Station:02 美観キノコ駅
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あたしの名前は工藤アスカ。
神奈山県横花市の学校に通う、ちょっと不思議な異世界に迷い込んだことがある以外は、偏差値が72ぐらいのごくごく普通の高校一年生だ。
学校帰りの電車の中。
なんとはなしにスマホでTwicherのタイムログをぼーっと眺めていると、ふと嫌な感覚がした。
「うわぁ」
顔を上げて、思わず声が漏れた。
車窓の外に広がっているのは、カラフルでメルヘンファンタジーな世界だった。
清涼飲料水のようなどぎつい青に染まった川に、ピンクや紫のパステルカラーのドット柄やシマ模様の巨大キノコがあちこちに群生している。
謎の白い綿毛みたいなオブジェクトがレモン色の草原の上に転がり、丸いフォルムの謎の四つ足生物が何食わぬ顔で跋扈していたりなど、某幼児アニメを彷彿させるような、いかにも作り物っぽい不自然な『キノコの森』が地平線の彼方まで続いていた。
あたしはあたりを見渡した。
例のごとく、車両内にいたはずの人が全員いなくなっている。
あぁ、またか。
またあたしは《異世界》に迷い込んだのか。
しかも、この前と違ってすごい気持ち悪い。
視覚効果っていうヤツか。
目に見える景色にやたらピンクとか紫が際立っているせいか、なんだか甘ったるい匂いが鼻の中にしつこく入ってくるような気がする。ちょうど見たくもないこってりこってり系ラーメンの映像を見せつけられているみたいな。そんな感覚だ。
正直、口の中にまでキャンディーの甘さが滑りこんでくるみたいで、胸焼けを起こしそうだ。
「なんだ、ここ?」
低い女の子の声が車両内に響いた。
誰かいる?
あたしが声のする方向に振り向いた。
「吉沢さん?」
車両の奥の座席に、同じ制服を着た女子生徒がいた。
同じクラスの吉沢リョウだ。
恰幅のいい体型と超がつくガサツな性格から、クラスから『デラックス』とあだ名が付いている。
どうしてデラックスというあだ名なのか、あたしは知らない。
「アスカ?」
あたしを見つけたリョウが、座席から立ち上がってこっちに駆け寄ってきた。
うわー、気まずいな。
よりにもよってリョウって……悪い子じゃないのはわかるんだけど、距離が基本近いっていうかなんていうか、そんなに親しくないのに名前呼びしてくるし、正直苦手なタイプだ。
「えー! アスカってアクアライン使ってたの? しかも湘西台方面でアタシと同じじゃん!」
うん。そうだね。知ってる。
同じ車両になっても気づかれないように頑張って気配消してたから、あたし。
《この度は【横花市営地下鉄 異世界アクアライン】をご利用いただき誠にありがとうございます。次は『美観キノコ』に到着です。お出口は左側となります。Ladies and gentlemen.We will soon make a brief stop at BIKAN KINOKO.The exit will be on the left side.Thank you.》
車両内にアナウンスが流れた。
顔を上げると、扉の上部に設置されている液晶モニターに『美観キノコ BIKAN KINOKO』と表示されていた。
「美観キノコ? 何その駅」
リョウがつぶやいた。
あたしも聞きたい。なんだ、美観キノコ駅って。
「まぁいいや。とりあえず降りようか」
「え、降りるの?」
電車が駅に止まり、車両のドアが開いた。
「だって乗る電車間違えたんでしょ? 降りて乗り換えるしかなくない?」
リョウはそういうと、何の躊躇いもなく電車を降りた。
何が起きるかわからないのに、リョウって度胸あるというかなんというか……さすが肝っ玉母ちゃんだなって思った。
「吉沢さん、待って」
あたしはリョウの後を追いかけるように電車を降りた。
駅のホームに出て、あたしとリョウは驚いた。
「え、ヤマピー?」
「デラックス? 来てたの?」
ホームにいたのは、あたしたちと同じ制服の女子高生たち、もとい、同じクラスメイトたちがいた。
「なに? どういうこと? なんでヤマピーここにいるの?」
リョウがヤマピーこと山田ユウキに声をかけた。
巻き髪に厚化粧のヤマピーは「知らないの?」とあたしとリョウに訊き返した。
「ここイムスタ映えで有名な異世界なんだよ? てっきりリョウたちもそれで来たんかと思ったんだけど、違うの?」
いや、イムスタ映えする異世界ってどういうこと?
