第25話 絆
夏で満たされた境内に、一陣の風が吹き抜けていく。
それに吹かれた拝殿の鈴が、カランと控えめに鳴いた。
まるで何かに遠慮するように。それでも誰かを祝福するように。
「まさかまた会えるなんて、思ってなかったわ」
俺の隣で静かな声がする。
俺の腕が、肩が、手のひらが。触れ合うすべてが熱を持つ。
「嘘だな。沙夜も俺に会えるって信じてくれてたはずだ。じゃなきゃこうして話すことも、手をつなぐこともできない」
固く繋がれた手を持ち上げて、俺は笑いかける。沙夜はそんな俺の顔を見て、恥ずかしそうに目を伏せた。
「そりゃそうよ。あの時は自分で願いを叶えられるって信じてたわよ? でも冷静になってみるとありえないなって思うんだもの」
「ばっかお前、急に冷静になるなって! 愛の告白……、もといプロポーズした俺めちゃくちゃ恥ずかしいだらうがっ!」
「は、恥ずかしいのはこっちよ! いきなり何もかもすっ飛ばして、け……、結婚とかっ! 無責任にもほどがあるわ!」
「それはなんていうか、勢い余ってというか、想いがビックバンしたというか……」
恥ずかしくなってそっぽを向く俺に、沙夜は不安げに揺れる瞳を向けた。
「な、なによ。あれは嘘だったの……?」
「んなわけないだろ? 俺が沙夜のこと好きなのは変わらないし、言った言葉に嘘は一つもない」
「私のことおばさんだっていうのに?」
「好きになるのに歳は関係ないだろ? それに体は高校生じゃん」
「でも私胸は小さいし……」
「そのくらいじゃお前を好きじゃなくなる理由には足りないな」
格好つけてそう返したのだが、沙夜は不満そうに目を細める。
「それ、情が言ったんだけど?」
「そ、それはほら、好きな子には意地悪したくなるというか、意地悪したときの反応含めて好きというかだな」
「ふふっ、私も好きよ。情のそういう反応含めてねっ」
さも楽しげに、いたずらっぽく笑う沙夜は、天使と見紛うほどに美しかった。
一週間も会わないと何割か増してきれいに見えるな……。仕返しと告白をされたのだと忘れてしまいそうなほどだ。
「……って、今俺の事好きって言った? お返事いただけてた!?」
「ええ、そうよ。もぅ、最後まで格好つけられないわけ?」
「無茶言うなって。さっきので人生全部の格好つけポイント使い切ったよ。ここからは平常運転で行きます」
変に格好つけてもいつかヘマをやらかすだけだ。身の丈に合わないことはしないに限る。
……でもまぁ、沙夜のためになら少しの背伸びくらいはしてもいいかな。
「ホント、あんたは昔から変わらないわね。ここでいじけてたときと変わらず、自分に素直で裏表がない」
沙夜は懐かしむように視線を遠くに投げ、過去を眺める。
……いや、ちょっと待て。なんで沙夜が昔の俺のことを知ってるんだ? 透明になるだけじゃ飽き足らず、千里眼まで手に入れたとか!?
