List.01 -それでも日々は流れていく-

「おつかれ~」

「あっ、イッチーさんお疲れっス。今回も結構キツかったっスね」

「まぁ、このスタジオと山さんのコンボって時点で、ある程度覚悟はしてたけどね」

 

 そう言って、お互い苦笑いを浮かべる。


「ははっ。確かに、最強の組み合わせですからね。でも今回もまた、イッチーさんと一緒にれて嬉しかったっスよ。ありがとうございました」

「いや、別に礼を言われる覚えはないけどね。西君も凄く良い音出してたと思うよ。また機会があるといいね」

「そう言ってもらえると、マジでまたやる気になります。そう言えばイッチーさん、打ち上げはどうするんです?」


 正直考えてなかったけど、どちらにしても今はとにかく一度家に帰りたい。


「う~ん、どうしようかなぁ……。どうするにしても、とりあえず一旦家帰ってからかな」

「あ~……、イッチーさん、もう3日目ぐらいですっけ? 俺、昨日は用事あって帰ってますけど、イッチーさん一昨日もいましたもんね」


 そしてまた、お互い複雑な苦笑いを浮かべる。


 ――都内某所


 地下1階を含む、4階建ての小さなテナントビルに居を構える『如月きさらぎミュージックスタジオ』。


 業界内では割と有名な話だが、この如月ミュージックスタジオは、なぜかビル内にシャワールーム、ロッカールームに仮眠室まで完備された、ブラック企業も真っ青な音楽スタジオなのである。


(冗談でそう言われているだけで、実際には家に帰るのが面倒な独り身や、編集が煮詰まった人間からしてみれば、食事以外の全てが賄えるこの音楽スタジオは、非常に有難い存在だったりする)


「ロッカーに着替えもあるとは言え、さすがに一度家に帰ろうかな……。荷物も置いてきたいからね。……そんじゃ、西君もホントにお疲れ様」

 

 そう言い残し、ヒラヒラと手を振ってから重い防音扉を開く。



 扉を閉めたところで、丁度ミキサーから顔を上げた強面こわもてのオッサンと目が合う。

 熊の様な体に髭面ひげづら眼鏡という、知らない人だったら正直あまり声を掛けたくないタイプだ。


「おう、イッチーおつかれ! 今回も良い音が録れたよ。サンキューな」


 今日スタジオに入る前までは、ずっと眉間の間に入りっぱなしだったシワも今はようやく消え、本来の柔らかい笑みを浮かべて満足そうに頷いている。


(何を隠そう、この元格闘選手と言われても信じてしまうような、身長185cmを超える巨漢の強面。出会った頃に比べると横への面積も絶賛拡大中、というこのオッサンこそ『山村宗次郎やまむらそうじろう』、通称山さん。)


 今回の収録の総合ディレクターであり、過去数々のヒット曲の収録を手掛けてきている、業界きっての敏腕ディレクターである。


「山さんこそお疲れ様でした。って言っても山さんは、まだ最後の編集残ってるか……」

「……まぁ……、それはまた明日から考えるわ。今回の分はとりあえず全部撮り終わったから、どうにか一安心だよ。イッチーは打ち上げどうするんだ?」

「さっき西君にも同じ事聞かれたんですけど、一旦帰ってから考えますよ。山さんこそ、帰った方がいいんじゃないですか? 家庭持ちの人間でここに篭ってるのなんて、山さんぐらいでしょ……」


 このスタジオに入り浸っている人達は皆似たり寄ったりとは言え、さすがに妻子持ちは少ない。


「いや~、こちとら愛する妻と子が待つ身だからな。ちゃんと帰ってるぜ」

「よく言いますよ……。昨日も仮眠室で寝てたじゃないですか……」

「チッ、見つかってたか……。こればっかりは悪い癖だな……。完成が見えてくると、他の事が全部わずらわしくなってきちまう」


 ボリボリと頭を掻きながら、バツの悪そうな笑みを浮かべている。

 それでも山さんの表情からは、充実感と達成感に満ち満ちたオーラを感じた。


 その感覚は僕自身も良く知る物だけに、嬉しいと思う半面、少しだけ羨ましく感じてしまう部分もある。


「……もう書かんのか?」

「えっ!?」


 突然の思いがけない質問に、少し狼狽うろたえてしまう。


「俺、イッチーの書く曲好きだけどな」


 そこには照れも茶化しも無く、ただ真っ直ぐに、同じ音楽に携わる人間としての想いが込められた視線があった。

 


 ――暫くの間、考えを巡らせてから


「いや……、なんて言うか……。僕が曲を書いてたのは、アーリーがあったからと言うか。アーリーの為に書いてたようなものなんで……。それ以外の目的で、何をどう書いていいのか、自分でも良く分からないんですよね」

 

 正直な所、今までそこまで深く考えた事は無かった。

 予期せぬ質問ではあったけど、自分なりに気持ちを整理しながら、慎重に答えを返す。


 この人に対して、適当に誤魔化すような真似はしたくなかった。


 

 僕はかつて、『アーリーバード』というロックバンドを組んでいた。

 それなりにヒット曲も出し、今でも名前を出せば知ってる人は知っている、ぐらいにはそこそこ有名なバンドだった。

 山さんには、その頃から収録で散々お世話になっているので、なんだかんだでもう20年来の付き合いということになる。


「いやいや……、別に書けとか言ってるわけじゃなくてな……。もう書かねぇってのは、勿体ないんじゃねぇかなと思ってな……。せっかく良い曲書ける人間がくすぶってるってのは、録る側の人間としても惜しい気がしてなぁ……」


 こんな風に山さんから直接言われたのは、長い付き合いの中でも初めてかもしれない。

 

「……有難い言葉ですね。でも別に燻ってるって訳でもなくて……。アーリー抜きで、書きたいって気持ちも湧いてこないし……。書きたくても書けないとか、書いてるけど表に出す機会が無いとか、そういうのとは違うんで」

「……そっか。ならいいんだけどな。まぁ、もしまたイッチーが書く気になったら、その時は声掛けてくれよな。ってやつでなっ」


 そう言って親指を立てると、普段からは想像もつかないぐらい、人懐っこそうな笑顔を浮かべた。


「ははっ、そうですね。その時は、真っ先に山さんにお願いしますよ」

 

 今の僕にはその時が来るとは思えない。

 それでも、もし仮にその時が来たとしたら、僕は間違い無く山さんに頼むだろうなという確信があった。


「じゃあ、もし会えたらまた打ち上げでな。来れたら来いよ」

「はい、行けたら行きますよ。最後の編集頑張ってください。お疲れ様でした」

「おう、おつかれさん」

 

 そっと手を差し出してきた山さんと固い握手を交わし、僕はスタジオを後にした。




 エレベーターを降り、入口の自動ドアを抜ける。


 外は最近すっかり長くなった日が西に傾き、丁度辺り一面に鮮やかなオレンジ色をばら撒き始めている頃だった。


 ようやく開放された気分になり、大きく「んーっ」と伸びをする。


 もうすぐ40に手が届くという体に、3日の泊まり込みはさすがにそろそろしんどい。


 スタジオに入ってる間は、マナーモードにすら出来ない携帯の電源を久しぶりに入れる。(急用が入るような身でもない僕は、面倒でいつも電源ごと落としてしまう)


 ――と、丁度その時

 まるで狙いすましたかの様なタイミングで、メッセージを伝える音が鳴る。


「誰だこんなタイミングで」


 そう独りちながらも、半ば予想は付いている。

 案の定、メッセージの横には『アキ』と表示されていた。


(本当にアキのこういうタイミングは、いつも神懸かってるよな……)


【差出人:アキ】【件名:何してる?】『イッチー飲みに来なよ。いつもんとこ。ヒロが来るってさ』


(ああ……、こりゃまた打ち上げは行けないな……)


 そんな事を考えながらギターのハードケースを持ち直し、徐々に増え始めた雑踏に紛れ駅に向かって歩き始める。


 心の中では愚痴を零しながらも、【イッチー】こと市原太一いちはらたいちの表情は、どこか嬉しそうに見えるのだった。

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