滅びゆく世界と、間違えた彼女の救いかた

涼暮 皐/NOVEL 0

接続章 『きっと、正しい命数のつかいかたⅠ』

接続章『きっと、正しい命数いのちのつかいかたⅠ』




「いいのかよ?」

 と、青年はたずねた。

 その問いに、今さら否定が返ってくるはずないと知っていて。

 それでもなお、問わずにいられなかったわるき。

 おそらく今夜が最後の野営だ。明日の午前には、ふたりは聖地に入っているだろう。

「いいって何が? いいも悪いも別にないって、私は思うけどな」

 果たして、少女はそんな風に答えた。

 はぐらかしたわけではなく、それが彼女の本心だから。

 くまでもない。それとわかっていてなお、青年は問いを重ねていく。

「今ならまだ引き返せる。体調が万全になるまで、待ってからでも遅くない」

「遅いよ。それじゃあ遅い。そんなこと、ラミだってわかってるでしょ」

 深い森のすぐ近く。この時間、この惑星ほしを照らすものはなく、深い闇夜に抱かれている。

 大陸最北部に位置する《聖域》。半年の旅の終わりの大地。

 少女の表情を、ほのかに赤らめるのはほのおだ。こうこうと熱を発する。その色が、少女の生まれ持つ命の輝きと似ていることを、青年はよく知っていた。

 その美しさを、誰よりも間近に眺めてきたのだから。

「初めからそういう旅だったでしょ? それに、ここを果てと決めたわけでもない」

「そりゃ……そうだけどよ」

「むぅ。そんなに苦い顔をしないでほしいんだけどなあ」

 期待する答えが、予想通り返ってこなかったことに落胆する青年。わかっていたことだというのに、まったく自分は往生際が悪い。青年自身も、頭の隅でそう考える。

 対する少女に気負いはなく。今の自分が抱えている不調にも、明日には待ち構えている命懸けの試練にも。全てを理解した上で、恐れなく向き合えていた。

「いつかはやらなきゃいけないことで、今やるのがいちばんいいってわかってる。これは私が果たすべき《天命》で、そのためにここまで、ラミといっしょに旅をしてきた」

「……そうだな。うん……そうだった」

「だったら、もっと笑わなくちゃ。明日が来ることを喜ばなくっちゃ。じゃなきゃ大事なものがうそになっちゃう。……それは、私も、ちょっと嫌かな。だってそういうのじゃないと思うから。私たちはふたりとも、夢をかなえて──叶えるために旅してきた。でしょ?」

 少女の言葉を耳にして、青年はふと、これまでのことを思い出す。

 それは少女と再会してから旅してきた半年の道のりであり、少女と再会するための長く苦しい修行の過程であり。

 そして少女と暮らしてきた、幼い頃の記憶だった。

「……れいに、なったよな。エイネ」

 だからだろうか。

 再会してから一度だって言葉には変えてこなかった本心が、口をついて出てきたのは。

「ど、どうしたんだよ急に……恥ずかしいな」

 幼い頃から落ち着いていて、慌てることなんかめつにないおさなみが、珍しく狼狽うろたえたようにかたうでで口元を隠した。そのほおに差す朱は、何も焚き火の色だけではないだろう。

