第二五一編 諦めた者、諦めない者

悠真ゆうま……ごめんね、ありがとう」


 桃華ももかの側を通り過ぎる瞬間、彼女は消え入りそうな声でそう言った。

 きっと特別な意味はない。えて言葉を補うなら「『気を遣わせて』ごめんね、『二人きりにしてくれて』ありがとう」といったところか。少なくとも真太郎しんたろうのように、俺の心情を察してのものではないはずだ。


「――気にすんなよ。アレだ、早く帰らないと観たいドラマが始まっちまうからだよ」


 だからこそ俺は演じる。脇役らしく振る舞う。多少わざとらしいくらいがいい。ここで「なんのこと?」なんてシラを切ろうとすると、優しい彼女は逆に気にしてしまうから。

 演じるんだ、得意だろう。自然に、なんでもないことのように振る舞え。端役おれの役目はとうに終わった。


 だから、これが俺の最後の演技。

 この恋愛劇の中で唯一、最後の最後まで騙し通さなければならない彼女に向けて――俺は言った。


「明日のバイトは、三人全員揃うといいな」





「……格好カッコ、つけすきじゃないの」

「……つけてねえよ。つーかなんでお前までここに居んだよ」


 二人を置いて通りのかどを曲がってすぐのところに立っていたその女――金山かねやまやよいに、俺はむすっとした顔を作りながら答えた。


「……もしかして桃華がここに来たの、お前の差し金か?」

「違うよ、完全にあの子が自発的に動いた。ったく、今まで散々うじうじしてたくせに……フラれてから行動的アクティブになるのはどっかの片想い馬鹿だけにしてほしいよね」


 皮肉のようにそう言った悪魔ギャルは、しかし言葉とは裏腹にとても真剣な瞳で俺の目を見つめてくる。


「……アンタさ、久世くせ話したの?」

「! ……全部じゃねえけど、一通りは」

「やっぱりそうか。あんな勢いで教室まで桃華のこと探しに来たから絶対屋上うえまで行っただろうなとは思ってたけど……それだけじゃあのイケメンくんが『もう一度話をさせてほしい』なんて言い出すはずないもんね」


小野アンタになんか言われたって方が自然だ」と言いながら、金山はやはり俺のことを見つめ続けている。……以前と比べれば苦手意識も随分薄れたものの、こうして見られると妙な緊張感を覚えてしまうな。


「……用がないなら行く」


 雑談に興じるような気分でもない俺がさっさと離脱しようとすると、彼女は「待ちなよ」と背中から俺を引き止めてきた。


「あの後、七海ななみさんから話は聞いたんでしょ?」

「……」

「だったら――アンタなら、桃華あの子がなんのためにここに来たのか……もう分かってるんじゃないの?」

「……」


 俺は答えないまま、なんとなく夜の空へ視線を逃がす。

 やはり曇天そこには、月の光も星の輝きもありはしなかった。



 ★



 遠ざかっていく少年の後ろ姿が、真太郎の目にはなぜかひどく小さく映っていた。

 矮小わいしょうに見えたわけではない。むしろとても立派な背中だった。それでも小さく感じたのは――去り際、彼が密かに拳を握り締めていたのを見てしまったせいだろうか。


『最後まで、きっちり向き合ってやってくれよ』


 ……彼はその言葉をどんな気持ちで言ったのだろう。すごく無理をしていたのではないか、あるいは胸の痛みをこらえながら言ったのではないか。

 真太郎には彼のすべてを察することなど決して出来ないが……少なくとも目に見えているほど、彼ははずだ。

 彼は、最後までいた。きっと今までもあんなふうに、なんでもないようにいたのだろう。事実、真太郎は彼が胸に抱えている気持ちにまったく気付くことが出来なかったのだから。


「……」


 真太郎は静かに、正面に向かい立つ少女へと視線を動かす。……当然、彼女の視界には映っていないだろう。真太郎の視界の最奥、通りへ抜ける道を歩き去っていくあの小さな背中は。そのことが少しだけ悔しくて、可哀想に思えてしまって――しかしすぐにかぶりを振って、その傲慢な考えを放り捨てる。


