第36話。日記

 



「ジェンナさんじゃ……ない?」


「どうしたんだい、そんなに慌てて。ジェンナさんなら今洗濯に行ってるよ」


 その人は一旦フライパンの火を消して俺の目線に合わせてしゃがみ、優しい声音で話しかけてきた。

 エプロンを付けてお玉を持っているし、ハンバーグ等の料理を彼が作っているのは間違いないだろう。 そして、顔は日本人っぽくないが黒髪黒目の容姿。


「ジェンナさんはお洗濯でしたか。ところで、ハンバーグってあなたが作っているんですか?」


「そうだよ。元々ここの食堂のメニューにはなかったんだけど、ご先祖様の凄く古い日記を見つけて。そこに書いてあった料理を作ってみたら美味しくてね」


 黒髪黒目だから彼本人が転移者だと思ったのだが、そうではないのか。そういえば、黒髪黒目は優性遺伝だったっけ。それなら顔が日本人っぽくないのも頷ける。


「その日記、見せてもらうことって出来ますか?」


「いいけど……物凄く古いからほとんど読めないよ」


「構いません。お願いします!」


「分かった。じゃあ明日、朝食の時間より少し早く来て。見せてあげよう」


 今すぐ確認したいほどだが、彼にも都合があるだろう。実際、仕事中のようだし。


「エミル、どうしちゃったの?」


 ミシェルが追いついてきてしまったようだ。もう少し色々聞きたいが、話を切り上げないとならないな。


「ミシェル、さっきはいきなりごめん。ちょっと美味しそうな料理を見つけちゃって」


「それってハンバーグの事かな? 君が良ければ少し大きめにしてあげるよ」


「ぜひ!」


「じゃあ僕も!」


 ハプニングはあったが、無事昼食の注文を済ませて暫く待つ。


 十数年ぶりに嗅いだハンバーグが焼ける匂い。前世で通常食を食べられたのは10歳頃までだった。その後は段々と固いものが食べられなくなり、15歳で死んでしまった日は、流動食になってからもう随分経っていた筈だ。


 神様がミスをしなくても、あと数日持たなかったかもしれない命。母が、担当医が、懸命に支えてくれた命。話すことさえままならなくなった俺を見捨てることなく、ずっと話しかけてくれていた。ずっとずっと、忘れたくない大切な思い出。

 俺が死んで、母はどうしているのだろうか。ちゃんとご飯食べてるかな。寝られてるかな。俺が入院しているせいで、化粧をするお金も時間もなかっただろう。今は、自分のことに時間を使えているだろうか。


「会いたいな…………」


「誰に? もしかして、好きな人!?」


「ううん。とても感謝してる人、かな」


 気づいたら気持ちを口に出してしまっていた。

 教会で祈れば神に会えるとアーシュリム神が言っていたし、今度行ってみようかな。彼なら今の母を見せてくれるかもしれない。今まで忙しいかもしれないと遠慮して来たが、この際神の呪縛についても聞いてしまおうか。


 俺が1人しんみりした気持ちになっている間に、ハンバーグが出来たようだ。ミシェルにトレイを渡されて近くの席に座る。


「んん〜〜! 美味しい! 僕こんなに美味しい肉料理初めて食べたかもしれない」


「確かに美味しいね。これ、オークの肉とミノタウロスの肉を混ぜてるんじゃないかな」


「そんな感じするね!」


 黒髪黒目の彼は、星の海亭の女将に負けず劣らず料理が上手かった。同じダンジョン食材を使っていても作り手によっては差が出るものだと、ここ1ヶ月で俺は学んでいる。

 星の海亭は1日2食なので小腹がすくのだ。その度にちょこちょこルーシィが街の屋台で買い食いするので、それを少し貰ったりしていた。


「そういえばエミルってさ、ハーフエルフだよね? なんで選択授業槍と格闘なんて選んだの?」


「俺のメインウェポンが剣と弓と魔法なんだ。そっちはある程度出来てるし、まだやったことない槍と格闘を習ってみようかなって」


「へぇー! 剣も使えるんだ。エルフは力が弱いって聞いてたけど違うんだね」


「普通のエルフは強くないよ。だから弦が弱い弓を使って、風魔法でブーストしたりして矢の威力を上げてるんだ。けど、俺は力が強いから剣技スキルも使えるし、魔法を使わなくても強い弓を引ける」