どっから仕入れたその情報。
「知らないの? Twicherでリチュイートしまくってるよ?」
「え? そうなの?」
ついさっきまでタイムラインを眺めてたけど、そんなリチュイートを見た覚えがない。
っていうか、イムスタのために異世界に来るとかマジか。あたしが知らないだけで異世界って、そんなカジュアルな場所なの?
「ごめん、ヤマピー。アタシら別に遊びにきたわけじゃないんだよね。なんか電車乗り間違えたみたいでさ。帰り方とかわかる?」
リョウがヤマピーに訊いた。
ヤマピーは「ああ、そうなん」とつぶやくと、クリアケースにシールをデコりまくったスマホをカバンから取り出し、慣れた手つきで画面をタップし始めた。
「あー、次の現実行きの電車、1時間後みたいだね」
「マジで?」
ここも1時間後?
うわマジか。
駅で1時間も電車待つのって結構しんどいんだよな。
スマホの充電も5%切ってるし、クラスでそんなに仲良くないリョウと1時間2人っきりとか、マジで勘弁してほしいんだけど。
「そっか。ここで待つのもなんだし、アタシらも時間潰しに降りるか、アスカ」
あたしは目をむいてリョウに振り返った。
何言ってるのあんた!
こんな得体の知れない場所に降りるって正気⁈
「どうせ暇じゃん。うちら。1時間さくっと遊んで帰ればちょうどよくない?」
「いや、そうかもしれないけど」
「だったら行こうよ。異世界なんてそうそう行けるもんじゃないじゃん。何事も経験だよ」
「え、あ、うん」
なんだかなし崩し的にあたしも駅から降りることになった。
だけど、なんだろう。
このポジティブな解釈と行動力。
とりあえず、人喰いドラゴンも人を踏み潰すゴーレムはいなさそうだけど、だからといって安全だって保証なんてどこにもないのに、怖くないの?
あたしがビビリすぎなのかリョウの神経が図太いのか、どっちかわからなくなってきた。
「きゃー! かわいい!」
駅の外に出ると、パステルカラーのキノコがあちこちに生えていた。
クラスメイトの女子たちは、嬉々としてキノコをスマホで写真に撮っている。
キノコをバックに友達同士で集合写真を撮ったり、キノコに抱きついて写真を撮ったり、黄色い声をあげながらパシャパシャと写真撮影を楽しんでいた。
可愛いか? このキノコ。
パステルカラーの縞模様のキノコだぞ。
どう見たって毒キノコだろ。これ。
口に入れるどころか触っただけで何か得体の知れない病気にかかりそうな、そんな雰囲気すら感じる。
《よーこそ! 美観キノコの異世界へ!》
突然、頭上あたりからアナウンスが聞こえた。
《この異世界は女の子限定のメルヘンファンタジーワールドだよ! お菓子もジュースも全部タダ! 学校であった嫌なこと全部忘れて、美観キノコの異世界を楽しもう!》
駅を降りると、無人の店舗が軒を並べていた。
プリクラやUFOキャッチャーが置いてあるゲームセンターや、綿菓子やタピオカミルクティーが並んでいる無人の飲食店など、謎のキノコが密生している以外、都心のオシャレタウンで見かける娯楽嗜好品が一通り揃っている。
店舗には他校の女子高生がいて、綿菓子を食べたり、UFOキャッチャーで景品を取ったりと、それぞれ思い思いに遊んでいる様子が一望できた。
なんだこの異様な雰囲気。
そこかしこに怪しい匂いがぷんぷん感じる。
そもそも、さっきのアナウンスはなんだ。
飲食が無料……?
