第2話 モニカ・ヴァーミリオンという少女

 人間族、獣人族、ドワーフ族にエルフ族、そして魔族などの様々な種族が暮らす母なる世界で……。

 子供の頃、シオン・ターコイズは夢を見ていた。夢だからハッキリと覚えているわけではない。

 目が覚めてしまえば内容は覚えてなく、朧気な記憶すら残っていない。いつも大したことは何も思い出せないで夢は終わる。


 けど、ここではない違う世界で、生きている夢だったと思う。だから、もしかしたら自分の中に知らない誰かがいるんじゃないか。シオンはずっとそう思っていた。

 十歳の時、モニカ・ヴァーミリオンと出会うまでは……。


   ◇ ◇ ◇


 シオンの日常には笑顔が極端に少なかった。皆無といってもいい。


 魔道大国の第一王子として産まれ、未来の国王という立場を有しているからこそ、気軽に話をできる友人が身近にはいない。

 父である国王は魔道の研究と執務に忙しく、息子に興味がない。滅多に顔を合わせることもなかった。実の母は自分を産んだ時に死んだから顔もわからない。


 父親は後妻と結婚したが、こちらも忙しいらしくて数えるくらいしか話をしたことがない。顔見知り未満の他人だった。

 物心ついた頃には血が半分繋がったイリナという名の妹が生まれたが、父親か義母の意向なのか、城内で会っても他人行儀に挨拶をするくらいには距離を置かれていた。

 だから……。


 シオンはお城の中で、いつもひとりぼっちだった。シオンの周りに気を許せる相手なんて、一人もいなかった。明るい未来なんて、何も見えなかった。

 けど――、


「初めまして、シオン様。ヴァーミリオン王国第一王女、モニカと申します」


 十歳の時、隣国の第一王女であるモニカ・ヴァーミリオンと婚約して、シオンの人生は一度、大きく変わった。


   ◇ ◇ ◇


 初対面の折、シオンとモニカは二人きりになって、婚約者同士で話をする。当時、友達すらいなかったシオンは対等な相手とどうやって喋ったらいいのかよくわからなかった。

 だから、モニカが気を遣ってあれこれ喋りかけてくれても、ほとんど表情を変えずに、聞かれたことだけにぽつりぽつりと答えていた。すると――、


「……ねえ、もう少し笑った方がいいと思うよ?」


 燃えるように赤い髪をしたモニカが、不意にそんなことを言った。何を訊いてもシオンが無愛想な返事しかしないので、痺れを切らしたのだ。当初の丁寧な喋り方はなりを潜め、やや砕けた喋り方になる。どうやらこれが彼女の素の口調のようだった。