「……馬鹿なこと考えてる顔してるわよ。ちょっと考えればわかるでしょ? 私は10年もこの神社にいたのよ?」
「あ、そゆことね。俺子供の頃はたまにここ来てたし、それを見てたのか。なんかそれってご先祖様っぽいな」
「だーれがご先祖様よ! そこまで年寄りじゃないってのっ!」
抗議するようにつないだままの手を俺の
でもそうか、沙夜は俺を知ってたんだな。だから初めからあんなに親しげで、俺もなんだか親しみやすかったんだ。
「うん、なら納得だな」
「なにがよ?」
「俺たちが出会って、こうして互いを好きになったことがさ」
沙夜はずっと昔から俺を見てきて、きっと俺もどこかでその視線を感じていた。だから沙夜とは初めてあった気がしなかったんだ。
「……そうね。悔しいけど、あの神の目論見通りってわけね。心の底から腹立たしいけど、それ以上に幸せだから複雑だわ」
「あ、そうだよ! 試練はどうなったんだ? 結局沙夜が消えた理由も何も聞いてないし」
「あぁ、それは――」
その時、鳥居の方から砂利を踏む音が聞こえた。
ここに人が来るなんて珍しいので、思わず会話を中断して音の方に振り向く。
それに、今は俺一人で拝殿前に座り込んでるように見えるわけだから、あまり大っぴらに会話もできない。
そうして少し緊張しながら見た鳥居には、俺達のよく知る人物が立っていた。
「飯島?」
「理恵!」
額に薄っすらと浮かんだ汗を拭う飯島は、驚いたように俺を見た。
そして驚いた表情はそのままに歩み寄ってくると、上がった息を整えることもせずに言った。
「諏訪部君……? どうしてここに?」
「それはこっちのセリフだよ。飯島こそどうして……?」
「私は沙夜ちゃんを探す手がかりを見つけられないかと思って。それはそうと――」
そして、飯島はさも当然のように俺の隣りにいる沙夜に目を向けた。
「――そちらの方は……?」
「……え?」
初め、それはなにかの冗談だと思った。あるいはここ最近落ち込んでいた俺を励ます言葉なのかもと。
でも違う。飯島の目は確かに俺の隣の沙夜に向けられていて、知らない人に会ったときのような緊張と好奇心を滲ませていた。
「理恵、私が見えるの……?」
沙夜の言葉に、飯島は目を見開く。
確かに沙夜を映すその瞳は、全てを理解していた。
「沙夜、ちゃん……?」
「理恵っ……!!」
駆け出す沙夜は、勢いよく飯島に抱きつく。
飯島は未だ驚きを残しつつも、胸に飛び込んできた実体を持った沙夜を、恐る恐る抱きしめた。
「本当に、本当に沙夜ちゃんなんですね……? 諏訪部君の頭の中だけじゃない、私の仮説の中だけじゃない、現実に存在する沙夜ちゃんなんですよね……?」
「ええ、ええ! ずっと会いたかった。それとずっと言いたかった。見えない私と友達になってくれて、ありがとうって……!」
涙を流して飯島との出会いを喜ぶ沙夜を、飯島は確かに抱きしめた。
決して離さぬように、夢でないと確かめるように、しっかりと抱きしめる。
「私もずっと会いたかったです。私の、大切な友達に」
……おいおい、沙夜のやつ俺と再会したときより喜んでない? あれ、俺と沙夜って両思いってことでいいんだよね?
でも、そんなつまらない嫉妬は、目の前の光景を見れば吹き飛んでしまうような
だって、笑ってるんだ。あの飯島が、表情もろくに変わらない無愛想な飯島が、端から見てもわかるほどはっきりと。本当に嬉しそうに笑っているんだ。
「……よかったな、ほんとに」
そんな笑顔を見たらさ、俺だって嬉しくなっちまうだろ。思わず笑みだって溢れる。
あぁ、本当に。よかった。
――――
空が少し赤みを増す頃、境内には静かで穏やかな時間が流れていた。
そんな中、俺たちは賽銭箱の前に座り込んで、ぽつりぽつりと話をした。
「それはそうと、どうして沙夜ちゃんが見えるようになったんでしょう? 試練のことは……?」
飯島は首を傾げて隣の沙夜に問いかける。
その手は沙夜によってしっかりと握られている。きっと触れ合えることが嬉しいんだろう。
俺もまたガッチリとホールドされているので、しばらくはこんな日々が続くことが予想される。
「それがよく分からないのよね。なんで急にもとに戻ったのかしら? 神は試練は失敗だ、お前はもう消えてしまうんだって言ってたのに」
「諏訪部君にも初めは見えてなかったんですよね? 何かあったんじゃないですか? 私が来る前に、何か」
そういう飯島はじっと繋がれた俺と沙夜の手を見つめる。
……はっきり言わないのは優しさか、あるいはからかいか。どちらにせよ恥ずかしい。
