第一七九編 「……ありがとう」

『グオオオオオオオオオオッッッ!!』

「「キャアアアアアアアアアアッ!?」」


 わざとらしく音割れしているスピーカーから流れてきた怪物じみた雄叫びに、俺と久世くせは半ば抱き合うようにしながら悲鳴を上げた。

 録音してある音声だと分かっていながらこんなに怖いのは、ここが薄暗く、そして所々からどこか粘性を感じる水滴音――おそらく人間の血液――の響いてくるお化け屋敷の中だからだろう。

 周囲は牢獄の鉄格子が立ち並び、鍵の外れた、あるいは何かで切断されたかのような足枷あしかせがそこら中に散らばっている。おそらくはここにとらわれていた者達が脱走した、という設定を記者おれたちに植え付けるための舞台装置セットだろう。


「すっごぉ……! 見てみて悠真ゆうま! 足! 誰かの足落ちてる!」

「バババババ馬鹿野郎桃華ももかっ、誰の足だそれ!? ももも元あった場所に返してきなさい!? めっ!」

「お、落ち着いて小野おのくん!? 落ち着いて、まずは一一〇番を!?」

「おおお前が落ち着けよ久世っ!? ここが警察だろ!? 電話したってどうしようもねえよ!?」

「二人とも落ち着きなさい。ここはあくまで刑務所、というより監獄よ。警察とはまた別の組織でしょう。それに足が落ちていたなら一一〇番じゃなくて一一九番よ。早く電話して――一刻も早くここから救助してもらいましょう」

「冷静っぽく言ってるけどお前もだいぶ混乱してるだろ七海ななみ!? つーかお前なに目閉じてんだよ!? 怖いからって文字通り目を背けるな! あと俺のカバンのベルトを握るんじゃねえ!?」


 お化け屋敷の製作者が見たら喜びそうなくらいにビビる俺たち。そんな中、唯一余裕そうな桃華がふと不思議そうに首をかしげた。


「ねえ、なんだろう、あれ?」

「え? あー、あれだろ、リタイア用の出口」


 桃華が指差したのは、ウォークスルー型ホラーハウス特有の扉だった。要するに「怖すぎてこれ以上進めない!」となった人がギブアップするためのものだ。

 これが普通のお化け屋敷なら、あれだけ長いこと並んだのに最後まで行き着かないなんて勿体無いと思うところだが……正直今はめちゃくちゃ魅力的に映る。いや、それでもリタイアなんかしないが。


「(仮にも桃華の前だぞ、俺……これ以上情けないところなんか見せられるかよ……!)」


 なけなしの男気プライドを振り絞り、ふんす、と気合いを入れ直す俺。

 しかしその後、時折叫びながら数分歩いたところで現れた看板を見て――絶句した。


『――むっ、道が分かれているぞ。それぞれのリストバンドに対応した色の扉の先へ進もう!』


「(ここでまさかの孤立ひとりぼっちーーー!?)」


 俺たちの目の前に現れたのは赤、青、黄、そして緑の四色に色分けされた扉だった。看板を中心として赤と青が左側、黄と緑が右側。どの扉も、ご丁寧な血みどろ仕様に仕上げられている。

 リストバンドは、お化け屋敷に入る直前に案内のお姉さんに渡されたものだ。こちらも同じく赤、青、黄、緑の四色に分かれていて、同じ色の扉を潜って先へ進め、ということらしい。


「な、なるほどなぁ……よく出来てるなぁ……確かにこれなら、入る度に違うルートで楽しめるもんなぁ……」

「そ、そうだね、はは……」


 震える声と死んだ瞳で空笑いする俺と久世。

 きっとこの先では例の殺人鬼やら闇医者やらがそれぞれ待ち構えていて、各ルートで違った演出がなされているのだろう。大したり様だ。


「でもこれ、家族連れとかどうすんだろうなぁ……一人ぼっちになったら子ども、泣いちゃうんじゃないかなぁ……」

「だ、大丈夫なんじゃない……? たぶんその時は案内のお姉さんが親と同じ色のリストバンドを渡すんだよ、きっと……」

「……なるほどなぁ……よく出来てるなぁ……」


 先ほどの男気プライドはどこへやら、先へ進みたくなさすぎてどうでもいい話で持ちこたえようとする俺。

 しかしそんな往生際の悪い時間稼ぎは、この場で最も男気に溢れた幼馴染みの一言で粉砕された。


「じゃあ私青だから、青の扉に行ってきます!」

「ちょっ!? だ、大丈夫かい、桐山さん!? 一人なんだよ!」

「うん、大丈夫!」


 久世の心配する声に満面の笑みで振り返った彼女は、ビビり倒す俺たち三人にグッ、とサムズアップしてみせる。


「――生きて、また外で会おうね」

「(なんだコイツ無駄にかっけぇっ!?)」


 でもそれ死亡フラグだけど! と心の中で叫びながら、青の扉の向こう側へと消えていく幼馴染みを見送る。……アイツ、本当にまったく怖がってなさそうなんだけど、お化け屋敷のなにを楽しみに来てるんだろう……。

 そんなことを考えていると、久世もまた自身のリストバンドに対応する赤の扉へと進み出た。


「! お、おい久世!? お前も行くのかよ!?」

「……うん。僕も、先へ進む」


 久世はこちらを振り返ることなく赤い扉を押し開き、しかしその横顔に確かな決意の色を浮かべる。


「桐山さんが……女の子が臆することなく立ち向かっているのに――ぼくが逃げるわけには行かない」

「(コイツも無駄にかっけえええええっ!?)」


 でもそれ最終話目前で女の子を庇って死ぬ奴の台詞だけど! と心の中で叫びながら、出会ってから一番格好いい台詞を残して消えていったイケメン野郎に震える。


「(……なんなの、ここただのお化け屋敷だよな? なんであんなイケメンなのあいつら? もういいからイケメン同士でさっさとくっつけよ。そしたらわざわざこんな怖い思いしなくて済んだんだよ俺は)」


 自分から遊園地で遊ぶことを提案しておきながら、なんとも身勝手な言い分だった。恐怖で少々錯乱しているらしい。

 さて、残されたのは俺と七海の二人だけだ。


「……大丈夫かよ、お前は」

「……なにがかしら」


 その気丈な返しに隣を見ると、お嬢様はいつも通りの無表情を浮かべている……が、俺のカバンのベルト部分を握る小さな手は、ふるふると小刻みに震えているように見えた。

 俺がそれにのだろう。七海は俺のカバンから手を離し、そっと後ろ手を組む。

 そんな強がりな彼女に、俺は自分の恐怖心がわずかに薄れていくのを感じた。自分より怖がっている彼女を見て冷静になったのか、それとも――。


「……俺も、この先へ進む」

「……!」


 七海の瞳にほんの少しだけ、絶望の色が宿る。それでも「……そう」と無機質な一言を呟くだけで済ませてしまうのは彼女の強さか、あるいはか。

 俺は強がりな彼女に背を向けて自分の色と同じ扉の前まで進み、彼女の顔を見ないようにしながら言った。


「――そこに、リタイア用の扉がある」

「!」

「こっから先は一人で進むんだから、誰か抜けても分かんねえよな。……だからなにってワケじゃねえけど」


 我ながら素直じゃない言い方になってしまい、気恥ずかしくなってさっさと先へ進もうと黄色の扉を押し開ける俺。

 なんとなく生臭い黄色ルートへ入ったところで背中から何か呟かれたような気がしたが――錆び付いた音を立てて閉まりゆくドアとガシャンッ、と鉄格子を叩くような音に遮られ、それを聞き取ることは叶わなかった。

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