1999年3月5日

 プリンセン運河通りにあるその建物は、まるで袋詰めされた食パンのように両隣をきっちり挟まれていた。彼女とその一家の2年間にわたる隠れ家生活は、現在は博物館となっている4階建のレンガ家の中で行われていた。


 アンネ・フランクは、ユダヤ人強制収容所で15歳という短い生涯を閉じた。

 生還者の証言によれば1945年3月初めのことで、その数日前に姉マルゴーも息を引き取ったという。ドイツ無条件降伏まであと2か月というタイミングだった。

 優等生でおとなしい姉贔屓の母エーディトは、反抗期のアンネにまるで宿敵のように描かれている。しかし最期まで娘たちをかばい、強制収容所で娘たちと引き離された後は急速に衰弱して亡くなったという。

 そして、唯一の生存者となった父オットー・フランク氏によって戦後出版されたのが『アンネの日記』である。



 アンネと俺との間には、奇妙な縁があると信じている。

 1994年15歳になった俺は、たまたま立ち寄った本屋で彼女に出会った。『アンネの日記 完全版』(深町真理子訳 文藝春秋)である。

 ずっと日記を書いてみたいと思っていた。中学受験に失敗し、両親の期待も友達と呼べる存在もなかった。高校受験に向けて頑張り始めたクラスメートにとって、俺は「中学受験を失敗した人」という比較対象でしかなかった。

 <高いカネ払って受験をさせてやったのに>と俺の顔を見るたびにわざとらしいため息を聞かせる父と、それでも我が子の学歴を諦めきれない母との間で家にも居場所はなかった。自分を責める言葉を知らなかったのだけでも幸いだったのかもしれない。そんな中学生活において図書館と保健室だけが唯一の「隠れ家」だった。

 その消化しきれない感情を吐き出すためにも、日記を書き始めてみてはどうか。そう思っていたある日、自分と同じ15歳の女の子が書いた日記に出会った。


 アンネは15歳まで日記を書き続け、俺は15歳から日記を書き始めた。

 甲府に住む母方の祖母はアンネと同じ1929年生まれであり、79年生まれの俺との間に「50年」というキリのいい数字がある。

 奇妙な縁とはそうした数字的な符合に過ぎないが、アンネとの出会いは「書くこと」との出会いでもあった。その後高校の校内新聞で編集長を努めたり、短編作品を公募に出すようになったのもアンネとの出会い以降のことだ。

 書くことへの情熱をアンネ・フランクからバトンタッチされたという感触は、ペンを握る手の平の中に今でも生きている。



 本棚の裏に隠された階段を登る。古い木の階段は、まるで一歩一歩を刻み込むかのように軋んだ。

 アンネが日記を書いていたといわれる部屋には、窓からの自然光が床に様々な影を落としていた。彼女がカーテンの隙間からそっと眺めた窓辺の外には鈍色の空が広がっていた。


<――太陽の光と雲ひとつない青空があって、それを眺めていられるかぎりどうして悲しくなれるの?>


 アンネが日記につづった言葉には、窓の外への強い憧れが滲んでいる。

 確かに今その窓の外には光があふれている。学びたければ本屋へ行けばいいし、食べたければいつでも満たすことができる。その気になれば自転車一台でオランダから出国することも許されている。

 窓の外には無限に広がる自由があり、受け止め方と反応の仕方さえ間違えなければ、この人生は夢に満ちている。

 だが光が強ければ影は濃くなる。我々は体を動かして学ぶことを非効率的と切り捨て始めている。窓の外には穏やかな日差しが手を差し伸べているというのに、新聞やインターネットが運んでくるヘッドラインの整頓だけでも忙しく、旅の景色を50インチのモニターで疑似体験し、スナック菓子をつまみながらソファから腰を上げようともしない。便利さが「手触り」を奪っているというのに、技術革新バンザイと拍手を送っている。

 言葉も驚異的に増えた。それらは情報を振り分けるための便利なラベルとして増産され続けている。しかしラベルを張り付けただけで分かったつもりになっていないか。

 フリーター、就職氷河期世代、そしてバックパッカー。多少の個性など見向きもされない今において、我々に残されたのは少し拗ねてみることぐらいだ。

 しかしその一人ひとりに唯一無二のストーリーがあり、必死に繋いでいる明日がある。「どこかで見た類型」として処理してしまう日々についても、もう少し注意深く観察してみる必要はないだろうか。二度とないこの一日を無表情で垂れ流し続けるには、人生はあまりにも長すぎる。



 アンネ・フランクについて、<戦争の犠牲になったかわいそうなユダヤ人の女の子>と分かったつもりになっているのなら、一度彼女の日記を手に取ってみてほしい。

 そこには夢見がちで、恋に夢中で、落ち着きがなく、笑うとかわいい前歯のあるおてんば姫があなたとのおしゃべりを楽しみにしているだろう。


 もし老アンネとホットココアでも飲みながら向かい合うことができたなら、どんな会話が始まるだろうか。


<――たった1本のロウソクがどんな暗闇も否定するのを見ていてください>


 彼女は、希望を「持て」とも「忘れるな」とも言わなかった。

 暗闇を知っているからこその力強さが言葉に滲んでいた。

 アンネが暗闇を照らし続けた薄暗い部屋には、雲間からのやわらかい光が差し込んでいた。

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