「あぁ、これはその……、私たち付き合うことになって、ね」
「え、そうなの!? 好きだけど結婚できないって断られたのに……」
「順序があるでしょうが! いきなりそんな飛躍した関係、だめに決まってるでしょ!?」
「つまり、正しい順序を踏めばよろしいと」
「ま、まぁ? 情の努力次第ね!」
「ということでだ飯島、俺たち結婚することになりました」
「だからまだ恋人だって言ってんでしょうが!」
沙夜は顔を真っ赤にして俺の頭を叩く。
そんな仕草も、表情も、一挙手一投足が可愛くて愛おしい。
ああ! 俺の彼女はなんて可愛いんだ! 間違いなく世界で一番かわいいな。うん。
恥ずかしくて思わず茶化してしまったが、つまり俺には彼女ができたのだ。そのことはちゃんと飯島に報告しないとな。
「まぁつまりあれだ。俺たち付き合うことになりました」
「だからそれさっき私が言ったわよね!?」
「ふふっ。はい、とってもお似合いのカップルだと思いますよ」
飯島が笑顔で祝福の言葉を贈ってくれることか嬉しくて、思わず顔が緩む。
「なあ沙夜聞いた? お似合いだってさ」
「う、うるさいわよ! わざわざ言わなくたってそんなの当たり前でしょ?」
「ばっ、ばっかお前、そこまで言うと恥ずかしいだろ?」
「あんたが言い出したんでしょ!?」
「えっと、ご馳走さま。でいいんでしょうか……?」
自信なさげに首を傾げる飯島の言葉に、自分たちが
「すまん、試練の話だったな。完全に脱線した」
「そ、そうね。ごめんなさい理恵。本題に戻るわ。私が消えた理由から始めましょ」
沙夜も謝罪の言葉とともにそう前置きすると、この一週間の話をし始めた。
沙夜はいつか自分が消えてしまうことを悟っていた。それは神の言った願いが反転するという言葉のせいだった。
沙夜の願った友達がほしいという願いは、俺と出会うことで叶ったはずだった。それでも試練が終わらないことが、そんな不安に拍車をかけたのだろう。
いつか消えてしまうなら、これ以上俺のそばにはいられない。そばにいれば俺も沙夜も辛いだけだ。
そう考えた沙夜は飯島に俺を託し、去ることを決めた。
託すというとまるで俺が幼子のようだが、要は俺と飯島をくっつけようとしたらしい。俺も飯島も互いにそんな気はさらさらなかったので、沙夜の勘違いも甚だしい。
試練の内容は沙夜が俺を好きでいることを諦めないこと。それを達成できなかった沙夜の試練は失敗となった。はずだった。
しかし、沙夜の父親に出会った俺は、沙夜の存在を確信して、この神社で再び沙夜と出会えた。
「それで写真を撮ったわけですね」
「そう。俺と沙夜が初めてであった日の再現だ。二人の気持ちが一つならきっと叶うって信じてたしな!」
「またそんな調子のいいこと言って……。でも、どうして私が情の写真に写ったのか。どうして試練を降りたはずの私にもう一度チャンスが来たのか。それが謎なのよ」
「俺と沙夜が運命でつながってたとか?」
「真面目に考えなさいよ」
「真面目だったんだが……」
「そ、そう。ふーん、そうなんだ……」
さて、顔を赤らめた可愛い沙夜も見れたし、真面目に考えるとしますか。
試練は失敗した時点で願いが反転するはずだった。現にさっきまで沙夜は俺の目に映らなかった。その瞬間まで沙夜は確かに消えていた。
「試練は失敗。神は確かにそう言ったんですよね?」
俺が頭をひねっていると、同じように考え込んでいた飯島がそう問いかけた。
「ええそうよ。あいつは確かにそう言ったわ。試練は失敗したからあとは消えるのを待つだけだって」
飯島は沙夜の返事に頷くと、少しの間再び考え込む。
そして、言葉にしてその形を確かめるように呟いた。
「であるなら、答えは2つです。神が嘘をついていたか、新しい試練が開始されていたか、だと思います」
「嘘?」
「新しい試練?」
俺と沙夜はほぼ同時に声を上げる。
集まった視線に、飯島はたじろぐことなく頷いた。
「はい。試練は失敗したという言葉が嘘であるなら、こうして沙夜ちゃんがもとの体に戻れたことにも説明が付きます。失敗はしてないんですから、試練を達成すればもとに戻れる。至極当然のことです」
「うーん、まぁそうか。でもそれだと色々な前提が狂っちゃわないか? そもそも試練の達成条件が嘘だったとか言われたらもうなにがなんだかよく分からないぞ?」
「その通りです。それに一度沙夜ちゃんが消えてしまったことからも、神の言葉が嘘だった線は薄いと思います。なので私は後者を推します」
「新しい試練ってやつでしょ?」