 つくづく思うが、ヴァンパイアとハイエルフのハーフのこの体は本当にチートだな。

 滅多にない魔法剣士の職業だって持っているし、そこそこいる魔弓士の職業だって十分強い。どちらも相当量の魔力が必要で、武器の質に戦闘力が大きく左右されるが。


 その後も会話をはさみながら食事を続ける。食べ終わった時には完全に昼時になったのか、中等部や高等部の生徒で食堂は賑わってきた。


「ごちそうさま〜、美味しかったねぇ。僕、今夜もハンバーグにしようかな」


「それもいいけど、他にも色々美味しそうなのあったしそっちも食べたいよね」


 食堂が賑わってきたときからキョロキョロし始めたミシェルが、目的の人物を見つけたのかトレイを持って立ち上がる。


「あ、兄様だ。エミルまたね!」


「うん、またね。危ないから走っちゃダメだよ!」


 トレイを返却して、以前のように兄へ走って抱きつきに行こうとしたので釘を刺した。

 俺も立ち上がって後片付けをし、部屋に向かう。今度こそ邪魔は入らない筈だ。椅子に座り手紙を読む。


 兄様からの手紙は、今週末会えないかということと、俺への心配と応援がひたすら書かれていた。

 俺も兄様のことは結構好きだけど、ここ数年の間に兄様からの親愛は溺愛へと変化している。


 母様からは無事に着けて安心したということと、夏の長期休暇に一度帰ってくるようにとのことだった。所々に俺を心配する言葉があり、俺ってこっちの世界でも愛されてるなと実感する。


 父様は忙しいだろうから俺の手紙で煩わせるわけにはいかないと思い書かなかったけれど、書いた方がよかっただろうか。


「うーん、父様へはなんて書けばいいんだろ。取り敢えず先に兄様と母様への返事を書くか」


 兄様には週末に会う約束を。母様にはちゃんと帰ると、ある程度の文量で書き終える。父様へは散々悩んだ末に、獣人国の王交代とルーシィの家族のことについて書いた。

 父様からは[獣人国にて要の一つが失われた]と伝言で聞かされている。要がなんだとかは全く分かっていないが、前国王一族の件は話しておいた方がいいだろう。知ってるかもだけど。


 丁寧に封をし、3通の手紙を持って回転式の椅子ごと後ろを向いて情報部隊員を呼ぼうとした。するとそれを察したのか、忍び装束の彼が音もなくフッと現れた。


「これを父様と母様と兄様に」


「はっ。先程は御無礼致しました」


 先程呼ぼうとして気づいたのだが、彼の名前を知らない。裏の情報部構成員は名前が無いかもしれないが、コードネームくらいはあるだろう。


「気にするな。お前名は? コードネームでもいい」


「ツヴァイ、とお呼びください」


「そうか。ツヴァイ、ご苦労。手紙を頼む」


「かしこまりました」


 片膝をついたまま一礼し、サッと消える。それを見届けた俺はベッドに移動して腰掛けた。


 もう呼吸するのと同じようにできるほどに上手くなった、魔力制御の練習をして時を過ごす。夕方頃に帰ってきたミシェルと勉強したりして、明日の初授業に備えることも忘れない。

 その日の夜は日記のことが気になって、なかなか普段のようには寝付けなかった。








 翌朝、7時頃。待ちきれなくて部屋を出た俺は急ぎ足で厨房を訪ねた。


「すみませーん……」


「おっと、早いね。エミル君だっけ? 俺はテルーク。日記はこっちにあるよ」


 厨房の裏、休憩室のような空間に案内され、椅子に座る。古めかしい日記を紙封筒から丁寧に取り出したテルークがそれをテーブルに置き、向かい側に腰掛けた。


「さて、これがご先祖さまの日記だよ。何代前かはわからないけど、とんでもなく昔なのは確か。それに、知らない文字で書かれているところもあるから、読めないページの方が多い」


 差し出された日記は、一体何百年前のものだレベルで朽ちている。表紙だけでも相当ボロボロなのがわかるのに、中身は一体どうなっていることやら。


 文字が掠れていたり虫食いで殆ど読めなかったが、真ん中を通り過ぎた最後に近いページの辺りで、重要な一文を見つけた。


 よこしまなる神と〇の〇族。魂を〇け、我〇者〇〇ルが〇印す。


 この一文は日本語で書かれている。

 一見、誰が何をしたのか肝心なところが読めない文。だが、邪なる神、魂という単語。この世界におけるその単語の意味を知る俺は、唐突に理解してしまった。


 その仮説を裏付けるかのように、この日記の持ち主の名前が表紙に記されていた。そっくりそのままではないが、それに似た名前の人を、俺は知っている。


[あどう るい]


  その名前が示す、人物は――――。


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