03 悪役令嬢の破滅ルート



「ジェット~っ? ジェット、いる?」


 午後、私はポシェットを肩から下げて屋根裏の物置へ足を運んだ。


 天窓が1つだけある物置だが、意外にも室内は明るい。私が換気や掃除をしているので、居心地は悪くないように小さなマットやクッションも置いてある。私の秘密の場所だ。


「ジェットー?」


 私が再度呼びかけると、奥にしまわれている姿見のカバーが揺れた。もぞもぞと下の方が動き、コンと何かが床に下りた音がする。


 カバーに小さな人型のシルエットが浮かび上がり、それは姿を現した。


「やぁ、クリス。体調はもういいの?」


 カバーの下から顔を出したのは、天使のように愛らしい笑みを浮かべた少年、ジェットだった。


「ええ、すっかり。病み上がりだからお勉強もお休み」

「へぇー、それは良かったね」


 母に似て小柄な私は、ヒール付きブーツを履いたジェットを見上げてしまう。


 彼は、ややつり目の赤い瞳を細めて、口元を持ち上げた。


「それで、例の物は……?」

「……ここよ」


 私はポシェットから小さな包みを取り出してジェットに手渡すと、彼はいたずらに目を輝かせた。


「数はどれだけ?」

「これぐらい……」


 私が両手の指を8本立てる。


「ふっふっふっ……君もワルだねぇ~」

「いやいや、本物の悪魔の貴方には負けるわ。うふふふっ……ふっ」

「ははっ!」


 互いに悪い笑いを浮かべた後、思わず失笑する。


 クッキーを食べる時に必ずやる『悪いお偉いさんごっこ』は、ジェットが私に教えた茶番だ。初めは意味も分からずに笑っていた。


 ちなみに包みの中身はおやつに残していたクッキーである。私は小さな水筒とカップを取り出し、小さなお茶会の準備を始めた。


 クッキーは全部で8枚。いつもは半分こするのだが、昨日の約束もあり私が1枚、ジェットが7枚だ。


(まあ、私は先にクッキーを食べてるしね)


 いつもなら文句をつけているが、前世の記憶が戻った今、私はジェットよりお姉さんの気分だった。


 目の前でクッキーを頬張る彼を私はじっと見つめる。


(あー、それにしてもジェットってかわいいなぁ~~~~~~)


 ふわふわの金髪、猫のような愛嬌のある赤い瞳、真っ白な肌。半ズボンから伸びるスラッとした足は、ヒール付きブーツのおかげでさらに強調されていた。


 美少年。まさしく美少年。最高である。


 普段ならこんな目で彼を見る事はなかったが、今の私は内側に隠されていたオタクが覚醒している。


 目の前でクッキーを食べている美少年はまさに目の保養だ。


 しかし、1つだけ問題がある。


(コイツ……悪魔なんだよなぁ~~~~~~~~)


 ジェット・アンバーは一応隠し攻略キャラクターであるが、その姿はどのルートの本編にも登場しない。


 彼の存在が明らかになるのはクリスティーナルートだけなのだ。それも、ジェットという名前は出ず、表記も「悪魔」で、本人の立ち絵もない。私がジェットの存在を知ったのは、乙女ゲーム雑誌を見ながら攻略する友人のプレイ画面を見ていたからだった。


 私は小さなお茶会を楽しむ彼に目を向けた。


 クッキーを食べる、紅茶を飲む。どの動作も優雅で悪魔のくせに様になっている。淑女である私も負けないようにせねば。


 私の視線に気づいたジェットが小さく首を傾げた。


「どうしたの、クリス? じっと見つめちゃって」

「何でもないわ」

「ふーん? いつもの事だけど、変なクリス」


 一言余計だと思いながらも、実際ゲームのクリスティーナとは違うのでそう言われても仕方がない。


 私はポシェットからペンとノートを取り出すと、彼は興味津々に近づく。


「何々? 今日はお絵かきでもするの?」

「違うわよ。お城の事をお勉強をするの」

「勉強~~~~?」


 ジェットはうげぇと愛らしい顔を歪めて、口直しと言わんばかりにクッキーを自分の口に押し込んだ。


「勉強なんていつもしてるじゃないか。がり勉女はモテないよ、クリス。それに君は完璧なお人形さんを目指すんじゃないの?」


 彼の言う通り、クリスティーナが目指すのは完璧な淑女であり、お人形さんだ。しかし、ゲームのクリスティーナは恵まれた容姿や家柄だけでなく、勉学、魔法、全てにおいてヒロインの前に立ち塞がるのだ。


「お人形になってもモテはしないわよ。今の時代、女は学もないと!」


 私がそう言うと、ジェットは愛らしい目を半目にして、ずいっと私に顔を近づけた。


「…………本当に頭でもやられちゃったの、クリス?」

「やられてないわよ」


 彼とはまだ半年くらいの付き合いだが、私の変わり様にやや不信感を抱いている様子だ。私は変に悟られないよう適当に誤魔化そうとしたが、彼の瞳が煌々と輝いているのに気づいた。


(げっ! あれは……っ!)


