第2話 「君となら噂になっても構わないし」

 翌朝。

 セットしていたアラームによって目を覚ます。

 予想していたとおりまぶたに重い。だがゲームをしていて寝不足だったので学校を休みます、なんて理由が通るわけもない。

 大きなあくびを掻きながらベッドの誘惑を断ち切り、メガネを掛けて洗面台へ。冷水で洗顔することで強引に意識を覚醒させる。

 用意されていた朝食を済ませて身支度を終えると速やかに家を出た。

 俺の家から学校までは徒歩でおよそ20分。

 バスや電車で通っている生徒も多いだけに距離で考えればそれほど遠いとは言えない距離だろう。

 家から歩くこと約10分。

 目の前に大きな歩道橋が見えてきた。

 この歩道橋を渡って左に10分も進めば俺が通っている日輪ヶ丘高校の校門が見えてくる。

 つまり歩道橋が俺の家と学校との中間地点というわけだ。

 この歩道橋の上り下りは地味に大変ではあるが、学校まで残り半分まで来ていると分かるだけに精神的には楽になる。

 そう思いたいのだが……


「おっはー」


 そうさせてくれないのが現実である。

 声を掛けてきたのは月島つかさ。

 俺の寝不足の原因を作った悪女である。胸元のボタンを開き、上着を腰に巻くのが彼女の制服の着こなしらしい。

 手には春らしい色合いのフラペチーノ。

 おそらく近くの店でテイクアウトしたのだろう。朝から生クリームとか重くないのかね。俺だったら多分胸やけすると思う。

 というか、何でこいつは元気そうな顔してるの?

 寝た時間は俺と変わらないはずだよね。この歩道橋までの距離も俺と変わらないくらいだよね。

 睡眠時間は俺と変わらないはずなのに何でそっちだけ元気なの?

 それってちょっとずるくない?

 俺が朝弱いだけ?

 いやいや、俺よりもあっちの方が普段は弱いからね。まあ絡むとエネルギーを消費するから何事もなかったように学校に行きますけど。


「こらこら、寝不足なのは分かるけど無視するな」


 制服の裾を掴まれ思わず足を止める。

 美人にこのような形で止められるのは男子としては理想なのかもしれない。ドキッとするべきなのかもしれない。

 しかし、寝不足だからか心はげんなりするばかりだ。

 指先で掴まれているだけなので振り切るのは簡単ではある。ただそうすると余計に絡んでくるに違いない。

 そう思って立ち止まってしまうあたり、心だけでなく身体が月島つかさへの対応を覚えてしまっているらしい。


「放してください。警察呼びますよ」

「友達に呼び止められたくらいでそこまでする?」

「毎回ここで待ち伏せもされているんですが?」

「その言い方はひどいな。私はただいつもソロで登校しているトウヤくんがかわいそうだから一緒に登校してあげているだけなのに」


 ソロで登校している生徒なんか俺以外にもたくさん居ると思うんですが。

 というか、ひどいのはそっちだよね。そっちの方がひどいこと言ってるよね。

 俺にも多くはないけど友達はいるんですが。登校ルート的に学校まで合流しないってだけで。それはあなたも知ってるはずだよね?