しかも、女の子限定……?
なんだその条件。
どうして無料で女の子限定なのか説明が一切ない。
この場所の目的がなんなのか、まったくわからない。
「デラックス! CikCokやろー!」
ヤマピーが小さな三脚をキノコの頭の上に置くと、リョウを手招きした。
「おー! いーねー! やろやろー!」
「ちょっと、吉沢さん」
あたしはリョウの腕を掴んだ。
「どうしたの?」
「なんかここヤバイよ。女の子限定とか食べ物タダとか、どう考えても怪しいって」
「ん? 異世界だからアリじゃない?」
異世界だから……って。
それで片付けていいの?
「アスカ。あんた細かいこといちいち気にしすぎ。そういう設定なんだって受け入れなよ。遊園地の着ぐるみに対して『こんな生き物現実に存在しない!』なんてこといわないでしょ? それと同じだよ」
いや、違うだろ。
それとこれとは一緒にしないで。
つか、なんだ。さっきから。
さっきから喚いているのあたしだけじゃん。
ひょっとして……ズレているのあたし?
いやいやいや。
そんなことはないはずだ。
あたしの感覚は間違ってない。おかしいものはおかしいんだ。たぶん、みんなの感覚が麻痺しているから、おかしいことに気づいていないんだ。
周りに飲まれちゃダメだ。
自分をしっかり持たなくちゃ。
そうあたしは自分自身に強く言い聞かした。
「デラックス、まだ?」
「今行く! アスカ、あんたも来な」
え、あたし?
あたしはいいよ。
CikCokみたいなリア充の遊び、やったことないし……。
「いいから、来なって」
有無も言わさず、リョウはあたしの手を引っ張った。
「ちょちょ! 待ってよ!」
「恥ずかしがらなくていいから! こういう馬鹿なことやるのも楽しいから!」
無理やり連れてこられたあたしは、リョウの指示の元、CikCokのダンスを踊ることになった。
「え、こう?」
「そうそういいじゃん!」
スマホから流れる音楽に合わせて、あたしとリョウ、ヤマピーの三人が息を合わせてくねくねとダンスをする。
意味はまったくわからない。
カメラに向かってダンスとか、最初は恥ずかしくて、動きが小さかった。
だけど。
スマホから流れる音楽に合わせて踊っていくうちに、恥ずかしさも緩和され、だんだんと気分が高揚していく感覚がした。
あ、これ。
なんか楽しいかも。
そう思った。
「超ウケる! アスカめちゃ動き早くない?」
撮影した動画をスマホで見ながら、リョウとヤマピーが爆笑する。
そんな大した運動やっていないのに、なんだかドキドキした。
別に自分自身をそんな卑下するつもりはないけど、田舎のイモみたいなあたしが、こんな原宿とか渋谷に入り浸ってる今時のキラキラJKたちと一緒にキラキラJKみたいな遊びをすると、高揚感というか浮遊感がすごい。
「工藤さんってさー、なんかとっつきにくいイメージあったけど、結構ノリいいね」
「そうだよ。アスカ、すごい自分隠してるからね」
ヤマピーとリョウがあたしにいった。
かぁっと顔が熱くなってきた。
恥ずい。
普段、イジられ慣れていないせいか、陽キャラのリア充2人に囲まれてイジられまくっているこの状況、かなり恥ずかしいぞ。羞恥プレイもいいところだ。
ああ、無理。
ちょっとこの場から一旦離脱しないと無理かも。
「ごめん。トイレ」
「トイレはそこだよ」
ヤマピーがトイレの場所を指差した。
ヤマピーが指差したのは、キノコの形をした小屋だった。
あたしは一言お礼を言って、教えてもらった小屋に向かった。
小屋の中のトイレは、洋式ではなく和式だった。
ここだけ世界観が崩れるなぁ。
飛葉県の夢の国ワンダーランドはトイレの中までネズミーくんやワンダーキャラクターのデザインが施している徹底した世界観だったりするけど、ここはそうでもないんだ。
あたしは心の中でぼそっと独り言をつぶやくと、和式便器を跨いでスカートをたくし上げた。
《ふひひひひひひひひひひひひひひひひひひひひ!》
不気味な笑い声が聞こえた。
びくっと肩が跳ね上がる。
あたしはあたりを見渡した。
なに?
