、ジェットの笑い声がやけにうるさく聞こえた。

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