 そう思いはするが、思ったこと全てを口にしていては会話も足も進まない。

 なのである程度の感情を押し殺し、つかさに合図をしながら学校へ向けて歩き始める。


「じゃあ今日からやめてもらって結構です」

「またまたー、トウヤくんだって本当は私と登校できて嬉しいくせに」

「…………」

「せめてさ、『は?』でもいいから反応してくれない? そんな冷たい目かつ無言で何言ってんだこいつ? みたいな顔をされるとお姉さんも泣きたくなるんだけど」


 こんなことで泣くなら今までにどんだけ泣いてるんだろうな。

 俺がこいつの泣きそうになったのを覚えているのは、高校受験の時期くらいなのだが。

 いやはや、あの頃は何度もう勉強なんかしたくない! と駄々をこねられたことか。まあでも今にして思えば良い思い出……でもないか。


「だったら待ち伏せするのやめれば良くね?」

「それは無理」

「俺はひとり寂しく登校するからか?」

「それもあるけど、トウヤくんは私のだらしなさを知ってるよね?」

「まあお前の友人未満の知り合いよりは」

「なら分かるでしょ? 毎朝トウヤくんを待ち伏せして、登校時間だけでも綺麗なお姉さんとのひと時を体感させてあげよう。みたいな目的がないと朝起きれないって」


 凄い上から目線な発言だよね。

 他人のためって感じに言ってるけど、結局は自分のためだし。

 それに自分で自分のこと綺麗なお姉さんとか言うとか……まあ綺麗ではあるけど。そこだけは認めないといけないところだけど。

 ただ絶対にお姉さんではない。だって同い年だし。家まで来て起こされたりした覚えもないし。


「というか、私と登校するのそんなに嫌なわけ?」

「嫌か嫌じゃないかで言えば……どう考えても嫌だな」

「そこはせめて考えずに言ってくれないかな! 考えての結論だと余計に傷つくんだけど。考えずに出した結論でも傷つくけど。トウヤくん、君には良心がないわけ?」


 こっちは質問に答えただけなのに酷い言われようである。


「俺がどう答えるかなんて予想できるだろ? 傷つきたくないなら質問するな」

「それだとコミュニケーションが取れないじゃん。てか……本当に私と一緒に居るの嫌なわけ? 本当に嫌なら一緒に行くのやめるけど……せめて理由を教えてくれないかな」


 軽くへこんでますって顔で言うのは卑怯だと思います。

 泣きそうな顔で言われるのはもっと卑怯だと思うけどね。そういう意味では現状はまだマシだと言える。

 ま、精神的に不利なのは変わらないが。男って生き物は女のこの手の顔にはマジで弱いよね。


「……お前は何かと目立つ。隣を歩かれたりすると本来なら浴びないはずの視線を浴びる。そこからあらぬ誤解をされるとさらに面倒臭い」

「それって……私と一緒に居るのが嫌じゃなくて、私と一緒に居ることで起きるかもしれない事態が嫌ってこと?」

「まあそういうことだな」


 あれ……何やら俯いていらっしゃる。

 心なしか身体が揺れているようにも見えるぞ。まるで噴火する前の火山のようだ。

 あ、こっち向いた。


「なら最初からそう言ってよ! 本気で君に嫌なことしてたのかなってめっちゃ考えたんだからね。前々から分かってはいたけど、君は言葉足らずというか紛らわしい言い方し過ぎ!」


 確かにつかさの言うように俺の言い方も悪いのだろう。

 そこに関しては多少なりとも自覚しているというか、わざとやっている部分もあるので認めよう。

 だがそれはそれが出来る関係であるが故であって……。

 というか、俺も結構こいつに不満を抱いても我慢してるんだけど。こいつだけ噴火するのずるくない?

 スマホやボイスチャットで話す機会はあるんだから朝の登校くらい別々にしてもいいと思うんだけど。この件に関して言えば、本当に俺だけが悪いのだろうか?


「そいつは悪ぅございました。でもそっちも悪いと思います」

「どこが?」

「どこが? あのですね、つかささんはとてもおモテになるんです。高校に入ってからのこの1ヵ月で何人に告白されました? ラブレターをもらいました? 中学時代から今までに何人に想いの丈をぶつけられました?」

「それは……えっと」


 パッと何人だって言えないあたりその数が窺い知れるよね。

 噂で誰々がつかさに告白したってのはよく耳にしてたけど、きっと俺が知っている以上の数なんだろうな。

 そう考えると顔が良い人達って大変だよね。

 まあ目の前に居るこいつは結局誰とも付き合っていないけど。

 あれ?

 それを考えるとこいつマジで悪女なのでは? それだけ多くの人の想いを打ち砕いてきたわけだし。


「おモテになるあなたと居ると嫉妬しちゃう人が居るかもしれない。そいつが俺に絡んでくるかもしれない。一緒に登校しなければそんな事態は起きないかもしれない。だから俺もあれこれ言いたくなるんです」

「そ、そうだとしても……ちょっと今日は言い過ぎじゃないかな」

「まあそこに関しては謝ってもいいが……元はと言えば、お前のせいで寝不足なのが原因だぞ」


 こいつのリアルラックほんと高過ぎ!

 レアって出にくいからレアって言うんじゃないの。剥ぎ取りとかでよく取れる素材の方が出にくいっていったいどういうこと。こいつのアカウントだけ確率バグってんじゃないの。

 一般人の運しか持たない俺からすると羨ましい限りです。割とマジで。


「いやいや、確かに素材集め手伝ってって言ったのは私だけど。でも途中で寝ていいよって言ったじゃん。なのにトウヤくんは最後まで付き合うし。私が悪くないとは言わないけど、トウヤくんにだって責任はあるよね」

「ふぁ~」

「ト~ウ~ヤ~くーん」


 あ、この笑ってない笑顔はヤバいやつだ。

 でもあくびしちゃうのは仕方ないじゃん。寝不足なんだもの。


「聞いてる、聞いてるって」

「ほんとかな?」

「ほんとほんと。俺からすれば別々に登校するのがベストなのは変わりないけど」

「うわー、ここまでのやりとりが無意味になるようなセリフを平然と。この男、清々しいまでの自己中だ」

「人間誰しも最優先なのは自分だろ。ただ、お前のためにも言ってるんだからな」

「私の?」

「学校での人気者とかイケメンならともかく、俺みたいな平凡な奴とあらぬ噂が立ったらお前も面倒だろ」


 俺の特徴なんてしいて言えば背が高いという点だけ。

 勉強は赤点こそ取ったことはないが、学年で上位というわけでもない。点数が取れるのは理系科目だけだし。文系というか暗記科目はどうにも苦手だ。

 ゲームとかに関する知識は覚えられるんだけどな……結局はやる気の問題か。人間って興味のないものってあんまり覚えないし。


「そういうわけで再度別々に登校することを提案する」

「トウヤくんの考えは分かった」

「そうか。なら」

「うん、却下で」


 俺の聞き間違いかな?