誰かいるの???
《ええ、眺めやなぁあああ、ふひひひひひひひ》
下から声が聞こえる。
おそるおそる視線を落とした。
あたしは悲鳴を上げた。
《ふひひひひ、こんにちわぁ……ふひひひひひひひ》
和式便器の中に、おじさんの顔が埋め込まれていた。
おじさんはいやらしい笑みを浮かべ、あたしをじーっと見つめている。
《よーけ遊んどきやぁー……君らがここにおればおるほど、わしの仲間も元気になるさかいのぉ……ふひひひひひひ》
なに? 元気になる? どういう意味?
「君らが喜んで写真撮ってるのなぁ……ふひひひひひひひひ……わしらのふひひひひひひ……なんじゃよ、ふひひひひひ」
ぞわっと寒気が走る。
羞恥心で顔が熱くなるよりも、鳥肌が全身に立った。
あたしはトイレから飛び出した。
《くくくく……ええのぉ……白はええのぉ》
《こっちの娘は縞々じゃ…………》
《おやおや、紫もあるのかぁ……ませてるのぉ》
地面を見渡し、あたしは絶句した。
ピンクや青色のパステルカラーの芝。
その芝をよく見ると、中年オヤジの『顔』が隠れているのがわかる。
顔はひとつだけじゃなかった。
二〇……四〇……六〇……?
いや、違う。
もっとだ。
パステルカラーを『迷彩』にして、地面の芝全体に中年オヤジの顔がたくさん並んでいる。
地面に埋まっている中年オヤジたちは、ニタニタといやらしい笑みを浮かべて、クラスメイトたちの足元の光景を眺めている。
「みんな! 逃げて!」
あたしはスカートを抑えながら声を上げた。
リョウとヤマピー、一緒に来ていたクラスメイトたちが、キョトンとした顔でこっちに振り向いた。
「どうしたの?」
「やばいよここ! だって……」
ばしゅぅ!
空気が噴出する音が響いた。
ふわふわふわっと、なにか白い物体が空から降ってきた。
「泡?」
ハンドソープで泡立てた白いモコモコの泡だった。
微かに変な匂いがする。
これ、まさか。
「アスカ。落ち着きな。わかってる。わかってるから」
リョウがあたしの隣に立ち、うんうんと頷いた。
リョウの頭の上には、泡が山盛り乗っている。
「そもそも《異世界》なんてロクでもない場所なんだから、いちいち恥ずかしがってたりブチギレたってキリないよ」
「……リョウは平気なの?」
こんな状況でどうして堂々といれるの?
しかもそんな仁王立ちなんかして……。
「いつも体操服下から履いてるからね、アタシは。ふん!」
リョウが思いっきり地面を踏んづけた。
《うぎゃあ!》
遠くからおっさんの汚い悲鳴が聞こえた。
「見てみ、ヤマピーたちを。すげぇ楽しんでるじゃん」
顎をしゃくってリョウがヤマピーとクラスの女子たにを指した。
「きゃー! あわあわだぁ!」
ヤマピーたちクラスの女子たちは、空から落ちてくる泡を、まるで子供のように両手ですくい、お互いにぶつけて嬉々として遊んでいた。
「本人たちが楽しけりゃ、それでよくね?」
リョウは鼻で笑った。
あたしは思った。
とりあえず、明日から体操服をスカートの下に履こう。
そう心の中で決めた。
To be next station...
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