第5話 問題集を物色する休日

 今日は休日だ。


 それでも仕事が溜まっていたから、朝から来週困らない程度に仕事を片付けて、午後からはのんびりしようと中央棟にある図書室へ立ち寄り、問題集の並んだ棚を物色する。


 この棚にある問題集の背表紙を見ながら、大方解き切ってしまったなと残念そうな顔で見ていると、兄の架名がやってきた。


「珍しいですね、兄さんがこの区画に来るなんて」


 ここら一帯は、参考書やら問題集やらが並んでいる。王宮内で育つ子供達や文部科学省が教育内容を見直し選定改定する為に集められた学業に関わる問題集から、資格取得の為の問題集など、様々な種類の本が並んでいたが、普通の人はまず寄り付かない。


 理由は説明するまでもなく明白だ。学校を卒業した人にとっては問題集など用はないということもあるし、単純に学生の頃苦しめられた問題集なぞもう見たくはないという思いもある。とにかく人が立ち寄るような場所ではなかった。


「未沙姫が苦手な単元があって、ちょっとそこの部分を補強しようかと。りなこそ、また問題集を探してたのか?勉強ばっかりしてないで、ちょっとは小説を読むとか、テレビを見るとか、談話室にいる暇な兵とゲームでもして遊ぶとか、何か休日らしいことしたらどうなんだ?」


「休日なので、問題集でも解いてリフレッシュしようかと」


 何かおかしい言葉が聞こえた。


 通常耳にしない言葉の羅列を聞いた気がする。が、弟はこれが平常運転だ。架名は頭が痛いとばかりにこめかみに指を当てた。


「りな、それは普通の人がするリフレッシュ方法じゃないぞ」


 この弟、宮木りなは、国内でも1、2を争う天才児と名高い頭脳明晰ずのうめいせき振りだが、奇人と天才は紙一重という言葉通りに普通の人とはズレた感覚を持っていた。


 そのさいたるものが、問題集を解きながら様々な傾向を分析するのが趣味という、ちょっと凡人には理解しがたい趣味を持っていることだ。


 その為、自室の本棚にも問題集がこれでもかと並び、休日になるとこうして更に多くの問題集がずらりと並ぶ図書室や書庫に顔を出しては新たな問題集を探すべく物色ぶっしょくしに現れるのである。


「僕にとってはリフレッシュになるのですから、問題ありません。そもそも、この時間のテレビはろくな番組を放送していませんし、談話室で無為に時間を過ごすのも時間の無駄でしょう」


