永訣の天涙

@shibachu

永訣の天涙



 竜と剣をモチーフにした紋章の彫られた豪奢な馬車が重たい足取りで峠を越えようとしていた。随伴する二十騎ばかりの騎士たちは一人を除いてまだ子供といった年格好だ。ただ一人の例外である男の髪は白く、顔には苦悩に満ちた皺が無数に刻まれていた。

 老騎士は馬車を、馬車に彫られた王家の紋章を見つめた。先ほどから降り出した小雨が馬車を濡らしている。祖国を守る竜が泣いているようだ。またひとつ皺が増える思いだった。

 一行は頂に差し掛かった。峠を越えてしまえば王宮を目にすることはもう適わぬ。老騎士は馬を止め振り返った。灰色に濁る空の下、深く繁る緑の闇の中に、七十年の人生を過ごしたはずの宮殿はひどく小さく見えた。

 なにゆえ共に死なせてくださりませんでしたか。慚愧に満ちた瞳に映る王宮の主へ老騎士は無念をぶつけた。今からでも遅くはない。老い先短いこの命、一人引き返し最期の時を望む場所で迎えてもよいではないか。

 しかし、苦渋に歪んだ王の顔が思い浮かんでは、その考えを打ち消さんとせめぎあうのだった。妃と皇子を頼む、そなたしか頼めるものはおらん。手を取って直々に請われては、主命に背くことができようか。

 一人の若い騎士が、思い詰めた様子の老騎士のもとに馬を寄せた。

 雨で滲んでのう、お城がよう見えんわい。老騎士はそう零すと馬首を返して隊列に戻っていった。

 天を見上げる。昏い雲に覆われてはいるものの、雨はすでに上がっていた。

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