 とても良い笑顔でノーって言われた気分なんだけど。


「何故に?」

「朝起きる理由がないと遅刻するから」

「え、そんだけ? というか、それなら別に理由作れば良くね? 同性の友人と待ち合わせすれば万事解決では?」

「ふふ、私のだらしなさを知っているのは家族を除けば君くらいなのだよ! 故に他の人だと起きれる気がしない!」


 ねぇみんな、この人が少し前に言ったこと覚えてる?

 この人、俺に向かって自己中って言ったんだよ。清々しいまでの自己中って言ったんだよ。

 なのにこの言動はどうなの。

 俺からすると自己中なのはこの人の方だと思うんだけど。少なくとも同類だと思うんだけど!


「それに……君となら噂になっても構わないし」


 ……はい?


「だから、私はトウヤくんとなら噂になっても構わないって言ったの」


 え、ちょっ、ここここいつはな、何を言って……


「そういう噂があったほうが告白とか断りやすくなるし、告白とかされる回数も減るだろうから」


 ……あぁ……そういう。


「そもそもの話、あんまり彼氏が欲しいとか思わないんだよね。ゲームとかする時間が減りそうだし。何よりそれなりにオタクというか、大前提としてオタクに理解がある人じゃないと付き合うとか無理」


 それには同感だけど。

 一般人の考えていけば、俺もつかさもそれなりのオタクに分類されるだろうし。

 加えてつかさは、俺と違って学校ではオタク的な会話をどこでもするわけではない。

 本人にはオタクであることを隠す意識はそれほどないのだろう。

 が、交流のある友人の話題がオタク寄りではないだけにオタクという認知をされない。

 それだけに告白してくる相手は、つかさがオタクであることを知らない可能性が高い。

 仮にそこを乗り越えても私生活のだらしないを知らない。

 あれは男の理想をぶち壊しかねないだけに……最初に高い理想を抱かれているだけに落差も相当なものになるだろう。


「そういう意味では……トウヤくんって私の理想なのでは?」

「お前も寝不足なんだろうが、寝言は寝てから言えよ」

「寝言でベラベラしゃべってたらそれはもう寝てないと思うんだけど。それにそんなにおかしなこと言ってるかな?」

「言ってないと思うんですか?」

「思います。だってトウヤくんは私がオタクであることを知ってるし、趣味に関してどうこう言わないし、私のだらしないところも知ってる。ほら、理想的じゃん」

「それは理想を追い求めた結果じゃない」


 俺で妥協しているだけだ。


「理想はもっと高く持て」

「高すぎる理想を持っても実現しないじゃん。人生にある程度の妥協は必要だと思います」

「それには概ね同意するが……俺はお前から妥協で選ばれても嬉しいとは思わないぞ」


 他の奴よりこいつの知りたくないようなところも知っちゃってるし。


「何よりお前と付き合ったら絶対イケメンさんや嫉妬に狂った連中に絡まれる」

「そこは美人な彼女が出来るということで」

「無理」

「だよね、うん、まあ分かってたけど。でも君と話してると……たまに女としての自信を失いそうになるよ」


 今ある自信くらいなら失っていいんじゃないかな。

 だって外見だけの自信だろうし。まあそこも女としての自信なのは間違いないだろうけど、男としてはもっと家庭的な一面も欲しいと思っちゃうよね。

 せめて「まあ……これくらいなら」ってくらいには部屋を片付けられるようになってほしい。

 なんて考えている間に視界に映る生徒の数も増えてきた。遠目に学校も見えているだけにもう少しで到着だ。


「あーあ、登校デートももうすぐ終わりか」

「一緒に登校したくらいでデート扱いするな。そもそもデートとか言うな。それが理由で誤解されたら堪ったもんじゃない」

「なんだかんだで入学してからの1ヵ月、こうして一緒に登校してるんだから今更だと思うんだけどなぁ」

「何事にも努力は必要だろ」

「その小さな努力、別の方向に向けた方がまだ効果的なんじゃ……」


 こういうときの正論って聞きたくないよね。

 それにきっと大丈夫。

 なんだかんだこの1ヵ月、つかさとの噂が立ったりしていないし。男子に絡まれたりもしていない。

 何かあったとしても多分……


『つかささんは気さくな性格だから登校中に偶然一緒になって話しかけてもらったのかな。くっ、あの野郎……羨ましい』


 これくらいのはず。

 うん、だから大丈夫。今日もきっと無事に1日乗り切れる。


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