ドクターと蜜色の忠犬

瀬道 一加

プロローグ

 明かりを反射して鈍く光る銀の皿の上に、赤黒く濡れた塊が置かれていた。所々白く透けて見えるそれも光を照り返していて、その様は見惚れるほど艶やかだった。


 それは触れれば、フニャリとした感触を返すはずだ。口に含めばペトリと柔らかく舌と口蓋に馴染み、噛み締めれば濃厚な血液の芳香で鼻腔を満たすはずだ。想像するだけで唾液が溢れ、ゴクリと喉が鳴った。



 トロリとした赤い液体が滴り、塊の下に僅かに、優雅な曲線を描いて広がっている。銀盤の上にいくつかの赤い筋が、半分乾いて広がっていた。


 それを残らず舐めとりたい衝動にかられる。ああ、それはどれだけ甘いだろう。きっと脳髄が痺れるほどだ。鼓動が早くなり、呼吸が乱れる。



 思わずそれに手が伸びそうになった、その時だった。



「お疲れ様でした、ドクター。後は私が。」

「あ、ああ。」


 看護師の一人の声がけに、私は我に返った。途端に、周りの様子が意識の中に戻ってくる。カチャカチャという手術道具を片付ける音、心拍を伝える機械音、人工呼吸器の規則的な空気の摩擦音、眩しいライト、タイル張りの壁、患者を覆う青いシーツ、同色の手術着とマスクを纏い、忙しく動き回るスタッフ達……


 プレートに置かれた、摘出した腫瘍の塊から視線を晒して、慌てて先程までの思考を振り払う。



 手早く手術着を脱いでいると、手術を補助していた年若い男性医師に声をかけられた。


「ドクター、今日は早上がりでしょう?食事でもどうですか。」

「すまない、私は……」

「ダメよドクターは。家で可愛い恋人が待ってるんだから。」


 からかう様な口調で横槍を入れて来たのは、ベテラン看護師の女性だった。やはり手術着を脱ぎながら、意味深な流し目を送ってくる。


 –––可愛い恋人–––


 その言葉に思わず苦笑するが、反論は出来ない。


「ありがとうデイブ、でも今日は帰るよ。また誘ってくれ。」

「ええー、たまには外で息抜きも必要ですよ?」


 不満気と言うよりも、こちらもからかう様な口調で反論して来る。しかし彼が本気で引き止めようとしていないのは明らかだ。ここの殆どのスタッフ達は、私の近頃の溺愛っぷりを良く知っているのだから。



 身なりを整えて部屋を出る間際、ベテラン看護師が笑顔でまた声をかけてくれた。



「お疲れ様、ドクター。ハニーに宜しくね。」

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