曖昧模糊 針生-2


 平然と針生の前に立つヴァルハラに、針生の伸ばした指が何の抵抗もなく入って行く。少しずつだが確実に体の中に入り込んでいく指を見ている針生はその光景に興奮していた。

 なぜかは分からない。だが、自分の指が入って行く程、媚薬を飲んだかのように性的な興奮が増して来るのだ。何度も指を止めなければと思う針生だが、気持ちの良さには勝てずその指をさらに奥へとめり込ませていく。


「そこで指を止めるんだ! その辺りで良い」


 火照った顔をしていた針生はヴァルハラの声に慌てて伸ばしていた指をその場で止める。意識を取り戻した針生は自分が興奮していた事に恥ずかしくなり、穴があったら入りたい気持ちになった。


「そこで指を動かすんだ。そうすれば心臓に傷がつけられる」


 消えてしまいたい気持ちをぐっと堪え、針生は言われた通り指を動かす。ここまで何の感触もなかった指先に、何かを引っ掻いたような感覚が伝わった。それと同時に針生の頭に強烈な痛みが襲ってきた。あまりの痛みに針生はその場に蹲ってしまう。


『契約者には一つギフトを与える』


 声が頭に響いた。その声の後、すぐに頭の痛みが引いていき、針生はその声の主を探すように辺りを見回す。だが、針生の前にはヴァルハラが居るだけで他には誰も居ない。

 ヴァルハラが話しかけてきたのかとも思った針生だが、ヴァルハラが声を発した様子はない。それは仮面を着けていても分かる。だが、ヴァルハラを見た針生はヴァルハラの異変に気が付いた。

 先ほどまでは非常に存在が気薄だったが、今、針生の目の前にいるヴァルハラはしっかりとした存在で目の前に立っているのだ。


「契約成立だな。憑代ハウンターとなった君には三回の強制命令権インペリウムが与えられる。それをどう使うかは君の自由だが、一つ注意して置いて貰いたい事がある。強制命令権インペリウムは強制的に命令をする事ができるのだが、私の能力を引き上げる事にも使える。命令する事だけに注力してしまえば、私が戦いで負けてしまう事が有り得ると言う事だ」


 矢継ぎ早にヴァルハラが契約についての説明をしてくる。だが、そこには『ギフト』についての説明はなかった。何故『ギフト』の事を説明しないのか不思議に思った針生は自分から『ギフト』について質問する。


「さっき契約した時に頭の中に『契約者には一つギフトを与える』って声が聞こえたんだけど、あれはヴァルハラが言ったの?」


 ヴァルハラは首を左右に振って否定する。どうやらあの声はヴァルハラの物ではないようだ。


「それは私も知らない事だ。私もまた世界の全てを知っている訳ではないのだよ」


 何か癇に障る言い方だが、ヴァルハラはこういう人物なのだろうと思い、針生は我慢する。ヴァルハラの知らない力。針生は試しに『ギフト』を使用してみる。使用制限の事を言われてなかったので、強制命令権インペリウムと違って何度も使えるのだろう。

 針生は手を自分の前にかざすと、薄い壁のような物が出て来た。その壁は透明になっており、針生の対面に居るヴァルハラの姿がはっきりと見える。


「ほう。面白い魔法だな。それは魔力障壁か?」


 ヴァルハラが興味深そうに聞いてくる。そう、針生が出したのは魔力障壁だ。敵からの魔法攻撃がこの壁で防げるのだ。その事を針生は何故か知っていた。魔力障壁の出し方も右手を上げるのと同じように何も考えずに分かったのだ。

 そうは言っても、針生には本当にこんな透明な壁で魔法攻撃が防げるのか半信半疑だった。そんな針生を見て、ヴァルハラは実際に試してみようと提案してくる。


「どれほどの強度か試しに魔法を撃ってみようか? そうすればその壁の凄さが分かるだろう」


 そう言うとヴァルハラの手が淡い光に包まれる。光の中から出て来たのは拳銃だった。黒光りする拳銃は結構大きく、針生が知っているようなシリンダーは付いておらず引き金を引くだけで自動で弾が出るタイプのようだった。

 見た目は現代にある拳銃とあまり違わないように思えるが、銃に詳しい訳ではない針生には細かな違いまでは分からなかった。


「ちょ、ちょっと! 拳銃なんて防げるわけないでしょ!」


 どうやって拳銃を出したのかも気になるが、その前にヴァルハラの行動を止めなければならない。

 ヴァルハラが早速、引鉄に指を掛けて拳銃を撃とうとした所で、針生はヴァルハラを止めるため声を上げる。たが、ヴァルハラは針生の制止など聞きもせず銃の引き金を引いた。

 銃からは音もなく淡い光の弾が発射され、針生の元に向かってくる。それは比喩でも何でもなく本当に音が出なかったのだ。サイレンサーを付ければある程度音が防げることは銃に詳しくない針生でも知っていたが、全く音の出ない銃など聞いた事がなかった。

