愛しの芳子さん(改)
tokuyasukn
第1話 南小倉駅の公園
今日は日曜日、昼前の11時に訪問すれば、芳子さんの両親が待っておられて、
父上が、芳子さんと昭男さんの結婚を許してくれる。
その手はずになっていた。まだ一時間ある。ベンチに腰を下ろして、音を立てて通り過ぎる長い電車を見ていた。
色とりどりの,春の花がいっぱいのこの公園はともかく、……駅前のこの町のなんと
騒がしいことか。佐賀の田舎で生まれ育った彼にはなじみがうすい。
事務員服の女の人が彼を見つけてやってきた。
彼は膝の上の風呂敷包みを抱えなおした。
さっき買った菓子の包みと別に、もうひとつ平たく角ばった重いものが加わった。
花壇を眺めながら鳩に餌をやっていると、女の人が配達用の袋から大きな風呂敷包みを取り出して、手提げ袋に入れて彼に渡した。
『ここにいたんですか。色が着いてとてもきれいになられましたよ。後で主人も
お宅へお邪魔しますからね』、口早に喋って、『もう一軒頼まれて急いでいるので
代金はあとでいいです。大事なものですから、ぶつけたりしないで持って帰ってくださいよ』
すぐいなくなった。
何でこんな時に……渡した女の人が何者だったのか, もう見当がつかない。
初対面なのに、昭男さんのことを何も訊かなかった。
写真屋を出る時から少し変だった。写真屋さんの前で見知らぬ男と、昭男さんの方を見ながら話をしていて、わかりましたという風にうなづいていた。
昭男さんは二人とも知らない。
この町には自分によく似たひとでもいるんだろうか、不思議なことがあるもんだ。さっきの男がまだ近くにいて、こっちの様子を伺っている気がする。
あの男は駅前で菓子をもらう時も店内にいた。
日曜日で大安の今日は、芳子さんと晴れて婚約の内祝いである。
芳子さんの両親は栗(くり)饅頭を好きだと聞いていた。
松原家を訪ねるには、和風の菓子折りのほうが形式に合うと教えてもらった。
それならばと、南小倉の駅前の店で大き目の箱入りを買った。
ほどなく昭男さんは、木町にある市場通りを手提げ袋を両手にぶらぶらさせながら歩いていた。
「ララ、ララ、ララ、竹たてかけた、レロ、レロ、レロ、東京特許許可局、キャ、
キュ、キョ、魔術師今、手術中、──」誰かに教えてもらった早口言葉が絶え間なく出てくる。
先ほどと同じ背格好が、後ろから歩いてくる気がしたが,気にしないようにした。
だいぶ年寄りの男で、鳥打帽《とりうちぼう⦆をかぶり、薄茶色の金縁めがね、
顔中にこわごわしたひげがあった。
まさか今頃、芳子さんの相手の小宮昭男という人物の素行調査に動いているわけでもなかろう。
「ララ、ララ、ララ、竹たてかけた、レロ、レロ、レロ、東京特許許可局、東京特許許可局、キャ、キュ、キョ、魔術師今手術中、──」
彼は胸を張るようにして歩いた。
『今日がそう?あなたも大変だねえ』
漬物屋のおばさんが彼を見て声をかけた。
何が大変かわからないが、先方は自分を知っている。
『はぁ、はっ? お変わりなく……儲かりまっか』
大阪商人の調子をまねた軽口が出た。
『まあ、関西弁をはなすのオ.ホホホ!』
年をとったおばさんはニコニコした。
昭男さんは南千里(吹田市/大阪)から北九州市の小倉へ転勤してきた。
地元の人とは芳子さんと一緒にたびたび店の前で会っている。
前にも話をしたおばさんのタイプだが,思い出せない。
『松原さんのお宅は近所でしたよねぇ、この市場の奥の通りの…』
彼女の両親が住む松原家の所在を尋ねた。両親は木町の市場で惣菜(そうざい)屋さんをしているが、今日は店を閉めている。
『あら? 今日は松原さんとこは大変なんだよね』
言っておばさんは、口をつぐんだ。
近所付き合いのある人たちなら、松原家の芳子さんに縁談の話が来たことくらい知っていると彼はかってに解釈した。居合わせた買い物客たちが横目で彼を見た。
商品が豊富で活気があり、にぎやかさで有名なこの市場の買い物客に、今日は
若い夫婦や子供連れが少ないのはどうしたことだろうかと思わなかった。
街の人は自分を知っている…よく似た人が住む街なのであろうか。
この間、芳子さんと長崎の方に遠出した時、この店と隣の魚屋さんに挨拶して
出掛けた。若作りのおやじさんから魚のさばき方もおそわったのだ。
魚屋さんをのぞくと、初老の太ったおばさんが、平たい冷蔵ケースのガラスを
じゃぶ、じゃぶ、何度も水をかけて洗っていた。
魚屋のおばさんも彼を見あげてニッコリした。
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