第22話 日暮れの境内にて懐古

 ヒグラシの鳴く声が神社の境内に降り注ぐ。また一日が終わるのだ。

 あれから何日が経ったのかしら? ここにいると時間のことなんて気にしないから、だんだん分からなくなってくるわね。


 私は神社の拝殿に腰掛けたまま、ゆらゆらと揺れる自分の足を見つめていた。

 ……情、今頃心配してるかしら? それとも清々したって笑ってるかしら? 前者なら嬉しいけど、後者であってほしい。

 そんなことを願うのは自分勝手というものだろう。だって私は情から逃げてきたようなものなのだから。



 そんなことを考えていると、ヒグラシの声に混じって人の足音が聞こえてきた。

 誰だろう。こんなさびれた神社に来る物好きそうそういないけど。


 でも、そんな物好きを私は一人知っている。いつもとぼけてて、デリカシーに欠けるどうしようもないやつだけど。


 足音がすぐそばまで近づいて、その主が姿を現す。


「情……」


 分かっていた。今ここに来るのは情しかいないって。彼は毎日のように私を探して神社に来る。そして私の名前を叫ぶんだ。


 でも、今日は随分と落ち着いてて、ゆっくりと私の目の前に来ると鈴を鳴らした。

 ガランガランと重々しい音が響いて、情は頭を下げると柏手かしわでを打った。


 きっと理恵がなにか言ってくれたのね。ありがとう。このままじゃ情がぼろぼろに疲れ果てちゃうもの。もう私のことは忘れてもらったほうがいいのよ。



 情は真剣に何かを願ったあと、じっと私を見つめた。

 ……え? 私のこと、見えてる?


「沙夜……」

「情、もしかして私のこと――」


 しかし、情は私の声に返すことなく背を向けて行ってしまった。

 ……そうよね。見えるわけ、聞こえるわけないんだわ。そんなこと分かってたじゃない。


『行ってしまったな』

「……うるさい」

『なんだ。男にあそこまで想われているのだぞ。なんじとしては喜ばしいことではないか』

「んなわけ無いわよ。私のせいであんなにやつれて……」


 頭に直接響く言葉に、私は苛立いらだちを隠すことなく呟く。


「ていうか、呼んでもいないんだから出てこないでくれない?」

『我とて言の葉を交わしたいときもある。いずれ消える汝は相手として適任だ』

「前はいくら呼んでも出たこなかったくせに」

『それは汝が我が試練の只中ただなかであったゆえ。己が力で乗り超えてこそであろう』


 正論ばっかり。ほんとつまんない神ね。

 こいつは話し相手としてはあまりにも退屈で、情と一緒にいたときのほうが何倍も楽しかった。


「じゃあ今も話さないほうがいいんじゃないの? 私がまだ諦めてなかったら手助けすることになるかもしれないわよ」

『それはない。汝は既に試練を降りた。好いた男を他の小娘に明け渡し、自ら消えることを選んだ。この決定は覆らない』

「分からないじゃない。奇跡があるかも知れないでしょ」

『神の目に奇跡は映らない。あるのは必然のみである』

「……ほんと、つまんない奴ね」


 この神は私をあざけっているんだろうか。試練に、情と一緒にいることに耐えきれなかった私を。



 この神は私が情のもとを離れて神社を訪れてすぐ、私に語りかけてきた。

 試練は失敗。私の願いは反転する。そう無感情に告げる神の声は、10年前のあの日と何も変わらなかった。


 そして神は試練についても語った。

 私に与えられていた試練。それは情のそばにいること。私が恋した彼と結ばれることだった。

 友達がほしいと願った私に、それ以上を授けると言ったのはそういうことかと納得したのを覚えている。


 でも私は耐えきれなかった。だって私がそばにいれば、その分だけ情の幸せを奪ってしまうから。


 私が情のそばにいると、彼が周囲から変な目で見られてしまう。頭のおかしなやつだと石を投げられてしまう。私の存在が情を普通から異常に変えてしまう。


 だから離れた。情は理恵とも仲良さそうだったし、あの子がいれば私がいなくてももう大丈夫だから。



『しかし懐かしい。あの男がわらべであった頃を思い出す』

「神様でも懐かしいなんて思うのね」

なり。我は分霊なれど記憶はある。あの男がよくここを訪れていたことも、汝がそれを見守っていたことも知っている』


 嫌味を言ったつもりなのに、逆に言われたような気分だ。お前のことは何でもお見通しなんだって、反抗なんて意味がないって。


 あるいはただ単に懐かしんでいるだけかも。私だって昨日のことのように覚えているもの。



 あれは、私が世界から切り取られてしばらく後のこと。この神社に住み着きはじめた頃の話だ。

 私は朝から晩までここで空を眺めて、木々に語りかけて、ただただ時を浪費していた。


 そんな時、この境内にとある少年が現れた。彼は小学校に入ったばかりかそこらの年頃で、不機嫌そうに頬を膨らませていたのを今でも覚えている。


 私はそれまで毎日神社にいたわけじゃなかったから、ここに人が来るなんて知らなくて、少しその子が怖かった。また孤独を押し付けられるような気がして。


 その子は初めてここに来た時、どうやら友達と喧嘩をした直後だったらしい。ブツブツと自分は悪くないと言っていた。

 なんだったかしら……。確か好きなアニメのキャラクターをバカにされたとかで喧嘩になったんだったわね。あいつ昔からちょっと変な子だったみたいだから、みんなと嗜好しこうが合わなかったんだと思う。


