対峙の十日目-7


 母さんの前にはヴァルハラ……いや、父さんが立っていた。僕が撃った拳銃で消えてしまったと思った父さんだがまだこの世界に残っていたのだ。

 だが、父さんの体は端の方から消えかかっていて何時消えてしまってもおかしくないようだ。


「うぅ……。ゆぅ……」


 母さんも何となく父さんのことが分かっているのか目の前にいるのに襲い掛かってない。いや、それどころか母さんは父さんに向けて手を伸ばして触ろうとしているように見える。

 父さんの顔には仮面が付いていない。あの仮面は外せないような事を言っていたはずだが、何かきっかけがったのだろうか。


「母さん。私が居なくなってしまって苦労を掛けたな。でも、紡をみて母さんがちゃんと育ててくれたって確信したよ」


「あぁ……。うぅ……」


 何かを伝えようとしているみたいに見える母さんだが、アンに従僕化された影響からか上手く言葉が出てこないようで呻き声のような声を出している。

 僕は針生に肩を貸してもらってその様子を見ている。母さんがあんな状態だが、やっと母さんと父さんが出会えたのだ。それを邪魔する気にはならない。針生も同じ考えのようで少し目に涙を溜めている。


「紡は本当に良い男になった。これも母さんがしっかり紡に愛情を注いでくれたからだと思う。紡も大人だ後は自分の思うように生きて行ってくれると思う」


「うぅ……。ごぉ……」


 ん? 今、母さんは父さんの事を「優吾」と呼ばなかったか? もしかしてアンの従僕化が解け始めているのかもしれない。アンが居なくなったから従僕化が解け始めているのか母さんが自力で従僕化を解こうとしているのか分からないが、行方を見守る事にする。


「母さんも幸せになって欲しい。どうやら再婚はしてないようだが、私の事は忘れて良い人が居たらその人と一緒になって欲しい」


「ゆうぅ……。ごぉ……」


 はやり母さんは父さんの事を呼んでいるようだ。何とか……何とか母さんを父さんが居る間だけでも元に戻してあげたい。どうする事もできない自分がもどかしい。


「奏海、愛している。君と一緒になって穏当に私は幸せだった」


 そう言って父さんは母さんを抱いてキスをした。広いグラウンドで抱き合い、キスをする二人はドラマで出てくるワンシーンのように人目を引く美しさではないが、見た人の心に残る美しさだった。


「ヴァルハラ、いいえ、紡のお父さんって本当にかなちゃんの事が好きなんだね。私も結婚したらあんな夫婦になりたいわ」


 針生は僕に見えないように顔を背けている。僕が結婚するまでにはまだ時間があるだろうが、針生が言うように僕も結婚したら父さんたちみたいな夫婦になりたいと思う。

 キスをしていた父さんたちだったが母さんが急に体の力が抜けたようになり、抱き込んでいた父さんは慌てて母さんの体を支える。

 母さんの様子がおかしいので駆け寄ろうとした僕だったが、駆け寄る前に母さんが意識を取り戻すとそこには信じられない光景が現れた。


「ゆう……ご。優吾さん。優吾さん。優吾さん」


 母さんはハッキリと父さんの事を呼んでいる。力の抜けていた母さんは自分の意思で立ち上がり、父さんの胸に顔を埋めた。

 もしかして――と言う期待感が僕の中を駆け巡り、全身が武者震いのように震えた。


「母さん……元に戻った……のか?」


 母さん抱き着かれ、混乱する父さんだが混乱しているのは僕たちの方も同じだ。針生もどういう事だと言う表情をしている。


「元に戻ったってどういう事? そう言えば私なんでこんな所にいるのかしら? 旅行に行こうと思ってお店に向かっていたはずなのに……」


 話している感じだと完全に母さんは元に戻ったようだ。元には戻らないと言われていてどうやったら元に戻せるか考えていたのだが、こんな奇跡が起こるなんて信じられない。


「元に戻ったところ申し訳ないのだが、そろそろ時間が来てしまったようだ」


「時間ってどういう……。優吾さん体が……体が消えかかってる」


 父さんの下半身はすでに消えてしまっており、腰から上を残すだけになってしまっている。この世界に存在していられるのも後数分と言った所じゃないだろうか。


「さっき私が言った事は後で紡にでも聞いてくれ。私がここに居られる時間はもう少ない。だからこれだけは言っておこう。奏海、愛していると」


「フフフッ。嬉しい。それじゃあ私をどれぐらい愛している?」


「えっ!? あっ、その、なんだ……。生きていた時より十倍は愛してる」


「やっぱり親子ね。紡ちゃんと同じような答え方」


 焦ったように答えた父さんは以前、僕がアルテアを褒めた時のような言い方をした。親子で同じような言い方をすると言うのは聞いている僕の方も気恥ずかしくなってくる。

 そんなしどろもどろしている父さんに母さんの方からキスをした。だが、そのキスは長く続く事はなかった。時間が来てしまったのだ。この世界から姿を消した父さんを探すように周囲を見渡していた母さんだが、父さんが居なくなったと分かるとその場に崩れ落ちた。

