欲望の感染者

影山 コウ

始まり

第1話 プロローグ

「ふー、暑い……」


 鬱陶しい程の陽射しが照り付け、熱されたコンクリートの地面からジリジリと熱が辺りに拡がる。トングを使い捨てられた空き缶を拾いながら、思わず文句を言う。


「偉いねぇお兄さん。まだ高校生くらいだろう? そんなに若いのにボランティアの手伝いだなんて」


 隣で同じようにゴミを拾っているお婆さんにそう言われ、笑顔で返す。


「はい、高校生三年生です。……俺は好きでやっているので、偉いなんてそんな」

「いやいや、偉いよぉ。最近は若い子達は皆、自分の事で忙しいからねぇ。町の為にボランティアに参加してくれるだなんて。……うちの孫にも見習ってもらいたいよ」

「ハハハ……」


 乾いた笑いが溢れてしまう。お孫さん、こんな感じに毎回文句を言われているのかな。と、見知らぬ孫に同情をする。


「……お? もう三時だね。お兄さん、今日はもうこれで終わろうか? おかげで助かったよぉ。駅前って結構ゴミが落ちてるんだけど、お兄さんが手伝ってくれたから早く終わったね」


 ふとお婆さんが駅前に設置されている大きな時計を見て、にこりと笑う。


 もう午後三時か。買い出しに行かないとだな。


「こちらこそ、ありがとうございました。ではまた……」


 お婆さんに挨拶し、財布を取りに一旦家に帰ろうとすると……不意に空き缶が落ちる音がした。


「……あ?」


 お婆さんと俺の間に、空き缶が一つコロコロと転がっていた。……その少し奥に、自転車でさっさと前へ進んでいく男が見えた。

 ……あの野郎、ゴミ掃除している人間の前でゴミを捨てやがった。


「やぁねぇ。あんな人もいるんだねぇ……。私が拾っておくよ」

「いえ、お婆さん。どうやらの様なので、届けてきます」


 空き缶を拾い、既に百メートルほど離れた自転車を見て、足に力を込める。まだ追い付けそうだな。


「え? 自転車だったし追い付けないわよ? それに落とし物じゃ━━」


 お婆さんが言葉を言い切る前に、俺は思い切り走り出した。

 風を切りながら、猛スピードで自転車との距離が縮まっていく。


「おっ!?」


 あっという間に自転車と並走し、ハンドルを握って自転車を止めた。


「お、お前何しやがる!」

「落とし物ですよ?どうぞ」


 いきなりの出来事で驚き怒る中年くらいの男性に、笑顔で空き缶を見せる。


「は? 何言ってやがる。それは俺が捨てた━━」

「落 と し 物、ですよ?」


 男の言葉にイライラしながら、空き缶を自転車の前かごに放り投げ、その場を離れようと踵を返す。


「テメ、ふざけんじゃねぇ!」


 自業自得の癖に怒り狂った男が、俺の右肩を強く掴む。……どうやら、少し痛い目を見ないと分からんみたいだな。


「離して下さい……よ……!」

「イッ、痛ててててて!!?」


 掴んで来た腕を思い切り握り、ミシミシと音を立てる。男の顔が先程よりも更に険しくなり、痛みからか顔が真っ赤になっていく。


「おっ、俺が悪かった! だから、離してくれぇ!!」

「次やったら……折りますからね」


 涙目になり謝る男を見て、手を離す。

 男は怯えながら、フラフラとした運転で何処かへ去っていった。


「……俺の倍くらい生きている人間が、なんであんな事をしちまうんだろうな」


 思わず溜め息を吐き、その場を後にする。


 ……ここ最近、身体能力が異常なほど上がった。自転車に追い付けるほど足が速くなり、握力はそれこそ人の腕も折れるんじゃないかってくらいには強くなった。筋トレ等をしている訳じゃないのに、一体何なんだろうか。そう考えていると


