第8話 「オタオタでお願いします」

 土曜日。

 それは多くの学生にとっては休日であり、部活動もなければ前日に夜更かしをしても支障の出ないオタクにとってのオアシスである。

 であるが故に特に何の予定もなかった俺は、本来は自堕落な時間を過ごしていいはずだ。

 というか、そういう時間を過ごしたい。

 だって眠いんだもん。夜更かししちゃったんだもん。

 それなのに……


「おはようございます、氷室くん」


 何で目の前にどこかの学校にある二次元愛好創作部なんていう部活で部長やってるメカクレ系の先輩がいるんでしょう。

 ここ俺の部屋だよね?

 学校の部室でお泊り会とかしてないはずだよね?

 なのにどうして目が覚めたら部長がいるのさ。まだ電話とかで起こされるなら分かるよ。でも実際は寝顔を覗き込まれるような感じになってるわけで。

 寝ている人の部屋に入るとか強姦なの?

 俺、この人に今から襲われるのかな?

 いやいや、そんなはずないよね。

 多分こういう夢を見ているだけ。夢って嫌な方向に進んだりするものだし。

 うん、これは夢だ。夢に違いない。そういうことにしよう。よし、寝よう!


「しっかりと目を合わせたというのに寝ようとするとは、今日も今日とて氷室くんは良い度胸をしていますね。初音さんは先輩ですよ? あなたが所属している部活動の部長さんですよ? それなのに無視とか人としてどうかしているのでは?」


 人としてどうかしているのはあなたの方です。

 だってここ俺の部屋ですよ? 俺はあなたにいつでも気軽に入っていいからね、なんて言ったこともないんですよ?

 許可もなく人の部屋に入る方が、人としてどうかしていると統夜さんは思います。


「まあ初音さんは心が広いので許してあげますが。寝起きでまだ頭も回っていないでしょうし。なので初音さん、大人しく氷室くんの部屋を散策したいと思います」


 他人の部屋を散策することを世間一般的には大人しくするとは言いません。

 構ってほしいんだろうけど、何でこの人はこういう気の引き方しかできないんだろうね。

 まあ普通の引き方ができるんならアポなしで家に来た挙句、人の部屋に入ったりしないんだろうけど。


「これでも起きませんか……では仕方がありません。こちらも攻め方を変えることにしましょう」


 いつものならもう少し粘りそうな気もするけど、まあ部屋を散策されずに済むのならそれに越したことはない。


「氷室くん」

「…………」

「氷室くん、いい加減起きてくれませんか?」

「…………」

「氷室くん、起きてください」

「…………」

「氷室くん、さっさと起きないと……キスしちゃいますよ」


 最後まで吐息混じりのエッチィ声でした!

 起きろ統夜! 今すぐ起きないとお前のファーストキスが奪われてしまうぞ!

 いや待て統夜、中身がアレとはいえ外見は良い美人に初めてのキスを奪われるのはそんなに悪いことではないのでは?

 むしろキスの経験はあると言えるだけにプラスなのでは!

 なら俺が起きる理由なんて全然ないじゃん。起きるにしてもキスされてからで良いじゃん。その方はくだりとしても一段落するし。うん、それで行こう。

 となればある意味では最高なのだが、実際は起きなければならない理由がある。それは……


「……キスするとか言って部屋を歩き回るのやめてもらっていいですか」

「氷室くん、女の子が決死の覚悟でキスをすると口にしたのですよ。それなのにありもしない嘘を口にするなんて……あなたという人は本当にダメダメですね。ダメ過ぎてあれこれ言いたくなってしまいます。あ、このラノベはまだ読んだことありませんね」


 皆さん、これで理解できましたね。

 この人、決死の覚悟で言ったとか言ったけど絶対そんなもの持ってないから。ありもしない嘘で人を嘘吐き呼ばわりするダメダメだから。

 せめてさ、キスをするってところまでは俺の近くで言って欲しかったよね。離れながら言われたらどんなにリアリティあっても興奮しないもん。嘘だって絶対分かっちゃうもん。

 あーあ、これだけあれこれ考えると完全に目も覚めました。

 まぶたに重さは感じるけど、さすがに二度寝するには時間が掛かる。

 それにこれ以上何もリアクションしないのも悪手な気がする。本当に嫌だと思うくらい部屋の中を散策されても困るし。部長が片付けできないタイプだと部屋の中が荒れちゃうから。

 もしもこれが勝負なら完全に俺の負けだ。というか、そもそも勝ち目がない。部長がこの部屋に侵入している時点で詰んでいる。


「オタク相手にラノベを読むなとは言いたくありませんが、一言くらい持ち主に断りを入れてもいいのでは?」

「読んでます」

「それは事後報告って言うんです」


 というか、本と目が近いよ。

 そんなに目が悪かった? いやさすがにそれはないよね。部室ではいつも綺麗な視線で読んでたはずだし。


「……このオッパイ、堪りません」


 真剣な声で何を言ってんだろう。

 確かにそのラノベの挿絵に書かれていたオッパイは良いオッパイだったよ。絵から感じる質感とか重量感とか堪んねぇと俺も思ったよ。

 それに女性に対して男が読みそうな内容のラノベを読むなとも思いません。俺だって少女漫画とか読んだりするから。

 でもさ……これだけは言わせて欲しい。

 今のセリフ、本当に口にする必要があった? なくね?