「いや。そういえば、エイネの外見を褒めたことは一度もなかったな、って思って。これまで気にしたことなかったからさ」

「ま、まあ、ずっといっしょだったからね……ああいや、うん……うれしいけど」

「それだけだよ。別に大した意味はないんだ。ただ、思ったことをそのまま言っただけ」

「……そのほうが照れるだろ、ばか」

 青年は、歯の浮くような台詞せりふを恥ずかしいとは思わなかった。

 いつだって競い合い、ずっと共に過ごしてきたふたりだ。今さら隠しごとをするような仲ではないのだし、本心を知られても困らない。──今夜くらいは、素直に。

「感謝してるんだよ。言葉にはしてこなかったけど、それだけは言っておこうかと」

「感謝って……ラミが、私に?」

「ああ。オレのガキの頃からの夢、エイネのお陰で叶ったから。今、こうしていっしょに旅できてることが嬉しいんだ。全部、エイネのお陰だろ?」

「……口癖だったもんね。いつか、教会の偉い騎士になるんだ──って」

 惑星せかいが、死の危機にひんして久しい時代。

 脅威が地上に巣食い、ただの人間ではそれにあらがうことができない。

 けれど、そんなどん詰まりの世界にだって、人々を救おうとする者はいる。

 それが騎士だ。

 国教たる全天教会に所属し、術を用いて剣を振るう聖騎士。この王国で騎士と言えば、それは教会騎士クロスガードを指す。きっと多くの子どもたちが、一度は憧れる夢の立場。

 けれど──そんな教会騎士でも、ただびとである以上は惑星を救えない。

「それは、私が何したってわけじゃないでしょ。厳しい修行をくぐけて、守護十三騎ラウンドキヤンドルの地位まで辿たどいたのはラミのがんばりだよ」

「ま、それは否定しないけどな。実際、本当……地獄だった」

「あはは。あの師匠は、なにせ厳しい人だからねー」

 だがそれでも、と青年は思うのだ。

 単なる田舎のガキでしかなかった自分が、命懸けの鍛錬を突破し、教会騎士の頂点たる十三人のひとりとして選ばれるまでに至った理由。

 それは全て、──行く道の先で、彼女が待っていてくれたからにほかならないと。

十三騎ラウンドに選ばれなければ、こうしてエイネと再会することもなかったからな。それだけ必死になれたのは、エイネとの約束があったからだよ。だから、ありがとう、だ」

「そこまで言うなら受け取ろうかな。あはは、ただに選ばれただけなのにね、私」

「《幼馴染みのエイネ》から、聖人である《神子エイネ=カタイスト聖下》にまで出世されちゃったらな。オレみたいな一般人じゃ、一生会えなくなったかもだ」

 それ出世って言うのかなあ、と、エイネは首をかしげて。それから言った。

「だけどラミは、ちゃんと私を追いかけてくれた」

「お前があおったんだろ? 神子様に偉そうな口を利くなとかなんとか」

「……む。その件は忘れてほしいんだけど」

 唇をとがらせ、けれど少女はすぐ微笑に表情を変えた。

 果たして青年は、そのはかない表情に込められたおもいの全てを、余すところなく理解できているのだろうか。神子であるという重責は、神子ならざる者には想像しかできない。

 なぜなら神子は、この惑星を救うことができる唯一の存在であるからだ。

「……私のほうこそラミに感謝してるんだよ。本当に、心の底から、きっとラミでも想像できないくらいに。──私は、ラミに救われてる」

 少女は言う。

 それもきっと、青年と同じ、本心だ。

 この日、この夜にだけ明かされる素直な想い。

「──だって、私は神子だから。教会指定の聖人で、この惑星ほしを救う義務がある」

 それが少女──エイネ=カタイストの立場。

 神の子。聖なるひと。第二十三代神子。──この地上において最高位の権限を所有する神権の代行者。地上を旅する、神に代わりし者。

 全ての神子は、その身にしやつこんと呼ばれる、火傷やけど痕にも似た十字の紋様が刻まれている。生まれ持つ神子もいれば、前触れなく浮かび上がる後天的な神子もいた。

 だがどちらにせよ、それとわかればあとは同じ。

 これは聖痕であると同時にらくいんだ。神子である以上、地上における最高の地位と権力が約束される一方、人間としてのあらゆる自由を対価として失うことになる。

 選択の権利は存在しない。

 家族同然に育ったふたりの幼馴染みは、片割れが神子であったがために引き離された。

「だけど。だからこそ、私にはラミが必要だった」

 神子とは旅をする聖人だ。

 各地を巡り、滅びゆく星を救うため、そこで暮らす人を救う。

 逆を言うなら、旅をする間だけが神子にとって自由でいられる時間だった。

 ──その、はずだった。

 青年は夢を叶えるために、少女との再会の約束を心の支えにしていた。

 少女はこの世で最も崇高な立場へとされてなお、かつてと変わらず対等でいてくれる青年を頼った。

 それはあたかも、ふたりでひとつの生命であるかのような。