「はい。試練が失敗して、その後に沙夜ちゃんが願った願い。それを叶えるための試練が始まっていたという可能性です」
試練が失敗してから沙夜が願った願い。俺の想像が正しければ俺に、俺達に会いたいってことだと思うんだけど……。
「試練の内容は、それこそ神のみぞ知るといったところでしょう。ですがそれは達成された。だからこうして沙夜ちゃんが戻ってきたと。そう考えることもできます」
「でもなんでそんなことを? まるで救済措置みたいじゃない?」
沙夜の疑問に、飯島は真面目なトーンのまま、その雰囲気に似つかわしくないことを言った。
「神様もハッピーエンドを望んだんじゃないでしょうか」
「「……は?」」
思わず声を揃えて口を開ける俺と沙夜に、飯島はクスリと笑うと微笑んだ。
「神だって悲しい結末より、誰もが羨むようなハッピーエンドのほうが見たいと思います。神は私達が思っているよりずっと人間らしいんですから」
「それならそうと、もっと分かりやすくしてほしいもんだわ! 回りくどくて、面倒くさくて、ちっとも親切じゃない。本当に意地悪な神ね!」
沙夜は後ろの拝殿に振り向き、そんな文句をたれた。
まぁ確かに、沙夜からしてみれば友だちが欲しいと願っただけなのに、10年も透明人間だったんだ。文句もいい足りないだろう。
「でもさ、よく考えたら願いは全部叶ったよな」
でも、一つとして叶わなかった願いはない。
沙夜は理恵という友達を得て。
俺と沙夜はこうして再会できて。
俺には沙夜という素敵な彼女ができた。
色々遠回りもしたけど、それでも全部の願いが叶っている。これはすごいことだ。
「願いは自分で叶えるもの。神様にお願いするのは、その決意表明みたいなもんなんじゃないかって、今なら思うんだ。あるいはそのことをこの神様は伝えようとしてくれたんじゃないかな」
そんな俺の言葉に沙夜は不満げに頬をふくらませるも、やがて諦めたように大きくため息を付いた。
「そうね。悔しいけど確かに願いは全部叶ったし、文句を言うのはもうやめにするわ」
そう言うと沙夜はおもむろに立ち上がる。
俺たちもそれに
「だからちゃんとお礼参りをしないとだめね。願いを叶える手伝いをしてくれたのは確かだし、お礼はちゃんと言わないと」
「うん、そうだな。俺も願い叶えてもらったし」
「では私も。沙夜ちゃんと出会えたのはここの神のおかげですから」
そうして三人頭を下げて
目を閉じ手を合わせ、心のなかで謝意を練る。
祈りを終えて目を開ける。目の前に広がっているのはすっかり目に馴染んだ拝殿の風景だ。
ふと、隣が静かだったので目を向けると、沙夜は驚いたような表情で拝殿の奥を見つめていた。
「……沙夜? どうかしたか?」
沙夜は俺の声に弾かれたようにこちらを見たあと、何かを確かめるようにもう一度拝殿に目を向けた。
「……ううん、なんでもないわ」
なんでもないという沙夜のその瞳は、俺には見えない何かを映しているようだった。
……きっと、ここの神様がなにか言ったんだろう。沙夜だけに分かる何かを。
でもそれは悪いことじゃない。多分祝福の言葉だと思う。だって、沙夜の口元には微笑みが浮かんでいたから。
「さあ! それじゃあせっかくだし写真でも撮りましょ? ほら情、準備準備!」
沙夜は拝殿から視線を外すと、そんな事を言って俺の肩を叩いた。
「おう、じゃあそこに立っててくれよ~」
沙夜と飯島に立ち位置を指示して、俺は手頃な高さの
セルフタイマーをセットして、シャッターボタンを押し込み、駆け足で沙夜たちのもとへ向かう。
「ほら、情も理恵も、もっと寄って寄って!」
「お、おいこら引っ張るなって!」
「さ、沙夜ちゃん、そんなに引っ張ったら――、きゃっ!」
――カシャッ。
飯島の小さな悲鳴と同時に、シャッターが切られる。
沙夜に文句を言う飯島と、それに楽しげに謝罪する沙夜を尻目に、俺はカメラのもとへと駆け寄る。
手にしたカメラの画面に映し出されていたのは、バランスを崩して沙夜により掛かる飯島と、今にも倒れ込みそうになっている俺。
そして、夏の太陽も嫉妬しそうなほどの眩しい笑顔で笑う、沙夜の姿があった。
「……うん、いい写真だな」
「情ー! 何してんのよ、早く帰りましょ! 私お腹が空いたわ!」
今までに色々あった。楽しかったことや悲しかったこと、その全部を思い出にして俺は進もう。今よりずっと素敵な、未来へ向かって。
「分かったよ! 今行く!」
そのための一歩を、俺は今踏み出したのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます