9月25日の夢

蟹パン

9月25日の夢

静かだった。

目が覚めた時ぼくは、さばんなの真ん中にぽつりと立っていた。

「あれ、ここ......」忘れたいと仮に思ったとしても、いやそんなことなどきっと無いが......忘れることはできない、あの娘と出会った場所だ。

さらさらと、穏やかな風が顔を撫でる。

思えば、僕はヒトの居場所を探すばかり躍起になっていて。

僕はあの娘に向き合えていただろうか。

僕はあの娘の望みを聞き入れてあげられていただろうか。

......僕の目的に頷いて、付いてきてくれたのは。

「ごめんね......」他でもなくあの娘だというのに、何をうじうじと悩んでいるのだろうか。

ぼくの胸に、甘く切ない疼きが走る。

恋慕とも、懐古とも違う。

この感情の宛てを探して、一歩、小さく足を踏み出した。


駄目だ。

いくら足を動かしても、先に進めない。

いくら頭を働かせても、あの娘の名前が思い出せない。

いっぱいに広がる記憶の泉から、掬っても、掬っても。指の間から流れ落ちてしまって、まるでたどり着けない。

「なんで......なんで、こんなにも苦しいの?」嗚咽。

会えない。会いたい。けれどここにはいない。

胸の疼きがどんどん大きくなって、躰を包んでゆく。

こんなにも苦しいなら。

こんなにも切ないなら。

ぼくはあの娘に、


会えなければよかった。



......違う。

こんな思いはぼくの物じゃない。

誰かがぼくに植え付けようとした、偽りの感情だ。

だって。

「だって......」

「ぼくはずっと、きみにきみでいて欲しかったんだ。」

大きな海の中に小さな体で揺蕩うように、儚く無垢で純真。

「真っ白で暖かくて、ちょっと危なっかしいけど、立ち止まっているぼくの背中を押してくれる。」

今、会いに行くよ。

この胸が疼いても、この足が止まっても。きみがぼくならきっと、会いに来てくれるだろうから。

だからそれまで。

「きみは、きみのままでいて。」

ぼくもぼくのまま、きみに会いに行くよ。

瞬間、辺りが明るくなった気がした。


気付けばぼくは、最初に通った場所にいた。

でも、もうここは静かじゃない。

凪いだ海のように寂しかった先ほどとは打って変わって、賑やかさすら感じる。

木々の梢が揺れ、風に足元の若草が優しい音を奏でる。

「サーバルちゃん」思い出せずもがいていたのが嘘のように、するりと口をついて言葉があふれた。

あの娘は、ゆっくりと振り向いた。

髪が優しく揺れる。その表情はおだやかに微笑んでいた。

無限にも等しい時間だった。

音もなく、透明な涙が頬を伝う。しかしそれは僕も同じだ。

「おかえり、かばんちゃん。」

ああ。

「さーばる、ちゃん」

さっきより不器用で、不格好な。ひしゃげたような声色の言葉を紡ぐ。

「サーバルちゃん。サーバルちゃん!」ぼくは確かにここにいる。

「かばんちゃん!かばんちゃん!!」きみも、ここにいてくれるんだね。

風が優しく頬を撫で、互いに肩を抱き寄せてえずく。

どこか遠くで、さざ波の音が聞こえた。

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9月25日の夢 蟹パン @kanipanyarou

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