 向かってくる弾丸に恐れをなし、針生はそのままの体勢で目を瞑ってしまった。「キィィィン!!」と高い音が部屋の中に鳴り響くと弾丸は魔力障壁に当たって弾かれてしまった。


「凄い。弾丸を弾いちゃった……」


 少し押されたような感覚があったが、目を開けると魔力障壁は傷一つなく無事だった。もちろん針生の体にも傷一つ付いておらず、魔力障壁が完全に弾丸を防いでくれたのだ。


「なるほど、なかなかの強度の魔力障壁だな。これならほとんどの魔法攻撃は防げるだろう。ちなみに今のは弾丸ではなく魔弾だ。魔力を拳銃で弾き出したものだ」


 いきなり銃から魔力を放出してきたヴァルハラが魔力障壁を見つめて感心している。針生は感心したり魔弾の説明をする前に言う事があるだろと思う。


「いきなり何するのよ! もし防げなかったら大怪我する所だったじゃない! 女性なのよ怪我したら責任取ってくれたんでしょうね!」


「死んでないなら問題ない。怪我ぐらいは誰にでもある物だ。気にするような物ではない。それよりも君も座ったらどうだ?」


 針生の怒りを気にする事なく、いつの間にか椅子に座っているヴァルハラが針生に椅子に座るように勧めてくる。どこか人を食ったような態度に針生は腹が立ったのだが、ふと、魔法が弾かれた方を見ると、チェストに大きな穴が開いており、周囲には物が散乱していた。


 針生が酷い状況になったチェストからヴァルハラの方に向くと、ヴァルハラは慌てて視線をそらした。仮面を着けているが、顔を背ければ視線を外したと言う事ぐらいは分かる。


「これ……。どうするのよ?」


 針生は悲惨な状況になったチェストを指さしてヴァルハラに質問する。


「物と言うのはいつか壊れる物だ。あのチェストもここで天寿を全う出来て幸せだっただろう」


「そんな事言ってるんじゃないわよ! 散らばった物を片付けなさいって言ってるのよ!」


 ヴァルハラの訳の分からない言い訳に、針生はいつの間にか手に持っていた箒と塵取りを机に叩きつけると壊れてしまったチェストを指さす。

 最初は片づけをする事に抵抗していたヴァルハラだが、強制命令権インペリウムを使用すると脅すと、渋々ならがヴァルハラは椅子から立ち上がり、箒と塵取りを手に取った。


「これは……彼氏かい? 中々良い男じゃないか」


 掃除道具を手にしたヴァルハラが少し何かを見つめたと思ったら、机の上に置いてあったスマホを見てそんな事を言ってきた。何の事かと思った針生だがそこには釆原の写真が表示されていた。

 針生は慌ててスマホを隠す。待ち受けにした釆原の写真を見られてしまったのだ。明日の登校の時までには戻しておこうとしたが、その前にヴァルハラに見つかってしまった。


「ち、違うわよ! 彼氏なんかじゃないわよ。友達――と言うか……何と言うか」


 だんだん声が小さくなっていく針生は声と反比例して顔が赤くなってくる。


「と、とにかく、何でもないの! そんな事は良いからヴァルハラは早く片づけをしなさいよ!」


 ヴァルハラが掃除に向かった所でスマホの待ち受けを変えておく。予想もしていない所からの攻撃に焦った針生は落ち着くため紅茶を淹れ直す。心を落ち着けたいため、アールグレイの紅茶を選択すると、ベルガモットの芳香が鼻孔をくすぐり、爽やかな香りで少しだけ落ち着いたような気がした。

 紅茶を楽しんでいると、ヴァルハラが掃除を終えて戻ってきた。壊れてしまったチェストが元に戻る訳ではないが、多少は片付いたのでこれで我慢しておく事にする。

 ヴァルハラが椅子に座った所で針生は再び紅茶を淹れて戻ってくると、ヴァルハラにも紅茶を差し出した。仮面を着けているヴァルハラがどうやって紅茶を飲むのだろうと、興味深くヴァルハラを見ていると、ヴァルハラはそのまま仮面の上から紅茶を流し込んだ。


