第一章 『聖女と騎士』1

第一章『聖女と騎士』


 1


「──そういえば。ラミは、私と初めて会ったときのこと、ちゃんと覚えてる?」

「いや? なんせ物心つく頃にはいっしょだったからな。初めてってのはいつだったか」

 広い平原を、一台の鋼騎クルマが走っていた。

 四輪のそれは軽快な駆動音を響かせている。こういましようで、何より運転するのには特殊な技能が必要だ。つまり、乗っている者の立場もおのずと限られてくる。

 運転席にはひとりの青年。

 年の頃は十代の中頃から後半といったところ。癖のある灰髪だが、黒色のそうぼうせいかんな印象を感じさせる。鍛えられた体つきは、そろそろ大人と言っていいもの。

 その隣、助手席には少女がいる。青年と同い年、同じ村で生まれたおさなみだ。流れるような青髪と、はつらつとした赤いひとみが特徴的だった。

「む……まさか覚えてないって即答されるとは思ってなかったよ」

 その少女──エイネ=カタイストは、答えが不満だとばかりにほおを膨らませる。

 運転席の青年──ラミ=シーカヴィルタは、軽く肩をすくめて彼女に応じた。

「そういうエイネは覚えてるのか?」

「いや、ぜんぜん?」

「……おい。だったらオレのことをとやかく言えないだろ」

 家族同然に過ごしてきたふたりである。

 物心ついた頃からいっしょだったのだから、いつが最初かなんて記憶の彼方かなただ。

「そこはそれ、ちゃんと知っててほしいっていう女心でしょ?」

「男だろうと女だろうと、自分ができてないこと他人に要求しちゃダメだろ」

「でもほら、私ってば偉いから」

「こいつ、権力をかさに着やがった……」

 王国三大都市の一角、聖都バラエリアを出発してから七日。

 初めての鋼騎での旅に舞い上がっていたふたりも、ほとんど変わらない景色でさすがに飽き始めていた。旅路を彩る雑談も、こうなってくると切れ味に欠ける。

「なんだかな。の旅っていうもんは、もっとこう……違う感じだと思ってた」

 ぼやくようなラミに、苦笑のエイネが首をかしげ。

「どういう意味で?」

「いや、だって世界を救う旅でしょこれ、一応。なのに……こんな、のどかだとさ」

「何も悪いことじゃないじゃない」

 助手席に座る少女、エイネ=カタイストは、神子だ。

 王国全土に信徒を持つ国教《全天教》における最上位の聖人であり、この地上において最も尊きひと。なにせその役割は、この惑星そのものを救うことにあるのだから。

 神子は世界を救うために旅をする。

 エイネもまた、おのが役割を果たすために旅立った神子のひとりである。

「いや、何も起こらないならそれでいいんだけどな、確かに」

「旅って言ったって、行先が決まってるでもなし、気ままなもんだからねー。もうちょいこう、わかりやすい役割なら、神子としてもやりやすいんだけど」

 神子には果たすべき天命があるとされる。

 だが、では《天命とは何か?》という問いには、明確な答えが存在していない。旅立つ神子を常に悩ませてきた問題である。

 なにせそれは、何をすれば世界を救えるのかわからない、ということなのだから。

「あっちこっちを巡ってる内に、いずれ神子の命数が天命へと誘う……だっけ。まったく神様も適当なことしてくれるもんだよ。要するに行き当たりばったり推奨じゃねえか」

 神子が持つ強い命数が、やがて当人を果たすべき天命へと至らしめる。

 いつかどこかで、神子はそれを自覚するらしい。神託とも言うべき直感が、どこへ行くべきか、何をするべきかを悟らせるのだとか。

 天からもたらされた、生まれた意味、成すべき定め──ゆえに天命。

 神子ならざるラミどころか、神子であるエイネにもいまいち要領を得ない話である。

「言葉にできるような行いでは認めてくれない、ってことらしいよ?」

「ほーん? 誰よ、そんなこと言ったの」

「教皇庁の……誰だったかな? まあとにかく偉い人だよ」

「なるほど。要は神子を恭順させる体のいいうそか」

「せめて方便と言いなよ」

「はっ。……エイネが旅立つのすら邪魔してくるような連中、信頼できねえっつの」

「仮にも教会騎士のトップが、そういうこと言うものじゃないと思うけどな」

 そう言いつつ、エイネもことさら内容の否定はしない。

 騎士であるラミも、神子であるエイネも、そろって所属は全天教会ということになる。

 だが教会上層部としては、なるべく神子を聖都など大都市に縛りつけておきたいという思惑があるため、敵対とはいかないまでも折り合いはよくなかった。

「お偉いさん方も、まさかエイネがあんな裏技を使うとは思わなかったろ」

「別に教会の言ってることが間違ってるわけでもないしね。私は旅を楽しみたいだけ」

 軽く笑ったエイネの言葉に、ラミもうなずきを返す。

 彼とて、何もないならそれもいいとは考えているからだ。

「このまま何ごともなく次の町まで辿たどけるなら、それに越したことはない、か」

 そんなラミの言葉に、助手席のエイネが小さくためいきをついた。

「……さっきから。ラミは、いちいち不穏なことばっかり言うよね」

「え、そうか? ……そうだったか?」

「んー、いや、だいたい物語とかだと、そういうこと言ってるときに限って──」

 エイネが目の色を変えたのは次の瞬間だった。

 それは文字通りに。目を覆う赤の色が立ち昇った。

 それはほのおだ。揺らめく火炎。

 彼女のあおい右の瞳が、深紅に近い色の炎で突如として覆われたのである。

 けれどエイネは、そのことに驚いた様子は見られない。運転するラミも同様で、少女の眼球が炎上しているという事実を当たり前のものとして受け入れている。

「……ほら、言った通りになった」

「ああ、マジか。いやでも、オレのせいじゃないだろ……」

 つぶやくラミのみぎもまた、エイネと同様に炎によって覆われる。

 ただこちらは火炎の色が違った。エイネが実に炎らしい深紅ならば、ラミのそれはにびいろだろう。火、と呼ぶにはいささか趣の異なった、不思議な輝きを放っていた。

 ──これらは、《めい》と呼ばれる特殊な炎である。

 それ自体に熱はない。持たせることはできるが、通常ならば触れてもをすることはないし、何かを燃やすこともなかった。

 だがそこには、己の命数うんめいをくべることで得られる熱量がある。

「……片獣フリツカーが湧いたみたいだな」

「お仕事の時間だね。役目を果たしに行こっか、ラミ」

 今、ふたりが見ているのは、現在位置から五キロほど離れた先の地点。はるか離れた先を正確に視認できているのは、ひとえにその眼にともった命火のもたらす術の力。

 命数いのち代償ねんりよう命火ほのおとし、神の持つ様々な権能を、地上において代行する特殊な技法。

 ──それを、《命数術》と呼ぶ。

「飛ばすぞ。しっかりつかまってろよ!」

 言うなりラミは、アクセルを全開に吹かす。

 この星に荒れ狂う災害。その退治は、教会の命数術師たる騎士と神子の仕事であった。

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