第23話



 賀喜さんと、今湊さんの衝撃の事実を知り、気まずい空気が流れた。

 しかしそれを壊したのも、空気を作り出した今湊さんだった。


 気が抜けるような音が、場に大きく響く。


「お腹減りましたねえ」


 その音の正体は、今湊さんのお腹から聞こえてきた。

 僕と賀喜さんがそちらを見ると、照れたようにお腹をさすった。


「確かに、お腹が減りましたね。もう、お昼の時間だから、そろそろ屋敷に行きましょうか」


 時計を確認しなくても、僕のお腹も減ってきたから、お昼の時間なのは分かる。


「そうですね。帰りましょうか」


 賀喜さんもお腹が減っているみたいで、特に異論が無く、ベンチから離れた。

 このやり取りのおかげもあり、気まずかった空気は、いつの間にか消えていた。


「おーなか減った。おーなか減った。おーなかとせーなかが、くっつくぞー」


 屋敷に戻るために、先頭を進む今湊さんは、よく分からない歌を大きな声で歌っている。

 その様子からは、お腹が減っているのは伝わってくるが、あまりにも元気すぎるだろう。


 歌が屋敷にも届いていそうで、着いたらすぐに食事が用意されている未来が容易に想像できた。


「……今湊さんは、凄いですね」


 どこからか細い木の棒を拾い、それを振り回し始めた今湊さんを止めるべきか考えていると、隣にいた賀喜さんが話しかけてくる。


 凄い、というのは、頭がおかしいという意味だろうか。

 それとも棒を振り回している様子が、彼女に目には素晴らしい行動に映っているのか。


 僕は意味を考えて、すぐに返事ができなかった。


「あ! ち、違いますよ! あの行動が凄いというわけでは無くて! その、先ほどの私の話で、大体の人の反応は同情とかそういうものですから……ああいう風に、明るく同じだと返されたのは初めてで。凄いなあ、って思ったんです」


 そんな僕の態度に、慌てて彼女は意味を説明し始める。


「同情を得たいわけでは無いですけど、自分に起きたことを誤魔化すのは、あまり好きじゃなくて。正直に話して、後悔することばかりなのですけど、今回はそんなことはなかったです。今湊さんは、もしかしたら私に気を遣ってくれたのかもしれませんね」


 彼女の視線の先には、未だに棒を持っている今湊さんが、蝶を追いかけている姿があった。

 その様子は今時の小学生よりも、子供らしいのかもしれない。

 人に気を遣えるとは到底思えないが、それが演技だとしたら末恐ろしいことだ。


「ちょうちょ、食べたら何味なんだろう……蜜の味?」


 やはり、ただの偶然だったのではないか。

 追いかけている蝶を食べようとしている今湊さんからは、人に気を遣えるような優しさを感じられない。

 どうあっても、蝶を食べるのはまずいだろう。味的な意味では無くて。


「それなら良かったです」


 ただ、いつもと違う反応が返ってきただけで、嬉しいと思うなんて、あまりにも単純すぎるが。

 彼女の闇は、そこまで深くないのだろうか。


「来栖さん……大丈夫でしょうかね」


 賀喜さん自身の話題は終わったようで、彼女は話を変えた。

 痛ましい顔をして、鳳さんを亡くした来栖さんを考えている。


「大丈夫、とは」


「あんなにも一緒にいた人が、殺されたんです。その心境は、到底言葉では表せないものでしょう。抜け殻のようになって、もしかしたら生きていく目標を無くしてしまう可能性だってあります。誰かが支えてあげなくては、彼は死を選ぶかもしれない」


「それは……」


 大丈夫、とは確かに言い切れなかった。

 来栖さんのあの様子から見て、抜け殻だとほとんどの人が判断するだろう。

 鳳さんという存在は、彼にとってはとてつもなく大きかったようだ。


「相神さんなら……犯人を見つけられるでしょうか?」


「緋郷がですか? んー、大丈夫だと思いますよ」


「……自信があるんですね」


「そういうものですから」


 緋郷が鳳さんに惹かれた時点で、この事件は解決に導かれる。

 それは、すでに僕の中で決まっていることなのだ。


 食い気味に答えると、賀喜さんは驚いた顔をする。

 そんなに僕の答えは、驚くようなものだろうか。


「それなら良かったです。安心出来ますね。来栖さんも喜ぶでしょう」


 戸惑っていた彼女だったが、すぐに柔らかく笑った。


「飛知和さんでは、犯人を見つけられませんから。相神さんがいてくれて、本当に安心しました」


「飛知和さんを、随分と評価していないんですね。犯人を見つけるチャンスは、誰にだってあるでしょう」


「それでも飛知和さんには無理です」


 賀喜さんは、清々しいぐらいに言い切った。


「それは何故?」


 いくら専門が人探しだとは言っても、犯人を見つけられないと決めつけるのは、あまりにも可哀想ではないか。

 さすがに飛知和さんに同情してしまい、少し食い下がってしまった。

 しかし賀喜さんは、笑みを崩さない。


「飛知和さんには、無理だから。それだけですよ」


 理由は結局話してくれなかったが、有無を言わさないような圧を感じた。



 そんな話をしているうちに、屋敷ももうすぐだった。

 僕はやっと解放されると、安堵の溜息を零したのだが、屋敷の方が騒がしいのに気がつく。

 誰かが争っているような、そんな声。


 耳に入ったのは僕だけではなかったようで、今湊さんと賀喜さんと顔を合わせると、声のする方向に向かって走った。

 近づくにつれて声が大きくなっていき、誰が争っているのか、何となく察する。


 僕はものすごく、走るのを止めたくなった。

 しかしそんなことも出来るはずなく、声の主の元へたどり着いてしまう。



 そこにいたのはヒステリックという感じに叫んでいる飛知和さんと、うるさそうに顔をしかめて耳を塞いでいる緋郷の二人だった。

 まだ寝ている時間だと思ったが、起きていたらしい。


 それにしても、


「……どういう状況?」


 トラブルの予感に、僕は疲れ共にため息を吐いた。


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