「そうですか。ならそれ持っていていいので、この部屋から即刻退室してリビングにでも行っててもらえます? 着替えたいんで」

「氷室くん、こんな真昼間から初音さんを脱がせて初音さんのOPPAIを堪能したいとかエロエロですね」

「エロエロなのは人の言葉を脳内でそういう風に自動変換してるあなたです」

「先輩と後輩からいきなり男女の仲になりたいとか……これだから童貞は。ま、初音さんも処女ですけど」


 お願いだから人の話を聞いて。

 それとそこは童貞までで止めなさい。自分が処女だとか気軽に口にするんじゃありません。

 男ってのは女の子に対して夢を見たい時だってあるんだから。

 あんまり下ネタ的な発言ばかりしてると女の子として扱われないぞ。

 まあだからこそ美人なのに処女なんだろうけど。彼氏いない歴=年齢なんだろうけど。

 でも……こうも思ってしまうな。

 この人なら自分の手で貫通させましたなんて言っても不思議に思わない、と。


「んなことはどうでもいいからさっさと出て行きなさい」

「初音さんの初めてを手に入れるチャンスだったのに……氷室くん、あなたは本当にダメダメですね」


 ダメダメなのはあんたの頭だよ。

 まあ口にはしませんけどね。

 だってこの部屋から出て行ってから。ここで呼びかけて引き返されても嫌だし。

 そもそも、本を読みたいならそっちに集中して欲しいよね。こっちの話に適当に合わせられても会話が成立しないし。

 まったく、これだからオタクは……まあ俺もオタクなんですけど。

 だからオタクで括るのはやめておきます。きっとあの人だからこうなってるだけだろうし。

 ただ他人から見れば……

 なんだかんだで部長を追い出しもせず、せっせと着替えてリビングに行こうとしている俺も変人というカテゴリに思うのかもしれない。

 人の評価って時として残酷だよね。直接言われたわけでもないのにそう思うのは被害妄想でしかないけど。なので考えるのやめます。


「おっぱい、おっぱい、おっぱい、おっぱい、おっぱい……この作者、よほどのおっぱい好きと見ました。ふふ、気が合います」


 怖い。凄く怖い。

 ここ俺の家だけど、この魔物を置いて今すぐ外に飛び出したくなってきた。

 この魔物さ、どんだけおっぱいが好きなの?

 いや俺も好きだけど。大きいものに惹かれる傾向はあるけどさ。

 でもここ自分の部屋じゃないんだよ。

 他人の家のリビングなんだよ。

 俺が来るまでひとりの空間だったわけだけど、だからってこれほど自分の欲望を解放するかね。

 あの人は自分の欲望オーラをもっと隠す努力をすべきだと思います。


「おや? ずいぶんと早かったのですね」

「部長を放置しておくのは怖いですから」

「てっきり自家発電してから来ると思ったのですが。朝から初音さんを見てドキドキ、いえムラムラしてしまったでしょうし」


 ドキドキに関しては別の意味でならしたとも言えなくはない。

 でも絶対にムラムラはしてない。胸チラもパンチラもなかったし。キスするとか言ったくせに本気で迫る気ゼロだったし。

 つうかさ、この人マジで俺と話す気ある? ないよね?

 俺がキャッチして投げ返しても別のボール投げてきてるし。真面目に対応してる俺がバカらしくなってくるんだけど。

 真面目に対応しない方が良いのでは?

 うん、その疑問はごもっとも。俺もそうしようか悩んでいる。しかし、それをすると余計に面倒な絡み方されそうで怖くもあるんだよね。

 つまり、何が言いたいのかって言うと……


「氷室くん、言っておきますがここでの自家発電というのは保健体育で習うマスターなベーションのことです。そこは勘違いしないでください」

「そんな風に勘違いしているように見えましたかね? なら真実を教えてあげます。あなたに対して心底面倒臭いって思ってました」

「初音さんの内から溢れる聖女感に外見の魅力も相まって可愛さが天元突破、なんて……氷室くん、それは言い過ぎですよ。嬉しくはありますが、そんなに褒められてもこのラノベくらいしか渡せません」


 んなこと誰も言ってねぇ!