「……?」


 背後に視線を感じ、振り向く。しかし、誰もいなかった。

 ……気のせいか。今度こそ、買い出しに行こう。


   *


「卵、牛乳、水……良し。全部あるな」


 家の近くのスーパーで買い物を終え、ビニール袋の中身を確認した後買い出し用のメモをしまう。この時間は商品が安くて良いな。節約になって大変助かる。


「帰るか……ん?」


 ふと横の道路を見てみると、近くの公園から幼稚園児くらいの子供がボールを追いかけて飛び出してきた。危ないな、と思った矢先……大型のトラックがクラクションを鳴らしながら走ってきた。


「ヤバいっ! 逃げろー!!」


 子供が近くまで迫ったトラックに気が付くが、突然の事で固まっていた。それを見て咄嗟にビニール袋を捨てて走り出す。

 ……間に合え!


「くっ!」


 なるべく怪我をさせないように子供をその場から突き飛ばし、直ぐに自分も離れようとする。が


「うっ!? 足、吊った……!!」


 咄嗟に動いたせいかふくらはぎが吊り、痛みで姿勢を崩す。そして、目の前までトラックが迫ってきた。

 死ぬ、死ぬのか……!? 俺はこんな所で、死んじまうのかっ!? 嫌だ、まだ俺は……!


「畜生ッ!!」


 もうダメだ、と思い目を瞑る。そして、意識がフッと消えていく。その瞬間、何か大きいものがぶつかる様な音が聞こえたが……それを確認する前に意識が途絶えた。


   *


「━━いちゃん━━お━━いちゃん━━━……おにいちゃん!!」

「っ!」


 声に導かれ、意識が覚める。呆けた意識を整えながら、辺りを見る。すぐ側に、轢かれそうになっていた子供が涙目で立っていた。


「おにいちゃん! よかった……ぼくがとびだしたから……ひっく……」

「君……良かった、怪我は無いみたいだな」


 多少気を使ったとは言え突き飛ばしてしまったが、幸い怪我はしていないみたいだな。

 ……それよりも。何で俺は生きている? それどころか、体に痛みも目立った傷もない。ほんの少し腕に擦り傷が出来ただけだ。あの状況からそんな奇跡が起こるのか?

 子供から事情を聞こうと立ち上がると……目の前に、異様な光景が広がっていた。


「……え……」


 目の前に見えた物は、先程俺を轢きそうになったトラックだ。

 そのトラックが……横倒しになって倒れていた。運転手らしき青年が外に投げ出されたのか、公園の茂みに倒れていた。

 他の車がトラックに当たったのか? と思い近くを見渡すが……他に車は見当たらない。


「な、なぁ君! 俺が君を突き飛ばした後、何があったか覚えてるか?」

「えぇと……きゅうにトラックがたおれて……ごめんなさい、そのくらいしかわかりません」

「急に……そうか、ありがとう」


 ……急に倒れた? 余計に分からなくなったが……とりあえず、俺は助かったのか。


「う、うう……?」


 茂みに倒れていた運転手が目を覚ましたようで、辺りをキョロキョロと見ていた。そうだ、運転手にも聞いてみよう。そう思って側に近寄ろうとした時。不意に肩を叩かれた。


「?」


 背後を振り向くと……自分より少し背の高い、黒いスーツで全身を包み、真っ赤な長い髪をした美女が立っていた。こちらの顔を見た後、にこりと優しく笑う。


「見付けた。君はどうやら……目覚めたばかりの感染者ディザイアのようだね」

「……はい?」


 聞き慣れない単語を喋った後、こちらの手を握りトラックの側へと歩き出していく。


「ち、ちょっと……! ディザ……何ですって? というか、誰ですか!?」

「それは後で話すよ。それよりも君には、感染者ディザイアとしての自覚を持って貰おうかな」


 引っ張られるままトラックのすぐ近くまで寄り、女は黒い手袋をした指でトラックのフロントガラスに指を指した。そこには


「な…………!?」


 ひび割れたフロントガラスに、くっきりと大きな手形が付いていた。それが何を意味するのか分からず、ただひたすら困惑する。

 そして、女はそんな俺を見て……再び笑う。


「ようこそ、月星つきほしレイラ君。感染者ディザイアの世界へ」


 ━━告げられたその言葉に、俺は……苦笑いを浮かべることしか出来なかった。


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