「え……?」


 シオンはぱちぱちと目を瞬く。モニカが急に丁寧な口調を止めたことにも軽く面食らったが、誰かに意見されたことなんて生まれて初めての経験で驚いたのだ。


「なんだ、驚いた表情もできるんじゃない。なにを聞いても無表情のままだから人形だと思ったよ。もう、やっと君の心を動かせた」


 モニカはシオンの表情が変化したことを確認すると、少しホッとしたような顔で最後におかしそうに笑った。

 何がおかしいのかシオンにはわからなかったが、可愛らしく笑った。

 すると、モニカにつられたのか――、


「…………」


 シオンがぎこちなく口許をほころばせ、笑顔を覗かせた。


「あー、笑えるんじゃん!」


 モニカがシオンを指さす。


「……え? そうなの?」


 シオンがびくっと身体を震わせる。笑ったことなんてほとんどなかったから、自分が笑っているのかわからなかった。


「そうだよ! 絶対いま笑った。笑った方がいいよ。貴方せっかく格好良いんだから」

「ええと、ごめん」


 シオンはなんと言えばいいのかわからず、謝罪の言葉を口にする。


「ええ? 別に謝る必要はないけど……。もう、調子狂うなあ」


 モニカは困ったようにぽりぽりと頬をかく。


「……………………」


 シオンは再び沈黙する。


「……ねえ、二人でいる時はシオンって呼んでいい? 人がいるときは様をつけて呼ぶと思うけど」


 ふと、モニカが尋ねた。


「いいけど」


 シオンはこくりと首を縦に振る。


「ありがとう、シオン。じゃあ私のことはモニカって呼んでいいよ」

「え? うん」

「………………」


 モニカはシオンに期待するような眼差しを向ける。


「……何?」


 モニカにじっと見つめられて、シオンが少しドキッとして尋ねる。こんなに人から目線を向けられたのも、生まれて初めてだった。


「こういう時は私のことも名前で呼ぶんだよ」


 と、モニカは少し唇を尖らせて言う。


「誰が? 誰を?」

「シオンが、私を。私のことも名前で呼んでいいって言ったでしょう?」

「……うん」

「じゃあ、ほら。私のことを名前で呼んで」


 今日初めて会ったばかりの相手なのに、モニカはシオンに屈託のない笑みを向ける。その笑顔がとても可愛くて、とても嬉しくて――、


「………………モニカ」


 シオンは気恥ずかしそうに、モニカの名を呼んだ。


「うん。なに、シオン?」


 モニカはニコニコと笑顔をたたえて返事をするが――、


「え、何でもないけど」


 シオンは不思議そうに会話を打ち切る。家庭教師や使用人などと必要最小限の会話をするだけで、人と普通に会話をする経験がシオンには圧倒的に不足していたのだ。


「も、もう……。言葉のキャッチボールが続かないなあ」


 モニカはがっくりと項垂れる。


「……キャッチボール? なにそれ?」


 シオンが疑問符を浮かべる。初めて聞いた言葉だった。


「え? キャッチボール?」


 言葉を口にしたモニカ自身も首を傾げる。


「今モニカが言った言葉だけど」


 どうやらモニカも『キャッチボール』という言葉を口にしたことを気づいていなかったようだ。


「私が……? ああ。私なんだか最近、無意識に変な言葉を言っちゃうらしいんだよねえ。何なんだろう?」


 モニカは困ったように説明し、うーんと首を捻る。


「へえ」


 そういうこともあるのかと、あっさりと納得するシオン。


「ま、気にしないで。それよりさ。シオンは何か趣味とかないの?」


 モニカはあどけなく笑って気持ちを入れ替え、シオンに話を振る。


「趣味? 特にないかな」

「えー? そんなことはないでしょ。普段は何をしているの?」

「普段? 読書と魔法の練習?」

「うーん、男の子らしくないなあ。というより、どうして疑問形なの?」

「いや、それくらいしかしていないなあと思って」

「そんなことはないでしょ」

「後はご飯を食べて寝るくらい?」

「あはは。なに、それ。それはみんなやっていることだよ」

「そうだね」


 おかしそうに笑うモニカを見て、シオンも笑う。


 気がつけば少しずつ、シオンは普通にモニカと話せるようになっていた。モニカと話している内に、自然と笑顔が増えていた。


「本を読んでいるって言っていたけど、どんな本が好きなの?」

「……英雄ノアの大冒険」

「それ私も好き! シオンもノアみたいになりたいの?」

「それは、どうだろう」

「私はなりたいよ。ノアみたいに強い戦士になって、外の世界を見て回りたいの。迷宮に潜ったりね。そうだ。ターコイズ王国は魔道の国だけど、シオンは何か武術を習っていないの?」

