第二五三編 「貴方のために」

「あっ、諦めないのが桐山きりやまさんだけだなんて思わないでくださいっ! 私だって……! 私だって真太郎しんたろうさんのこと諦めるつもりなんてありませんからっ!」


 七海ななみ妹のそんな声が、やけに遠くに聞こえた。視界の隅で、金山かねやまがやれやれと言わんばかりにため息をつくのがぼんやりと見える。

 それ以外、つまり俺の意識の大半は目の前に立つ美しい少女に――七海未来みくに向けられていた。


「……誰も彼も、諦めが悪いようね」


 七海が決して大きくはない、しかし透き通るように綺麗なその声で俺に話し掛けてくる。


「恋愛のことしか考えていない美紗あの子がたった一度断られたくらいのことで久世くせくんのことを諦めるわけがないとは思っていたけれど……まさか桐山さんも同類そうだとは思わなかったわ。幼馴染みでも、貴方とは随分違うのね」

「……お前が言うな。そっちこそ妹や真太郎おさななじみと似ても似つかねえくせに」

「それもそうね」


 瞑目し、彼女はふわりと微笑を浮かべる。……どうやらこの様子だとこの姉妹もどこかから真太郎しんたろう桃華ももかの会話を聞いていたらしい。まあ本郷さんあの人がついている以上、今さら驚くようなことでもないが。


「――私は、貴方の方が正しいと思うわ」

「!」


 突然そう言われて思わず目を丸くする俺に、お嬢様は「あくまで私見だけれどね」と付け足してから続ける。


「私には恋愛なんて分からない。あれほど手酷く袖にしたはずの久世くんが未だに私との交際を諦めない理由も、そんな久世くんから『付き合えない』と断言されてなおも食い下がる美紗みさの気持ちも理解出来ない。それなら小野おのくん、貴方のように想いを告げず、方が合理的だと思う。抱いた好意を伝えなければならない法も道理もないのだから」

「……」

「その点に限れば貴方は賢い……いいえ、さかしい、と言うべきなのかしら。貴方は周囲の関係を〝変える〟ことはしても手ずから〝壊す〟ことはしないもの。彼らを〝他人〟から〝知人〟に、〝知人〟から〝友人〟に変えることはするけれど、貴方自身の〝想い人〟は〝想い人〟のまま。今の関係から進展することはないけれど、だからこそ壊れてしまうこともない」

「……いつになく饒舌じょうぜつだな、お前らしくもない。わざわざそんなこと言いに来たのかよ」


 けなされたわけではないが、かといって手放しに褒められたわけでもないようだ。……本当にらしくない。基本的に俺を含めて他人ひとに興味などない彼女が、こんなふうに他人同士の関係について語るなんて。


「……そうね」


 七海は自嘲するように呟き、再び俺の顔を見た。


「……私は、貴方が正しいと信じたことを信じなさいと言ったわ」

「! ……ああ」

「貴方はいつも自分の能力以上のことをしようとして無茶をするから……自分の手が届かないところまでなんとかしようとし過ぎだと言った。そうやって自分を傷付けるのはやめなさいと……そう言ったわ」

「……ああ」


 それはすなわちち手を尽くしたなら、あるいは俺の言いたいことを言ったなら、その結果までコントロールしようとするなという意味だ。

 俺が真太郎に本音でこたえてやれと言ったのは桃華に正しい失恋をさせるためだった。しかし現実の桃華は失恋程度で己の恋を諦めたりせず、傷付きながらももう一度立ち上がっている。それは俺が想定した結末ではない。けれど同時に桃華と真太郎の溝を広げ、友としての居場所まで奪ってしまうという最悪の結末を迎えたわけでもない。


 そしてそれはある意味、俺が望んだ結末そのものである。

 桃華が真太郎に自分の想いを伝え、かつ二人の――否、俺たち三人の友情が崩壊することもなく。

 俺が正しいと信じて出した結論は、俺が意図しない形で作用し、俺の望んだ結末を現実のものとしたのだ。


「――その上で、もう一度言わせてもらうけれど」


 俺の知るる限り誰よりも聡明な彼女は続けた。


「私は貴方の選択の方が正しいと思っている。現に貴方は経緯はどうあれ、最終的には自分が望んだ通りの結末を迎えている。それは貴方が彼らのことを――久世くんと桐山さんのことを真剣に考え、悩んだからこそなのでしょう。私だったらこうも上手くはいかないもの」

「……なにが言いたいんだよ」


 言っていることを真に受ければ褒め殺しだ。けれど彼女の口調はやはり俺のことを手放しに褒めているようなものではない。

 七海はその黒い瞳で俺のことを見つめながら淡々と言う。


「言ったでしょう。私は貴方の最後を――決断を見届けに来たと。真剣に考え、悩むことの出来る貴方には……最後にもう一度だけ考え、悩む余地があると思ったから」

「……だから、なにをだよ」

「貴方自身のことを、よ」


 ――そう言われて、なんとなく気が付いた。

 俺の背中を押した彼女のあの言葉は、本当はそういうつもりで言っていたのではないかと。


「小野くん、貴方は本当にもう〝諦め〟がついているの? 本当にこのまま最後までその想いを――桐山さんへの想いを、伝えないままでいいの? 最後くらい――」


『最後くらい、貴方は行動してもいいのではないの?』

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