 あんたのどこに聖女感があるっていうの? あったとしても外見だけじゃん。内側から溢れるのは腹黒さだけだよ。

 というか、そのラノベ渡されても嬉しくないから。だってそれ、さっき俺の部屋からあんたが借りたものだし。

 子供じゃないんだから「ありがとう」くらいの感謝は出来るでしょ。せめてさ、それくらいの誠意は見せてくれてもいいんじゃないかな。

 と言いたい言葉は尽きない。

 だがしかし、これ以上この人のペースで進められると何の話もできずに夕方迎えてもおかしくない。

 さすがにそれはダメだ。

 故に会話が成立するか分からないけど、強引に進めてみよう。

 言っておくが、部長の正面のイスに座るのは対話性を高めるためだからな。

 断じて他意はない。部長の綺麗な顔を正面から見たいとか絶対にないからな。顔の半分は前髪で隠れてるんだし。

 ただ……ラノベのおっぱいを凝視していた時にテーブルに載っていた部長のおっぱいに関して気になっているだけだ。本当にこの人は着痩せするタイプなのかもしれない。男として今後の付き合い方を決めるためにもそこは見極めないとだろ?


「部長、部長は何でうちに来たんですか?」

「そんなの……氷室くんに会いたかったに決まってるじゃないですか」

「恥ずかし気な声で言われても視線がラノベに向いたままだと一切萌えません。ドキドキしません」

「氷室くん、あなたは初音さんで萌えたいんですか? ドキドキしたいのですか?」


 揚げ足が取れそうな時だけ嬉々として会話を成立させますね。

 まあそれくらいで動じる俺ではありませんが。この程度のことでいちいち反応していたら身が持たないので。

 ただ、心の中だけではあなたの質問に答えておきましょう。

 部長に対して萌えを感じたりドキドキしたいかって?

 そんなの……萌えたいし、ドキドキしたいに決まってるだろ!

 だって俺、そういうのを夢見る男の子だから! 男なら誰だって女の子に萌えやドキドキを感じたいよ。感じさせてくれよ!


「この家にはどうやって上がったんですか?」

「氷室くん、質問に質問で返すのは失礼です。せめて初音さんが可愛いかどうかくらい言ってから質問してください。今日の初音さん、私服ですよ」


 正論を口にするなら会話の道筋も正しくものにしてくれませんかね。あなたの言葉を真面目に受け取ると質問への返答が変わるんですが。

 はぁ……何でこの人は春らしい色合いのインナーにクールな印象のジャケットなんて組み合わせを選んだんだろう。外見には合ってるけど。クールビューティーを体現してるけど。

 でもそれだけに話した時のミスマッチ感がハンパない。

 せめて下ネタだけでも封印してくれれば……つかさや西森も残念美人だけど、この人はふたりとは別ベクトルで残念だよな。残念過ぎるよな。


「カッコいいですね」

「そこまで堂々と先輩の求めていない発言が出来るのなら可愛いと言ってもいいのでは? その方が初音さんは嬉しいです。好感度が上がります。もしかすると氷室くんに惚れてしまうかも」

「その方が困るんで絶対に言いません。あと部長の生き様をカッコいいとも思ってません」

「人様のボケを先回りして潰すとか外道ですか。大切なコミュニケーションの一節を破壊しないでください」


 後輩を弄り倒すことを大切なコミュニケーションとは思えません。そう思ってるのはそっちだけです。


「……まあいいでしょう。最低限は楽しみましたし、これ以上やって氷室くんに怒られでもしたら堪りません。本音としては怒られて、蔑まれて、罵られて興奮を覚えたいところですが」


 チラチラ。

 その視線は何のアピールですか?

 ドの付くM発言しましたよ。何か言うことはないんですかって言いたいんですか?

 何も言いませんよ。言ったらあんたが喜んじゃうでしょ。それに人っていうのはそこまでくれくれされると逆にあげたくなるものなんで。

 というわけで、多少なりとも満足したって自分で口にしたんだから話を先に進めなさい。


「仕方がありません。話してあげましょう。初音さんがどうしてこの家に来たのかを」

「…………」

「せめて相づちくらいしてくれないと初音さんも拗ねますよ?」

「拗ねて帰ってくれるなら俺としては非常にありがたいんですが」

「初音さんがこの家に来た理由はですね」


 この人、分が悪くなるとすぐ手の平返すよねー。


「単純にして明快。我ら二次元愛好創作部を未来を切り開くためのラノベを完成させるべく取材を行うためです」

「無駄に長くしなくていいです。というか、取材を行うのは週明けからだったのでは?」

「ライトノベルのタイトルはすでに決めてあります」


 んなことは聞いてない。


「その名も『オタクな俺とオタクな彼女』です。通称はオタオタでお願いします」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る