 宝石のように煌めく赤い瞳。私の中を探るように目を細める彼の様子は、大人に負けないくらいなまめかしい。


 じっと私の胸を見つめ、彼は首を傾げた。


「なーんだ、心の色変わってないじゃん」


 彼が残念そうに唇を尖らせ、再びクッキーに手を伸ばし始めた。それを見て、私は胸を撫で下ろす。


(よかったーーーーーーっ!)


 彼は心の色が見える。心の変化で色は変わっていくらしい。


 さすがに心の色で前世の記憶が戻ったことは分からないようだが、彼が悪魔である以上、気を付けておかなければ。そう私は心に決めた。


「ん? なにこれ……何語なの?」

「へ……ああああああああっ⁉」


 クッキーを齧っている彼の手には、私が持っていたはずのノートがあった。気を付けようと思った矢先の事に私は思わず声を上げてしまった。


「クリス。淑女ドールだよ、淑女ドール

「淑女とかそういう問題じゃないわ! 返して!」


 茶化すように私をたしなめるジェットからノートを奪い返す。


「ホント、油断も隙も無い……」

「君は隙だらけだね。それで、それは何? それがお勉強?」


 ノートの中身は、今後ゲーム本編で行われるイベントの内容やキャラクターのまとめだ。全て日本語で書いている為、ジェットには読めなかったようだ。


「暗号よ」

「ふーん。君が考えたの?」


 母国語です。なんて言えるわけもなく、私は曖昧な返事をすると、彼は訝し気に私を見ていた。


 しかし、何か閃いたような顔をして、にっこりと私に微笑む。


「ボクにも教えてよ。悪魔と暗号でやり取りとか最高に面白くない?」

「嫌よ。誰にも見られたくなくて考えたのに」

「えー」

「ほら、代わりに私の分の……といっても1枚だけだけど、クッキー食べていいから」

「クッキー1枚で悪魔を買収しようなんて、いい度胸だね」


 そう言いながらも、彼は私の前に置いてあったクッキーを口の中に放り込んだ。交渉成立らしい。


 ジェットのそういう所は嫌いではない。


「でも、どうしたの? 急にお城の勉強だなんて……もしかして、玉の輿でも狙ってるの?」


 玉の輿。そんな言葉を聞いて私は半目になる。


 確かに侯爵家の私は王子と結婚できる位にいるが、私が調べる理由は私が生き残るためだ。


「別に狙ってないけど、お兄様やお父様がお城へ行ってるし、気になるでしょ?」

「ふーん」


 つまらなそうに相槌を打っているのを見ている限り、彼は興味がなさそうだ。


 私は第3王子ルートで悪役令嬢……というかライバル的な立ち位置で登場するが、私にとって最悪なイベントが存在する。


 それは嫉妬に溺れたクリスティーナが当て馬役の攻略キャラと共謀し、ヒロインの心を奪う計画を立てるのだ。そして心を奪われたヒロインは永遠の眠りについてしまう。


 いわゆる、バッドエンドというヤツだ。


 この犯行がバレたクリスティーナと当て馬キャラは国外追放になってしまう。


(ああっ、なんて可哀そうなクリスティーナ! そして私! 私が最推しの靴下に生まれ変わっていれば、今頃指先に穴が開くまで履き潰されていただろうに!)


 このイベントだけは絶対に回避しなければならない。


(でも、このイベントって発生条件が難しいのよね)


 このバッドエンドはジェットを攻略する為に必要な条件の1つだった。この後に解放されるクリスティーナルートで彼女に憑りつく悪魔ジェットの存在が明らかになり、彼の攻略条件が立ち上がる。


 隠し攻略キャラなので難易度は高めに設定されていたのだろう。そう考えると、最悪なイベントを回避するのは簡単に思えてきた。


(そうよ。前世で読んだ悪役令嬢ものを比べれば、私の破滅回避はヌルゲー。私は最推しである第3王子とヒロインのイチャイチャを間近で見られるという何とも美味しい立場に…………あれ?)


 私はそこである事に気づいてしまった。


(別に今の環境はそれほど悪くないのでは……?)


