第一章 救えぬ者

助けた先は檻の中

 ちょっとした浮遊感のあと、暗闇を抜け全身の感覚が戻ってくるのを感じた。

 視覚、聴覚、嗅覚、触覚、すべての感覚がまるで初めてのような気がした。

 これが生まれるということなのだろうか。なぜか少し感動している自分がいる。

 あぁ、そうだ。こんなことをしている場合ではない。

 そこでようやく本来の目的を思い出し、周囲を見回す。

 ボヤケている視界が段々とクリアになっていき、近くに落ちているナイフを見つける事ができた。

 まだどこかうまく動かせない体にムチを打ちナイフへ手を伸ばすと、ふらつきそうな足で立ち上がり化物の方へと駆け出した。


「やめろぉぉぉ!」


 化物は俺の叫び声に驚いて振り返っった。

 俺は女の子に振り下ろされそうになっていた化物の右手を掴み、持っているナイフで

 思いっきり化物を斬りつけた。


「グギャァアアア」


 悲痛な叫び声と共に鮮血が飛び散る。力を込められた化物の右手を必死に押さえ込み何度も何度も斬りつけた。肉を裂く不快な感触がするももの、救わなくてはという使命感からか、不思議と罪悪感は感じなかった。ただただ夢中で命が終わるまで腕を振り続けた。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 押さえていた腕が脱力するのを感じ、ようやく冷静さを取り戻すことが出来た。

 彼女は救うことができたんだという安堵感。それと同時に身を潜めていたはずの罪悪感が襲ってきた。この世界で生きていくのなら慣れなる必要があるのだろうけど、すぐには気持ちの整理をつけられそうにない。

 元の世界にいたら生き物を殺すなんてそうそう経験することではない。当たり前ではあるがここは別世界なのだなと強く実感してしまった。


「エミルっ!」


 突然の衝撃に襲われそこで思考が停止する。悪い方向へと進みそうだったので助かった。

 温かい温もりに包まれ彼女に抱きしめられたのだと気がついた。

 恐怖でまだ混乱しているのか、彼女は俺のことをエミルと泣きながら呼び続けていた。

 おそらくエミルというのがこの体の持ち主の名前なのだろう。

 俺はどうしていいのかわからず「ごめん」と呟いて彼女の頭を撫でることにした。


「エミル……本当によかった……」


 しばらくして少し落ち着きを取り戻した彼女が顔を上げ笑ってみせた。

 ここで初めて彼女と顔を向かい合わせたのだが、こうなるともう俺がエミルではないことがバレしまう。もともと隠しようのないことだが。


「あ、いや、その……」


 また泣かれても敵わないので、できるだけ優しく声をかけるが言葉が出てこない。

 こんなときにどういう言葉をかけるべきなのだろうか。


「エミルどうかしたの? もしかしてアイツにやられたところが痛むの?」


 俺が黙っているので勘違いしたのか、心配そうな表情で顔を近づけてくる。

 両手で顔を抑えられ目をそらすことが出来ず、別な意味で言葉が出てこなくなる。

 え、いや何この状況は。

 ほんの少し顔を動かせば唇がぶつかってしまうかもしれない。

 いや、そうしたいわけでも、しようと思っているわけでもない。

 

「どこか怪我してるわけじゃなさそうだけど……」


 それはそうだろう。神様の説明によると俺が転生した瞬間この体は俺のものへと作り変えられたのだから。エミルがどんな怪我を負っていたとしても完全になくなるはずだ。

 

「よかった。不思議だけど見た感じ、命の危険がありそうな怪我は負ってないわ」

「ああ……うん、そうだな」


 いい加減気がついてもいいんじゃないだろうか。

 それとも俺はそんなにエミルってヤツに似ているのか?

 いや、そんなことはないはずだ。少なくとも映像で見たエミルという少年はヨーロッパ系の顔立ちをしていて、日本人である俺をは似ても似つかないはずだ。

 まだ混乱していて俺の顔をちゃんと認識できていないのか?

 だからと言って俺からエミルじゃないんだと説明していいものだろうか?

