第5話
一度、習慣にしてしまったからだろうか。
真奈美は無意識に、斜め前の背中に目を向けている自分に気づく。
いけない、と思う。
浩平は真奈美が見ていたことに気づいている。直接、非難はしなかった。
しかし、今でも時折、視線がぶつかる。探るような目だ。
──絶対、嫌われたんだ。
四六時中、観察されれば、誰だってストレスだ。
真奈美は恋愛未経験者だから、本来、片思いの人間が守るべき流儀を守っていなかった可能性もある。
和美に言われたとおり、二週間、家に帰ると浩平を観察し、気づいたことをノートにまとめ続けた。
浩平が見た目で随分損していること、浩平の兄が剣道部の主将であること。数学が得意で、国語が苦手っぽいこと。ちょっと表紙がエッチな青年向けの漫画をこっそり持ってきていること。パスケースには、水着のグラビアアイドルの写真が入っていた等々……。
──どうしたらいいの?
もともと。好かれようとは思っていなかった。なんといっても疑似恋愛だ。
真奈美自身の『気持ち』も、『好きになった』つもりであって、恋をしたわけじゃない。だって、胸がキュンキュンしたりしていないから。
それなのに、嫌われたと思ったとたんに、胸の奥が重く感じるのは何故だろう。
もともと、仲が良かったわけでもない。嫌われたと言っても、これ以上、迷惑をかけなければ、浩平は真奈美を非難したりするタイプの人間ではない。気にしなければ済む、それだけの話だというのに、真奈美の心は重く、晴れない。
昼休み。
昼食を急いで終えると、真奈美は教室を出た。
昼休みには、最上雪奈が高確率で浩平に会いに来る。
もう目で追わない、と決めているのに、ふたりが話をしていると、つい見てしまう。
──ちょうど、図書委員の仕事があってよかった。
頭がいろいろグルグルしているときは、そこから離れたほうがいい。
真奈美は、図書室のカウンターに座った。
大急ぎでお弁当を食べてきたから、昼休みの当番時間より、少し早い。そのせいか、入り口近くのカウンターからは、図書室が見渡せるが、まだ、生徒の姿はなかった。
カウンター脇には、新着の本、それから司書の先生が選んだ推薦図書の棚。すぐ手前には、学習系の漫画の棚があって、その奥は、ライトノベルの棚がある。
真面目な分厚い参考書のコーナーに比べ、圧倒的に貸し出し率の高い棚だ。最初、学校の図書室にライトノベルがあることに真奈美は驚いたが、真奈美としては嬉しい。
夏の盛りや、真冬には、冷暖房が完備されている図書室はとても人気なのだが、この時期は、常連さんしかほぼ来ない。もっとも、人気、といっても、カウンターに列ができるほど、貸出業務がにぎわうことはまずないのだが。
ガラン、と図書室の扉を開く音がした。
「あ」
真奈美は思わず、声を出して驚く。
浩平だった。
浩平の方も、真奈美の顔を見て驚いているようだった。たぶん、真奈美が図書委員だということを知らなかったのだろう。
真奈美は、ぎこちなく微笑み、手元に視線を慌てて戻す。
なんとなく、落ち着かない。
意識しないように、真奈美は手元にあった日付のスタンプを確かめるふりをする。
それでも、目が泳ぐように浩平の方を向いてしまう。
浩平は、きょろきょろと頭を動かしながら、カウンターのそばから離れていかない。
──ああ、そうか。
真奈美は、気が付いた。浩平は、図書室にあまり来ないから、借りたい本がどこにあるのかわからないのかもしれない。
「どんな本を探しているの?」
「え?」
真奈美から声をかけられるとは思っていなかったのだろう。
浩平は、ビクリとしたようだった。
「あ、えっと。剣道、剣道の本ってある?」
幾分、声が大きかったのに、本人も気が付いたようで、辺りに視線を配る。見かけによらず、やはり気配りのひとである。
生真面目だな、と真奈美は思わずほほえましく思う。
「そこの奥の棚に、スポーツの本はあるよ。剣道があったかどうかは、覚えていないけど」
「ありがとう」
浩平は、真奈美に礼を言って、棚の方へと向かった。
その背は、どこか、いつもよりぎこちない。図書室で本を借りたことがないのかもしれないな、と真奈美は思う。そういえば本を読んでいるところは、見たことがない。とはいえ、教室で読書週間でもないのに本を読んでいる人間って、それほど多いわけじゃない。通学の時間に本を読んでいても、学校では読まないって子もいる。だいたい、浩平は国語は少し苦手なようだが、全体的に真奈美より成績は良い方だ。
図書室に来ないからと言って、勉強をしていないわけでも本を読まないわけでもないだろう。
ほどなくして。
浩平が、剣道の本を一冊持って、カウンターにやってきた。
「沢田、図書委員だったんだな」
貸し出しの手続きをしていると、小さな声で話しかけられた。
「うん」
真奈美は頷く。
「貸し出しは、来週の月曜日までです」
決まり文句を口にしながら、本を渡す。
「ああ」
浩平の強面の顔の口角がわずかに上がる。
それが、浩平の笑みだと気が付いて、真奈美の心臓がドキリと音を立てた。
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