 つまり学習のない時間の使い方は人生において無駄だと言いたいのか。


 その無駄かもしれないやり取りの中に、人付き合いの重要な要素や、人生を彩るものも含まれているのではないかと架名は思うのである。


 だが、いつまで経ってもどれだけ諭してもこの弟には伝わらない。この弟の心は仕事と問題集に占められていて、他は存在しないのではないかと最近思うようになってきた。


「りな、机に向かっているだけじゃ学べないこともあるんだぞ?」


「例えば?」


 そう聞かれると、返答に窮してしまう架名だ。こんなこと、と提示してやれるような事柄が簡単には思い浮かばない。


「友情、とか?」


「人を信じられない僕にそれが理解できると?」


「恋愛、とか?」


「興味ありませんね。そもそも、女性という生き物は良く分からないので近寄りたくもありませんし」


 取り付く島もない。


 とにかく人嫌いな弟だ。コミュニケーションが取れないというわけではないはずなのに、この避けよう。出来の良い弟の一番心配なところだった。


 架名の余分な話に付き合うのも時間の無駄だと思ったのか、当初の目的を思い出させるように話を振る。


「それで?未沙姫の苦手な単元はどこです?」


「ああ、化学式を組み立てる問題なんだけど。レベルとしては高校2年生の単元で」


「でしたら・・・・・・この問題集はおススメです。基礎から応用、引っ掛け問題まで載っていますから、結構実力がつきますよ」


 どの問題集にどんな問題が載っているか、その本の置かれている位置まで正確に把握する弟に、架名は呆れ果てたように息をついた。


 この執着心と記憶力、もう少し有益な方に向いてくれないだろうか。


 手渡された問題集をペラペラとめくって、架名はりながおススメだと言ったことに納得する。確かに、基礎から応用まで順番に載っていて、分かりやすい。


「それにしても、今日は休日なのでカリキュラムもないでしょうに。未沙姫の勉強、遅れているんですか?」


 架名が未沙の教育係としてカリキュラムを組んでいる。本人の進み具合で随時変更するオーダーメイドなカリキュラムなので、落ちこぼれることはない上、本人の特性に合わせて得意分野を伸ばすことが出来るのが最大の利点だ。


「昨日、小雪さんに警護部の支出報告書確認とこの間の会議の議事録チェックを積まれて、締め切りが当日中とか無茶言うから、未沙姫の家庭教師そっちのけで片付けたせいで遅れちゃって。書類片付け終わって解かれた問題見たら、見事に真っ赤っ赤だったから、これはマズイと思って今、補講してるんだ」


「警護部の支出報告書、それで昨日見当たらなかったんですね。あの部隊、いつものことですけど報告書の提出が遅いんですよね。訓練ばかりで頭の中まで筋肉が詰め込まれてるんじゃないかと思うのですが」



 『兵』と一言で言っても、この国には大まかに3種類の性質を持つ兵士がいる。


 一つは宮廷兵士と言われる王宮に関連した警備、警護を担当する部隊。


 特に警護部隊のエリートコースと言われ一番有名なのは警護第1部隊の王族専属護衛部隊。特例法の使用が認められ、一般的にボディガード部隊と言われるのはこの部隊のことである。


 二つ目は特殊技能兵士と言われる国に関連した特殊な状況に対応するための部隊。


 第3部隊の凶悪犯罪に出動する機動部隊、SPRTスプリット(surprise press team)が有名で、他にスパイを専門とする部隊等々、国の闇の部分を受け持つ部隊も多く存在する部隊である。


 3つ目は軍属兵士と言われる、陸、海、空軍に所属する部隊。


 戦争や紛争が起きた際、第一線に出向く部隊だが、平和な今の世では、もっぱら災害救助が主な活動内容になっている。


 その中でも、王宮内で身近に感じるのは宮廷兵士である。


 警護第1部隊は架名やりなも所属している部隊だが、特例法使用が認められた王族専属のボディガードということで、訓練の量も質も他と比べて段違いに多く、筋肉質な体つきをしている者が多い。二人は一般男性よりは多少筋肉質だが、その中にあると華奢な印象すら受ける程である。


 そんな部隊なので、書類仕事は苦手な人間が多い。体を動かすことにばかり集中するので、デスクワークが不得意な人間が集まりやすいのだ。



「まぁそう言うなよりな。デスクワーク苦手な人達が頑張って作った報告書なんだから」


 落ち着いて机に向かって黙々と報告書を作るなんて、あの人達には苦行くぎょうだろうなと架名は思う。とにかく動くこと専門な人達だ。事務仕事は向かない。


「デスクワークって言う程の報告書じゃないでしょう、あれ」


 領収書を貼り付けて、支出表にいつ何をいくらで買ったかを記載するだけの単なる作業だ。頭なぞ使わない。しかも、その都度つどやっていれば締め切り間際に慌てふためくこともない。


 まぁ、それがコツコツ出来る人達ではないから間際まぎわになって大慌てするのだが。


「デスクワーク出来なくても問題ない部署の人達だから、大目に見てあげてよ。さて、俺は未沙姫の所に戻るかな」


 いつまでも自習させておくわけにはいかない。それでなくとも今日は補講という位置づけで勉強させているのだ。


 りなが選んだ問題集を手にして図書室を出ていく。それを見送って、りなは再び静かになった図書室で問題集を物色ぶっしょくするのだった。



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