 悪役令嬢やライバルキャラは扱いの差が激しい。今までやった乙女ゲームの中には極限までどん底に突き落とされるキャラもいれば、物語の序盤でヒロインを上から目線で小バカにして高笑いをしながら退場。そして物語の終盤までほとんど姿を見せる事なく、エンディング直前で登場し「キィーッ! あんな小娘なんかに負けるなんてぇええええ」と悔しさのあまり咥えたハンカチを噛みちぎり、攻略相手にボコボコにフラれて終わるのだ。


 そんなブラックとユーモアが入り混じるライバルキャラ業界の中で、クリスティーナ・セレスチアルは中々のホワイトでクリーンな職場ではないだろうか。


(……いい!)


 自身は侯爵令嬢。父は(変態だが)完璧な紳士で母は社交界の華と呼ばれ、容姿に恵まれている。兄は(変態だが)美形で将来的には第1王子と太いパイプを持つ事になる。


 クリスティーナだって決して性格に難があるわけではない。嫁ぎ先だって私を溺愛している変態父兄達なら変な所へ嫁がせたりはしないだろう。


(そして私はこの悪魔をどうにかしつつ、ヒロインを第3王子ルートへと導けば、必然的に最推しのイチャイチャが見られる! イイッ! クリスティーナ・セレスチアル、最高ッ! 神様、ありがとう!)


 これからの方針も決まり、この世界にいるかいないかも分からない神様に感謝していると、ジェットがいぶかし気な視線をこちらに送っているのに気づいた。


「どうしたの、ジェット?」

「いや、いつになく上機嫌だな~って。淑女の顔が崩れてるよ」


 ジェットは最後の1枚になったクッキーを手に取る。


(やっば……顔に出てたか)


 私はいつものすまし顔を作ろうとしたが、この悪魔とは長い付き合いになるのだ。今更、淑女の皮を被る必要もないだろう。


「貴方の前でくらい別に崩れたっていいじゃない。どうせ貴方は誰にも見えないし、ここには貴方と私しかいないし……むごぉっ!」


 ジェットが無言で私の口にクッキーを押し込み、にこにこと天使の笑みを浮かべていた。


 私は慌てて咀嚼し、紅茶で一気に流し込んだ。


「な、何するのよっ!」

「交渉は決裂だね。ボクにこの暗号教えて」


 彼の手にはノートがあり、私はハッとする。


 彼は確かに私のクッキーを食べたが、自分の取り分である1枚を無理やり食べさせられたのだ。


「教えてくれなくちゃ、今晩の夕食で君の嫌いな人参を食べても食べてもなくならないようにしちゃうからね」

(この悪魔めぇ~~~~~~っ!)


 天使の笑顔をした悪魔に向かって私は心の中で叫び声をあげる。


 往生際悪い私は、まずひらがなから教える事にした。


「クリス! クリスティーナ! どこにいるんだい!」


 下の階から父の声が聞こえ、私は首を傾げた。


「あれ? クリスパパ、今日は仕事休みなの?」


 ジェットも不思議そうに首を傾げる。


 いや、確かに仕事に行ったはずだ。出勤ギリギリまで私が質問攻めをして、見送りまでしたのだから間違いない。


「行ってみましょう」

「うん」


 2人で下の階へ降りると、私を見つけた父が息を切らしながらこちらへ走ってきた。


「クリス! クリス!」

「お父様、どうしたんですか? お仕事は?」

「すぐクリスに聞かせたくて早退してきたんだ! 君にお茶会のお誘いが来たんだよ!」

「まあ、お茶会!」


 貴族の屋敷でお茶会を開くことは珍しくない。社交界にデビューする前にお茶会に参加して交友を広めるのだ。


 8歳の私はまだお茶会に参加したことがない。もちろん、友達も皆無である。


 ジェットは私の隣でにんまりと笑った。


「へぇー、お茶会ね。友達がいないクリスにはちょうどいいんじゃない~?」

(ほっとけ!)


 いらんことを言う悪魔に、私は心の中でツッコミを入れた。


「8歳のクリスにはまだ早いかもしれないが、先方がぜひクリスも来て欲しいって」

「そうなのですね。一体どこのお屋敷の方ですか?」


 父の仕事の人だろうか。残念ながら兄とは年が離れているせいで、年の近い子どもがいる家を私は知らないのだ。少し心を躍らせていると、父はもっと嬉しそうに笑った。


「きっとクリスも喜ぶよ? なんたって第3王子、シヴァルラス様のお茶会だからね」

「へぇ、第3おう…………じ?」


 私は言葉を失った。


 お父様は今、なんて言った?


 満面な笑みを浮かべる父はしっかりと頷いた。


「そう、クリスが気にしていたシヴァルラス様だ」


(な、な……なんですってぇええええええええええっ⁉)


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