 だからこそ、この命懸けの旅でさえ、ふたりは希望と共に歩むことができたのだ。

「大丈夫。私の目的は、今だって変わってない」

 少女は語る。

 押しつけられた役割を、それでも自分の運命だと誇るように。

「この星を救う。私に託された天命を、私は必ず果たしてみせる」

「わかった。オレもこれまで通り、最後までお前の手助けをするよ。そのために、戦えるだけの力を身に着けたんだ」

 神子の役割を、教会において《天命》と呼ぶ。

 全部で十ある人類への課題。その難行は、八百年近い王国史の中で、いまだ六つしか達成されていない。そしてその全てが、神子の命を犠牲にして成し遂げられている。

 六名の神子が、おのが命と引き換えに天命を果たしたということだ。

 いや。天命を果たせず亡くなった神子を数えれば、犠牲は二十にも上る。

「覚えてる? 旅に出る前、聖都の大聖堂で数年ぶりに再会したときのこと」

「覚えてるよ。言ってたもんな、聖火を見上げながら。自分も大灯師になるんだって」

 ふたりにとって再会と旅立ちの土地である、聖都バラエリア。中でも最大にして最高の宗教建築物、バラエル円環神殿と──それを囲うように立つ十本の《大しよくだい》。

 そこに煌々と輝く、消えることなき聖火を、言葉もなくふたりで眺めた思い出。

 十ある大燭台のうち、火がともっているのは六つだけ。残る四つに光はない。

 大燭台は、ある条件が達成されたときのみ聖火を灯すものだからだ。

 げつぱくの炎があった。わかなえ色の炎があった。檸檬れもん色の炎があった。どういろの炎があった。だいだいいろの炎があった。そして、空色の炎があった。

 天命をひとつでも達成することで、達成者である神子のめい──すなわち、その人間の命の色を表す火炎──と同じ色の炎が、自動的に大燭台へと灯る。

 つまり、この六色の聖火は、かつて天命を達成した者が六名いたあかしだ。

 その偉業をたたえ、達成者である神子を特に《大灯師》と呼ぶ。

「私は必ず天命を達成する。ひとつじゃない、残る四つ全てを成就する──してみせる。ラミといっしょなら、それができるって……信じてるから」

 少女はそう言って微笑ほほえんだ。

 まるで炎のような少女だとラミは思う。苛烈だからではなく、攻撃的だからではなく、ただその内に秘めた意志の強さが──その輝きが、鮮やかな火炎を思わせるからだ。

 誇らしかった。彼女がその名を歴史に刻むことも、その一助となれることも、全て。

 誰よりも大事で、大好きな幼馴染みと、今日まで旅をできたことが幸せだった。

「火、そろそろ消そっか。明日はきっと忙しい一日になるよ」

「……大丈夫だ。これまでと同じ。お前のことは、オレが守るから」

 改めて誓うべくもない。それは青年にとって当然の存在理由だった。

 自分の人生の全てを、少女のために費やしたとて、彼にはなんの後悔もない。

 当然だ。それが全てなのだから。

 それが青年の知る、ただひとつの幸せなのだから。

「それじゃお休み、ラミ。──いい夢を」

「ああ。お休み、エイネ。──いい夢を」

 明かりのなくなった真っ暗闇の中で、ひとみを閉じて青年は思う。

 ついにここまで来た、と。

 不安はある。これまで天命に挑んで生還した神子は、ただのひとりも存在しない。その事実を、恐れていないと言えば嘘だろう。だからこうして話をした。

 けれど──その最初のひとりとしてエイネの名を刻むと、彼はとっくに決意している。

 これまでと何も変わらない。

 青年は、少女とふたりであるからこそ、ひとつの生命かたちとして成立している。

 ひと月もすれば、この王国に、きっと明るいニュースが届けられることだろう。青年はそれを信じて疑わず、これから先のことを思いながら眠りに就いた。

 その願いは、叶えられる。

 第二十三代神子エイネ=カタイストが、七番目の天命を達成したことが聖都で明らかになるからだ。それを示す聖火が──エイネの命火と同じ、薔薇ばらのように鮮やかな深緋こきひ色の命火が──聖都の大燭台に灯ったのである。

 少女は確かに、幼馴染みの青年とともに願いを果たしたのだ。


 この夜のことを、青年はきっと一生忘れない。

 エイネが天命を果たす前夜。

 ──彼女がこの世界から消滅する、およそ十二時間前のてんまつだった。


 そう。これは、愛と希望の物語である。

 少女は偉業と引き換えに、自らの命を失った。

 そして青年は、少女が救った世界の中を、少女をうしなったまま歩いていく。

 結末は決まっている。

 青年ラミ=シーカヴィルタは、この世で最も大切な幼馴染みを──初恋の少女を、目の前で喪ってしまうのだから。愛する少女が、自らを犠牲にして、青年を守ったからだ。


 それを、愛と希望の物語と呼ばずして、いったいなんと呼ぶのだろう。

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