「何その仮面。そのままでも紅茶が飲めるの? どんな構造なのよ」


 仮面に紅茶を付けて傾けても一向に零れない様子を見て、針生は驚きの声を上げる。ここまで色々変わった事が起こったが、今のが一番驚いたのかもしれない。


「原理は私にもよくわからん。固形物も問題なく食べられるし予想以上に快適だ」


 魔法とかも平気で使えるのだ。そう言う事もあるのだろうと針生は納得する事にする。納得しないと話が進まないのだ。


「まあ、良いわ。それよりも話の続きをしましょ。まだ強制命令権インペリウムの所ぐらいしか聞いてなかったのだから」


「そうだな。だが、そんなに説明する事はないのだが……。うむ、私がこちらに転移してきた理由ぐらいか」


 そこは針生が気になっていた所だ。王を決める戦いがどうとか言っていた気がするが、正直まだ何が何だかよく分かっていないのだ。


「先ほど言ったが、強制命令権インペリウムを使えば私の能力を向上させる事ができる。どうして私の能力を向上させる必要があるかと言うと、私は今、王を決める戦いに参加している。レガリアと言う物を集めるのだが、それは相手から奪う事になるのだ」


「そうなんだ。貴方の他にも同じような人がこちらに来ているのね。そしてその相手から奪うには相手を倒すしかない。倒すためには能力の向上が必要って事ね」


「理解が早くて助かる。九つの種族の代表が一人に一個ずつ持っているのがレガリアでこういう物だ」


 ヴァルハラが机の上に手を差し出すと、手からは光が溢れる。暫くして光が消えたと思ったらヴァルハラの上には一個の宝石が乗っていた。先ほど拳銃を出した時も光が溢れていたがこれも魔法なのだろうと針生は思う。

 ヴァルハラの手に乗っている宝石は茶色で家の照明に照らされて綺麗に輝いていた。少し透明がかった宝石は琥珀のようにも見えた。


「なるほどね。この琥珀みたいなのって相手を倒さずに奪い取っても良い物なの?」


 わざわざ危険を犯して敵と戦わなくても、相手が気付かない内に盗んでしまえるのならそちらの方が安全だと針生は考える。


「それもできない事は無いが、期待はしない方が良い。私のように普段はこのように隠している事が多いから盗む事はほぼ不可能だ」


 ヴァルハラが一度手を閉じて、光が溢れた後、再び手を開くと宝石はいつの間にか消えていた。


「それ、さっきも見たけど、どうなってるの? 拳銃も同じ感じで出したり消したりしてたみたいだけど?」


「これは物を収納する魔法だ。人によって出し入れできる数や容量は違うが、私たちの世界では小さい物だったり軽い物はこうやって運ぶことが多いな」


 何度か物が出たり消えたりする所を見た針生は、光が何かの役目を担っているのだろうと推測する。だが、それまでだった。しいて言えば便利な機能だな。財布代わりに使えば落とす事も忘れる事もスリに会う事もないと思うぐらいだった。

 それから針生は他にどういう人がこちらの世界に来ているかとか、契約が破棄されてしまう条件や破棄された後の動きに付いてヴァルハラからレクチャーを受けた。

 ヴァルハラの話の中には信じられないものや、納得の出来ない物も有ったが、そう言う事は今は置いておく。一々そう言うのに反応していると話が全く進まないからだ。


「なるほど、大体、事情は把握できたわ。後はこの戦いにどうやって勝って行くかって所ね」


 強制命令権インペリウムが使えるのは三回に対して倒すべき相手は八人もいるのだ。一人に一回も強制命令権インペリウムを使えない状況では普通に戦っていたのでは、レガリアをすべて集めるのは厳しいと言うのが針生の考えだ。


「今までの話を聞く限り協力者は必要ね。無暗に戦っていても全員に勝てるとは思わないわ」


 針生の考えにヴァルハラも頷いている。協力者が必要と言うのはヴァルハラ思っていた事だ。


「こっちに一緒に来た中で知り合いとかっていないの?」


 顔見知りが居れば話し合いができる可能性がある。それに協力も受けてくれるかもしれないと針生は考えた。しかし、


「残念だが、こちらに来たのが誰なのかと言うのは私にも分からない。実際に会って初めて相手が誰なのか分かるのだ」


 そう簡単にはいかないようだ。だがこれぐらいでへこたれてしまう針生ではない。こんな事で挫けていたら好きな男性に思いを伝える事もできない。


「それじゃあ、相手がどこにいるかって言うのは分かるの? それが分かるだけでも探す手間が随分と省けるんだけど」


 だが、この質問にもヴァルハラは首を振るだけだ。


「ある程度近くにまで行けば気配で相手が近くにいる事が分かるが、距離が離れてしまっていてはどこにいるか知る事はできない。だが、少なくともこの街には居るだろう。そうでなければ戦う事も困難だ」


 確かにヴァルハラの言う通りだ。これで海外に居るとなると、そもそも戦う事ができない。できたとしても数カ月先とかになってしまう。それが分かっただけでも針生には十分だった。


「じゃあ、今から探しに行きましょう。仲間を探すなら早い方が良いわ」


 そう言うと針生は椅子から元気に立ち上がり、外に出るための準備を始めた。


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