Side by Cide ~ハウンターたちによる如月の宴~

一宮 千秋

序章

プロローグ


 草も木も、そして、生物さえも凍り付いてしまうような二月の雪の降る夜。力なく灯る街灯の下に佇んでいる女性に僕は心を奪われた。


――なんて綺麗な女性なんだろう。こんな綺麗な女性今まで見た事がない。


 寒風吹きすさぶ山腹のカーブに差し掛かった所にある街灯の下に女性が一人と言うのは、あまり見る光景ではない。

 淡い街灯の光が女性を映し出しているのだが、その姿はどこか寂しげで、今にも消えてしまいそうなぐらい儚い存在感しかなかった。

 その女性の姿を見た僕は心臓の鼓動を抑える事ができなかった。高鳴る胸は今にも僕の体から出て、勝手に走って行ってしまいそうだ。

 時折舞い散る雪が女性の体を通り抜ける。有り得ない現象だが、今の僕はそれほど驚く事はなかった。なぜなら泡雪のような女性にとってそれが普通だと思ってしまったからだ。


――なんでこんな所に女性が? ここは関係者以外立ち入り禁止なはず。


 地元の人間なら夜になれば、山頂の学校と麓の道路を結ぶこの一本道は封鎖されるのを知っているので、足を踏み入れる者は居ない。

 だとするとこの女性は地元の人間ではないのだろう。震えがまだ残る足を動かし、僕は女性の所まで歩いていく。

 女性の目の前まで来ると、突然冷たい風が僕と女性の間を通り抜けた。女性の後ろで縛った長い髪が風に吹かれてなびくと、髪の毛でできた線は天と地を分けたように見えた。


「この鍵は僕が落としたものだと思うのですが拾って良いですか?」


 僕は落としてしまった鍵を指さして女性に声を掛けるが、その問いに女性は答える事はなく、山の中腹から見える街並みを眺めている。

 落とした場所や鍵に付いているアクセサリーから間違いなく僕の鍵だと思い拾い上げる。地面に落ちてしまっていた鍵は冷たく触った指が凍ってしまうかと思うほどだった。

 女性が真剣に街並みを見ているのが気になり、僕も同じように街並みを眺める。山の中腹から見る街並みは少し霞んでおり、家から漏れる光は淡く温かな世界を作り出していた。

 僕は隣になった女性を見ると、寒空の下、街並みを眺めている姿はとても寒そうに見えた。半着に袴姿の女性は上着のような物は身に着けておらず凍空に凝然と立つ姿は、冬の海辺で寒さに耐えるカモメのように見えた。


――このままじゃあ寒いよな。


 僕は着ていたダウンジャケットを脱ぎ、女性の肩にゆっくりと掛ける。だが、ダウンジャケットは何処にも引っかかる事なく、地面に落ちてしまった。


「──えっ!?」


 一拍置いて驚いた声を上げた。雪が女性の体を通り抜けていたので、ダウンジャケットだって通り抜けてしまうのは当たり前と言えば当たり前なのだが、この時、僕は雪が通り抜けていた事は忘れていたのだ。

 やっと分かった。女性は存在が儚げだったのではない。存在がなかったのだ。女性に下に落ちているダウンジャケットが今も風にたなびき、時折女性の体を突き抜ける。それならこの手は女性に触る事ができるのだろうか。興味本位と言うにはあまりにも浅はかだが、僕は恐る恐る女性の方に手を伸ばす。

 女性の髪が揺れた事でまた風が吹いたのかと思ったが、僕の頬には風が当たっていない。そう、風が吹いたのではなく、女性がこちらに振り向いた事で髪が揺れたのだ。手を引っ込めた方が良かったかもしれないが、いきなりの事で引っ込める事ができず、伸ばしたままにしていた僕の手は女性の体の中に埋まっていた。


――何だこの状況は。僕の手が女性の体の中に……。


 自分で体験しているにも関わらず、僕は目の前で起きている事が信じられなかった。心臓の鼓動が更に早くなる。早く逃げろと頭が訴える。

 女性の体に手が埋まってから慌てて手を引くが、その時、手を握り込んでしまったため、人差し指には何かを引っ掻いたような感覚があった。

 無事に自分の手を引き抜く事ができた僕だが、思いっきり手を引いてしまったため、冷たいアスファルトに尻餅をついてしまった。


 あまりの出来事に頭がパニックを起こしているのか、激しい頭痛に襲われる。頭を押さえても頭痛は治まる事はなく、何時までも僕の頭を刺激する。

 激しい痛みの中、僕は何とか目を開けて女性の方を見ると、いつの間にか雪は止んでおり、真っ青な月が彼女の後ろに鎮座していた。月の中で浮かび上がる女性の姿は絵画から飛び出してきたようだった。

 血が通ってないかと思われた女性の白い肌は薄っすらと赤みが掛かり、今まで消えてしまいそうだった存在は確かにそこに居ると実感できる。

 暫くして何とか頭痛の治まった僕に女性は柔らかな笑みを浮かべてこう言った。


「貴方だったんですね。私の憑代ハウンターは」


 真っ青な月を背にした女性と僕――釆原 紡うねはら つむぐはこの時、契約したのだ。

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