「剣術なら習っているけど、やっぱり魔法の方が得意かな」


 モニカからの質問にもちゃんと答えられるようになっていた。


「へえ、男の子らしいこともしているんじゃない。私も剣術を習っているよ。一番得意なのは槍術だけど」

「ヴァーミリオン王国は武の国なんだっけ?」

「そうだよ。……そうだ! ちょっと私と手合わせをしてみる?」


 モニカは得意げに頷き、シオンに対戦を申し入れる。


「ええ? それはまずいんじゃないかな。モニカは女の子だし」


 怪我をさせたら大変だ。そう思ったのだが……。


「むっ。シオンが勝つって言うの? 確かにクリフォード兄さんにはまだ勝ち越せないけど、それ以外だと歳の近い男の子が相手でも一度も負けたことがないんだからね、私」

「え、そうなの? それはちょっと怖い……」


 なんてやりとりがあって、モニカの負けん気に押されて試しに手合わせをしてみることになるシオン。


 結果はシオンがこてんぱんに負かされて、モニカが槍の天才だと知る。

 だが、シオンの長所は魔法だ。その後に魔法を使用して見せると、モニカから「すごい、すごい」と手放しに賞賛される。

 そうやって、対等な誰かと一緒に何かをする時間がとても嬉しくて、楽しくて……。だから――、


 ――誰かと一緒に遊ぶって、こういうことなんだろうか?


 出会ったその日に、シオンはモニカに恋をした。人との話し方すら知らなかったのに、あっさりと、簡単に、初恋に落ちたのだ。


 人見知りで、孤独で、人との接し方がわからない少年が、恋をした。当の本人はそれが恋だなんて、知りもしなかった。けど、後から振り返ってみれば、それが初恋だったのだと、シオンは断言できる。

 これが、シオンとモニカの出会いだった。


   ◇ ◇ ◇


 それから、シオンとモニカは互いの国を行き来して、数ヶ月に一度だけ、一週間か二週間ほど生活を共にするようになる。

 シオンの日常には笑顔が増えた。以前とは比べものにならないほどに、笑顔が増えた。モニカがシオンと他者を繋げて、笑顔を増やしたのだ。

 相変わらず父や後妻と話をする機会はなかったけれど、モニカのおかげで半分血の繋がった妹のイリナと話ができるようになった。モニカの兄や妹も紹介してもらって、五人で大切な友達になった。

 すべてはモニカのおかげだ。モニカが変えてくれたのだ。大きな城にひとりぼっちで、笑うことがなかったシオンを。そんなシオンの人間関係を。


 だから、シオンは努力した。剣術も、魔法も、勉強も、今までとは比較にならないほど真剣に学ぶようになった。モニカに褒めてもらいたかったから。

 そうして、瞬く間に一年が過ぎると――、


「政略結婚なんかじゃなく、ちゃんと恋をして結婚しよう」


 シオンはモニカに思いを伝えた。モニカがいればシオンは幸せになれるから、モニカのことも幸せにできるよう頑張る。そう伝えて、告白した。

 モニカには「シオン、なんだかすごく恥ずかしいことを言っているよ……」と困ったように言われたけど、シオンは本気だった。

 モニカは終始照れくさそうにしていたけれど、最後は「もう、しょうがないなあ。ふつつか者ですが、どうぞよろしくお願いします」と気恥ずかしそうに笑って頷いてくれて……。


 ここから、シオンの人生はさらに大きく変わっていくはずだった。好きな人と一緒になり、毎日笑って幸せに生きる。

 そんな未来が当たり前のように訪れるはずだと、シオンは信じていた。モニカとの幸せが永遠に続いていくのだと、無根拠に信じていた。

 本当に、ここからのはずだったのだ。

 けど、シオンが告白し、モニカがターコイズ王国から祖国であるヴァーミリオン王国へ戻る道中に……。


 モニカは失踪する。

 シオンが十一歳の時だった。

 永遠は続かないのだと知って、シオンは戦慄した。


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【名前】シオン・ターコイズ

【種族】ヒューマン

【年齢】十一歳

【性別】男

【レベル】6

【ランク】0

【基礎パラメーター】

・膂力:E(18/100)

・敏捷:E(18/100)

・耐久:E(18/100)

・魔力:D(36/100)

【特殊パラメーター】

・魔法:A

【スキル】

・魔の祝福

 特殊パラメーター『魔法A』の項目を追加し、基礎パラメーター『魔力』の等級を一つ上昇させる。また、レベルの上昇に伴う基礎パラメーター『魔力』の上昇値に大補正。

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