「(それは……見当違いだ)」


 もしも。

 もしも悠真ゆうまが誰かに強要されてあのような行動をとっていたのなら、あるいはなにかああせざるを得ないような事情を抱えていたのならばともかく。

 彼は自分で選択したのだ。数ある選択肢の中から、きっと幾度も思い直す機会があって、それでも最後までああしてことを選んだのだ。

 であれば――真太郎が勝手に彼に同情するのは失礼だ。真太郎じぶんがどう感じようとも、彼が後悔していないと言うのなら。


「(僕に出来ることはただ一つ――)」


 最後まで彼女と――桃華と正面から向き合うことだけだ。


「……それで、話ってなにかな……?」


 緊張の面持おももちで、真太郎は桃華の瞳を見据えた。自分が傷付けてしまったせいで泣き腫らしたように赤くなっている彼女の目を。


「……」


 桃華は一度目を閉じると――そして決意を秘めた表情で真太郎のことを見つめ返してくる。


「真太郎くんは……七海さんのことが好きだって言ったよね」

「! ……うん」


 直球の問いに一瞬動揺してしまうも……しかし、もう優しい嘘で誤魔化すようなことはしない。真太郎は控え目に、それでもしっかりと頷く。


「それは……その気持ちは、今でも変わらないの?」

「えっ……?」

「……ごめんね、私聞いちゃったんだ。真太郎くんが今日の朝……その、七海さんに……」

「あ、ああ……」


 言いづらそうに言葉を濁した桃華の質問の意図を理解する。要はフラれてしまった真太郎は今でも未来みくのことが好きなのか、ということだろう。


「……正直に言えば、一度はもう諦めてしまおうかとも思ったんだ」

「!」

「未来には僕なんかよりずっと相応ふさわしい人が居て……絶対に敵わないと思ってしまったから」


 それが誰のことなのかは、桃華だって気付いているだろう。彼女はわずかに眼球を動かしてちらりと後方に意識を向けた。


「――だけど」


 真太郎は声を張ると、胸の前まで己の拳を持ち上げる。


「やっぱり僕は未来のことが好きだ。また昔のように彼女が笑う姿を見たい。未来のことを幸せにしてあげたい――今度はじゃなく、僕自身の手で」


 真太郎は彼――悠真のことを一人の友として心から尊敬している。未来みくを救い、真太郎じぶんを正し――桃華のために尽くせる彼のことを。今でもかなわない相手だと思う。そしてそれは、きっとこの先もずっと変わらないのだろう。


 けれど同時に、彼のようにはなれないとも思った。

 彼のように影に徹し、恋い焦がれた相手の幸せを遠くからただ見つめていることなど出来ない。それがどれほどとうとい行為であると感じようとも――愛する相手の隣に立つのは真太郎じぶんであってほしかった。

 未来の幸せだけでなく、己の恋の成就まで願う。悠真の自己をかえりみぬ献身を思えばなんと醜く、そして欲深いことか。


 それでも、取り繕うのはもうやめだ。外面を綺麗に保つばかりでは手に入らないものがある。嘘では誤魔化しきれないものがある。

 真太郎がそっと口角を引き上げると――彼に打たれた頬がジンジンと熱を帯びた。


「……そっか」


 呟き、桃華が静かにあごを引く。……また、傷付けてしまっただろうか――覚悟をしつつも、真太郎が唾を飲み込む。



「――でも、私も諦めないよ」



「……へ?」


 顔を上げた桃華の一言に、真太郎は思わず間抜けな声を出してしまった。

 対する桃華の表情は真剣そのもので、腫れた目元には確かな決意が見てとれる。


「真太郎くんが七海さんのこと諦めないように、私も真太郎くんのことを諦めない。一回フラれたくらいじゃ、諦められない」

「も、桃華? あ、あの――」

「だって!」


 有無を言わせず、桃華が珍しく大きな声を上げた。


「だって私は真太郎くんのことが大好きだから」

「――!」


 彼女が放つある種の迫力に、真太郎は大きく目を見開く


「……私はまだまだ真太郎くんのことたくさん知りたいし、真太郎くんに私のことを知ってほしい。この恋が今すぐ叶わなくたっていい。真太郎くんが七海さんのこと好きでも、それは私が真太郎くんのことを諦める理由にはならない」


 彼女はきっと無理をしているのだろう。真太郎のよく知る桐山きりやま桃華は七海姉妹ほど堂々とした性格の持ち主ではない。修了式の時と同じくらい、その頬は真っ赤に染まっている。

 それでも桃華はただの一度も目を逸らすことなく――真太郎をまっすぐに見つめて言った。


「失恋したくらいじゃ、私の恋は終わらないから」


 ――空気越しに、彼女の熱意が伝わってくる。

 その熱に当てられてしまったのか、朝から降り続いていたはずの雪はいつの間にかぴたりとんでいた。

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