 どうするべきだろうかと考えていると、誰かを呼ぶ声と大勢の足音が近づいてくる事に気がついた。


「俺の後ろに隠れて」


 音がする方を向きナイフを構えた。十中八九人間のものだとは思うが、この世界では何が起こるかわからない。警戒するに越したことはないだろう。

 遠くに薄明かりが見え、だんだんと声がはっきり聞こえるようになってきた。


「ねぇ、あれ……もしかしてあれ、村のみんなじゃない?」


 相手の輪郭がはっきりとしたきたところで少女がそんなことを呟いた。


「イリヤ!」


 村人たちも俺たちの存在を認識したらしく慌てて駆け寄ってきた。

 女の子の無事を確認すると誰もが安堵の表情を浮かべた。

 どうやら今度こそ本当に安心しても良さそうだ。

 そんなことを考えたのも束の間、村人の視線が俺に集まっていることに気がつく。

 心配、というよりも警戒しているような眼差しだ。

 あぁ、そうか。この人達たちには俺がエミルに見えているわけじゃないからあやしまれているのか。

 それならばと両手を上げ、俺には敵意がないことを示した。


「えっと……俺はあやっ!?」

「この悪ガキめがっ!」

 

 何故かいきなり老人に杖で横殴りにされた。

 思いの外その威力が強かったため踏ん張れずに倒れ込む事になってしまった。 


「おじいちゃん!」

「お前はわしと一緒に来るんだ。他のものはその悪ガキを檻へ入れておいてくれ」


 俺を殴った老人は、そのまま少女の手を取り来た道を戻っていく。

 

「いや、離してよ! エミル! エミルー!」


 無理やり連れて行かれる少女の後ろ姿を呆然と眺めていると、残っている村人にこれまた何故かロープで拘束されることに。

 え、いったいどういう状況?

 その後いろいろと弁明をしてみたものの、わけもわからない内に村の檻の中へと入れられてしまった。

 いや、ホントに何これ。

 わけのわからないまま押し込まれたのはオンボロ小屋で格子で覆われた一室だった。

 それは牢屋と呼ぶにはあまりにお粗末なもので、格子は鉄ではなく木製の物。

 その気になれば簡単に扉を破壊して出ていけるようにも思えるが、道具もなけれ両手を後ろで縛られているこの状況ではどうしようもない。

 蹴り破るという方法もなくはないが、手を縛られた状態で逃げたところでまたすぐに捕まりそうだ。

 だったら下手に逃げようとして印象を悪くするよりも向こうが開放してくれるのを待ったほうがいいだろう。

 こんな場所に監禁するぐらいなのだから、きっと命までとろうとは思っていないはず。

 思っていない……よな?

 まぁ、そのへんは考えても仕方ないしなるようになるだろう。

 出来ることもないし寝てしまおうかな。


「おい、起きろ」


 目を閉じ横になろうとしたところに声をかけられ、誰だろうと声の主を探すが姿を確認することはできなかった。

 なんか聞いたことがある声だけど誰だ?


「どこを見てる。ここだここ」

「いったいどこに……うわっ」


 突如として背後に現れた少女、もとい神様。

 さっきまで確実に俺一人だったのだが、いったいどこから……いや、神様なんだからどこからでもわいて出てくるのかもしれない。


「今失礼なこと考えただろ」

「……」


 いくら神様でも心を読むのはプライバシーの侵害なんじゃ。


「そんなことは知らん」

「いや、勝手に俺の心と会話しないでくださいよ。というか何か用なんですか? もしかして助けてくれるとか?」

「こんなことで一々助けに来るわけないだろ。オレたちはそこまで暇じゃないし優しくもない」

「ですよねー。じゃあ何しに来たんですか?」

「お前がとんでもないことしてくれたからその尻拭いに来たんだよ!」


 そういって手鏡を俺へと向ける神様。

 なんのことかわからず鏡を覗き込むと、そこに写ったのは


「えっ、誰これ」


 俺とは違う、全く別人の顔だった。

 あれ、でもこの顔どこかで見たことがあるような……


「お前が転生するのが早かったせいでオレのやった加護がそいつに働いてしまったんだよ。全くホントに面倒くさいことをしてくれたな」

「そんなこと言われても何が何だか……あっ、これてもしかしてエミルってやつの顔じゃ……」

「だからそう言ってるだろ。とりあえずお前だけと話してもしょうが無いから会いに行くぞ」

「会いにってどこ……」


 言葉を遮るように眼前に人差し指を突きつけられ、額を一突きされると俺の意識はふっと消えるように途切れた。

 いや、少しくらいは説明してくれよ!

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