 子供のように泣き崩れる母さんのことが心配になり駆け寄ろうとした時、針生に止められてしまった。


「かなちゃんは私がフォローするわ。紡は向こうでしょ」


 針生が僕の肩から頭を外し、母さんに駆け寄りながらある一点を指した。何とか一人で立てるまで回復した僕が針生が指した方を向くとそこにはアルテアが立っていた。

 アルテアは僕の近くにまで来ていたが、それは僕の隣と言う訳ではなく、少し離れた場所だった。アルテアの手にはすべてのレガリアが集まっており、すべて違った色のレガリアは光り輝いている。


「やっとレガリアをすべて集める事ができました。これもツムグが協力してくれたおかげです。本当にありがとうございました」


 僕に対して頭を下げるアルテアだがそんな事をしないで欲しい。僕がやった事なんてほとんどないし、逆に迷惑をかけた方が多かったぐらいだ。


「いいえ。私の憑代ハウンターがツムグで良かった。ツムグでなければ私はここまで来る事ができなかったと思います。最初はどうなるかと思ったのですがそれも良い思い出です」


 最初って言うと僕がパンツを見せてと言った時か。そう言えば強制命令権インペリウムが四回使えたのだがあれってどういう理屈だったのだろう。


「実を言いますと最初の……その……パンツ……パンツを見せたのは強制命令権インペリウムが使われた訳ではないのです」


 えっ!? そうなの? 出会ってすぐの女性にいきなりパンツを見せてと言って、それを恥ずかしながらも見せてくれたのはどう考えても強制命令権インペリウムを使わないとできないと思っていたのだけど。

 って事はあれか? アルテアは強制される訳でもなく自分の意思でパンツを見せたと言う事になるのか? でもそれならそうと言ってくれればよかったのに。


「何度か言おうと思ったのですが、どうしてもタイミングが掴めなくて今まで言い出す事ができませんでした。ですから最初のパンツの時はツムグが強制命令権インペリウムを使ったわけではなかったのです。今まで言えずに申し訳ありませんでした」


 頭を下げるアルテアだが僕はすぐに頭を上げさせる。それで負けてしまったのなら問題があるが、こうしてレガリアを集める事ができたんだ。それぐらいの嘘なら気にする事でもないだろう。


「それにしてもツムグも『ギフト』と言う物を貰っていたのですね。それならそうと言ってくれればよかったのに」


 それについては申し訳ない。僕自身もついさっきまで『ギフト』を貰っていたとは分からなかったのだから伝えられなかったのだ。


「そうなのですか? それにしても便利な能力ですよね。相手の動きが分かるなんて私に欲しいぐらいです」


 そう言うアルテアは少し照れたような笑顔を浮かべた。今でも強いアルテアが僕の『ギフト』を持ってしまったら勝てる相手が居なくなってしまうのではないかとさえ思えてしまう。

 そんな話をしている僕たちの間に強い風が吹いた。アルテアが何時居なくなってしまってもおかしくない状況で僕は決して顔をそむけることをしなかった。視線を外した時にアルテアが居なくなってしまうのが怖かったのだ。


「かなちゃん……。かなちゃんが元に戻ってよかったですね。従僕化された人間が元に戻ったのは初めて見ました」


 何か会話を途切れさせないためか急に母さんの話を振ってきた。何時までアルテアがここに居られるか分からないのにこれ以上雑談に時間を費やしている暇はない。僕にはまだ話さなければいけない事があるんだ。

 確かにアルテアは元の世界に帰ってしまうのだろう。だが、それはアルテアが帰りたいから帰るのか、そう言う仕組みだから仕方がなく帰るのかだ。


「私は……。私は自分の居るべき世界はこの世界ではなく元居た世界だと思っています」


 暫しの間、顔を俯いて考えていたアルテアはポツリと語り始めた。


「いきなりこの世界に来た私をツムグを始め皆さん優しくしてくれました。綾那や愛花音と一緒に寝た時の夜はとても楽しかったし、かなちゃんもいきなり現れた私を何も言わず家に泊めてくれました。そしてツムグの作る料理はどれも美味しく毎回食事を楽しみにしていました」


 考えてみればアルテアが最初に来た時からまだそれほど日にちはたっていないのだが、もう、随分と長くアルテアと一緒に居るような気がする。


「皆さん優しく、一緒にいて楽しい人たちでした。でも、私はここに居るべきではないと思っています。私は元の世界に戻って人間族の代表を支えていかなければならないと思っています」


