第50話 アリシャ・ウナトゥーラに加護が与えられた理由
人間達が逃げ込んだ建物から離れていく黒猫。
小さな体で活動するしかない邪神は、過去の事を思い返していた。
非力な生命。
人間の娘……アリシャ・ウナトゥーラに加護が与えられた日の事。
その時の事は、何千年も前の昔の事ではないからすぐに思い出せた。
女神ユスティーナによって邪神に堕とされた後。
何千年もの時間をかけて封印から逃れ、猫の姿をとりながら復讐の為に力を蓄えて続けていた私は、ある日人間の小娘と出会った。
その小娘がアリシャ・ウナトゥーラだ。
名のある貴族とやらの屋敷の裏、崖となっている場所でその娘が遊んでいた所にたまたま居合わせたのだった。
特に用があったわけではない。
その出会いは、たまたま通りかかった瞬間の偶然によって引き起こされた。
「あ、にゃんこだ。アリオみたいなもふもふ! ねぇ、待ってよー」
私は猫の姿を取っていた事が災いして、その人間の娘にしつこく追い回された。
人間の町を歩く時、周囲に溶け込むために、脅威を感じさせない見た目を選択したせいだろう。
どんなにこちらが逃げても、娘は一向に諦める気配を見せなかった。
私は邪神とはいえ神だ。
かつてこの時代から見た古代……神話の世界では、強大な力を持ち、人間などの卑小な生命などたやすく殺す事ができた。
だがそれは遥か過去の事、今はそうではなかった。
私はしつこくこちらを追い掛け回してくる小娘を、心の底からうっとしく思った。
だから私は少々面倒だが、貯めていた力を使って喉笛をかみ切るが、爪で心臓を突きさしてしまおうかと考えた。
だが、運が良いのか悪いのか、状況は大きく変わった。
小娘の遊びに振り回されたせいか、私はその子供と共に崖から落ちてしまったのだ。
数十秒ほどかけて、結構な高さの崖の斜面から、どこかしこに引っかかる事もなく一番底の方まで落下した。
おそらく、普通の人間にとってはそれは致命的な事故だろう。
怪我の心配よりもまずに命の有無が心配になる様な、そんな場所からの転落だった。
しかし、小娘はかすり傷のみで大きな怪我を負う事は無かった。
出血は大げさだと思える量があったが、命に関わるほどではない。
骨が折れているわけでも、重要な臓器を傷つけているわけでもないので、適切な処置さえすれば問題ないだろうと思われた。
それは私も同じだった。
いや、それどころか、私は小娘とくらべてほとんど怪我をしていなかった。
なぜか。
それは私が、崖から転落する際にその小娘に庇われていたからだ。
「うぅ……、痛いよう」
崖から落ちた小娘は、痛みに呻いて泣き叫んでいた。
いくら命に関わる事がないと言っても、見た目の怪我のありさまと傷の多さはかなりのものだった。
小娘はただ泣き喚くばかりだ。
「ひっく、………ぐすっ。にいさまぁ、とーるぅ。……おとーさまぁ、おかーさまぁ……」
大人ですら無事でいられるかどうか分からない崖の底に転落したばかりだ。
子供であるならば混乱のあまり泣き出し、自分の行く末に絶望してもおかしくないだろう。
けれど、そんな小娘を哀れと思ったのか、女神ユスティーナがその瞬間に小娘に加護を恵んでやったのだ。
「うぇ……、ひぅ? あれ?」
小娘は私の目の前で、不思議そうに首を傾げる。
それは「痛みを感じない」加護だ。
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