 そんな悲しい顔で言われても僕は信じる事はできない。僕が聞きたいのは本心からのアルテアの言葉だ。

 僕はよろめきながらもアルテアに近づいて抱きしめた。寒空の下に何時間も居たせいで僕の体は冷え切っていたが、抱き合った事でアルテアの体温が伝わってきて寒さなど気にならなくなった。


「帰りたくない……。無理な事を言っているのは分かっている。無駄な事を言っているのは分かっている。でも、私は……、私はここに居たい。ツムグとずっと……ずっと一緒に生きて居たい」


 僕の耳元で声を上げるアルテアは泣いているようだった。アルテアの流した涙が僕の肩に当たると聖水を浴びたように熱くなってくる。

 泣いているアルテアはやっと心からの言葉を声にしてくれた。良かった。アルテアも僕と同じ気持ちだったんだ。僕たちの想いは同じだったんだ。


「ツムグ、好きです」


「僕も好きだ。アルテア」


 自分たちの気持ちを確かめるように何度も交互に好きだと告げて行く。だが、抱いていたアルテアの感覚が急になくなり、バランスを崩した僕は盛大にグラウンドに転がった。

 慌てて周りを見るがアルテアの姿はどこにもなく消えてしまったのだと、いや、元の世界に戻ったのだとこの時分かった。


「アルテアァァァァァァァ!!」


 自然と涙が溢れてくる。涙の止め方が分からない。今まで僕はどうやって涙を止めていたのだろう。

 僕の腕にはまだアルテアを抱いていた時の感覚が残っている。僕の耳には「好き」と言ってくれたアルテアの声が残っている。だが、肝心のアルテアはもうこの世界には居ない。

 このまま腕を斬り落としたい。このまま耳を斬り落としたい。アルテアの存在を最後に感じた部分を切り離して違う感覚を上書きしたくないのだ。

 でも、そんな事ができない事は僕が一番分かっている。この感覚が何時まで残っているか分からないがせめて心の中には大切にしまっておこう。心に刻んでおこう。

 震える脚で立ち上がり、ふと視線を街の方に移すと空が白み始めており、どうやら夜が明けるようだ。涙を汚れた袖で拭うとやっと涙は止まってくれた。涙を止めるにはこうするんだと初めて分かった気がする。

 暫く街並みを見ていると太陽が昇り始める。空を覆っていた雲はどこかに行ってしまっており、今日は良い天気になると思えた。

 ふら付きながらも針生の所に行くと針生は僕の倍ぐらい泣いていた。いわゆる号泣と言う奴だが、それほど母さんが助かったのが嬉しかったのだろうか。


「違うわよ! いえ、違わないけど、違うわよ!」


 合っているのか間違っているのかよく分からない。戦いが終わってしまったので帰らなければいけないのだが、母さんも従僕化から解けたばかりでちゃんと動けるような状態ではなく、僕も魔力の使い過ぎで母さんを背負って家に帰るのはかなり難しい。割と元気そうな針生に僕と母さんを引き連れながら家に連れて行ってくれと言うのは酷だろう。


「大丈夫よ。もう少しすれば車が来るからそのれに乗って家に帰ると良いわ」


 僕たちの所に来た赤崎先輩が車を呼んでくれたようだ。赤崎先輩の後ろには蒼海さんが控えており、その後ろにメイド姉妹が付いていた。どうやらメイドの二人も無事に意識を取り戻したようだ。


「コートありがとうございました。クリーニングをして返却しますので暫しお待ちください」


 里緒菜さんの手には丁寧に折りたたまれたダッフルコートがあった。正直に言うと寒いので返して欲しいのだが、汚れたままでは絶対に返さないと言う意思が見て取れる。

 暫く待つと学校に一台の車が入ってきた。どこかの国の大統領が乗るようなリムジンは赤崎先輩の前で止まった。流石、赤崎財閥は乗っている車は違うと思ったのだが、それは赤崎先輩が乗る車ではなかった。


「どうぞ乗ってちょうだい。大した車じゃないけど家までなら我慢できるでしょ」


 赤崎先輩の言う我慢と僕の思っている我慢は少し違うと思う。こんな車乗った事がないので遠慮したい所だが、赤崎先輩曰くお客様専用の車らしい。

 リムジンに母さんと針生が乗り込む。母さんはまだ意識が戻ってないのでメイド姉妹が車に乗るのを手伝ってくれた。最後に僕がリムジンに乗り込むのだが、もう一度グラウンドを見渡した。居るはずもないアルテアを探してしまった。

 初めて乗るリムジンに緊張しつつ家に帰るとこの時間まで起きていたのだろう鷹木が目に隈を作りながら出迎えてくれた。

 詳細は後日説明すると言う事で針生がリムジンに引っ張り込むとリムジンは針生たちを乗せて出発した。どうやら針生たちも家まで送ってくれるようだ。家に着いた僕は母さんを部屋で寝かせると自分の部屋に行き、ベッドに飛び込んだ。


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