 私はその子がこぼす些細ささいでちょっと変な文句に、退屈だった時間が紛れていくのを感じていた。

 不思議と、彼といると孤独を感じることはなかった。


 彼は日が沈むまで神社で文句を言ったあと、迎えに来た母親に連れられて家に帰っていった。その頃には機嫌も直ったいい笑顔で。

 そして私はまた一人ぼっちになった。


 だけど、彼はそんな私を慰めるように度々この神社に来た。

 きっとあいつはそんなこと考えなしにいじけに来てたんでしょうけど、私はそれが嬉しかったのよ。あいつが何に悩んで、何に腹を立てて、何を大事にしているか。私は全部を知っていた。



 ある日は、昼休みにドッジボールをやろうと誘われたけど、空を見ていたかったから断ったら文句を言われたと落ち込んで。


 別のある日には、カエルをいじめていたクラスメイトに注意をしたら嫌味を言われたと腹を立てて。


 またまた別のある日には、いじめを止めようとしたら喧嘩になって、結局先生に怒られたと悲しんで。


 まるで私に話しかけるかのように仔細しさいを話す彼に、気がつけば私の頬は緩んでいた。



 彼が高学年になるかどうかと言った年齢になった頃、彼はいつものように迎えに来た母親にこう問うた。


「ねぇ、お母さん。僕っておかしいのかな? みんなと違う風に思うのは変なことなのかな?」


 そんなことない。思わずそう言いかけて、私の声は届かないことを思い出した。

 すると私の言葉を代弁するかのように、彼の母は言ったのだ。


「いい? 情。人はみーんな違うのよ? 情とお母さんだっていくつも違うところがあるでしょう?」

「うん。お母さんは僕と違ってがみがみうるさい」

「あらー? 情は悪い子ねぇ。後でお仕置き」

「うわーん! ごめんなさい、お母さーん!」


 思えばあいつはこの頃から一言多かったかもしれないわね。余計なことを言ってはよくお母さんに怒られていたもの。


 しかし、彼の母はこのときばかりは叱りつけずに真剣な表情で彼に向かい合っていた。


「だから違うことは悪いことじゃないのよ。むしろ周りと違うところを大事にしなさい。それは情だけが持っているとっても素敵なものだから」

「すてき? おいしそう!」

「ステーキじゃないのよー? 素敵っていうのは、綺麗ですごいことって意味なの」

「きれいですごい? 僕すごいの?」

「ええ、そうよ。でもお友達はそれが羨ましいのね。だから情がおかしいって言うの」

「どうして羨ましいとおかしいって言うの?」

「人は誰かの持っている素敵なものを見るとね、欲しくなっちゃうの。でも手に入らないと分かると、今度は壊そうとするのよ」

「どうして?」


 彼の素朴で純真な瞳に、彼の母は少し答えに困ったようだった。

 結局彼女は悲しそうに微笑んで、答えにならない答えを告げた。




「それが人だからよ」




 彼はその意味が分からないようだったけど、私にはなんとなく分かった。

 人というのは善性だけでなく、悪性もあるのだということ。努力をするよりも足を引っ張ったほうが楽だということ。

 そして周りと違うということが、どれだけこの世界で生き辛いかということも。

 私と一緒だと。そんなことを思ったのだ。


「情。あなたはとても優しい子よ。お友達の苦しいことや悲しいことが分かって、自分も一緒になって考えてあげられる。お母さんたちの願い通りのいい子になってくれたわ」

「お願い?」

「そう。情って名前はね、お友達の気持ちが分かる、とっても優しくていい子に育ちますようにって願いを込めた名前なのよ? だから情は情のままでいてちょうだいね」

「うん!」

「よし、じゃあおしおきタイムねー?」

「いーやーだー!」



 そうして彼は母親にお尻を叩かれながら家に帰っていった。それが私の知る彼の過去の全て。諏訪部情との記憶。


 そう、あれきり情はこの神社に来ることはなかった。

 それはきっとうまく世間を渡るすべを身に着けて、愚痴ぐちをこぼしに来る場所が必要なくなったからで、いいことなんだろうけど私は寂しかった。


 だってずっとあいつを見てきたんだもの。もう弟のように思っていたのに、それからの数年間は一度も顔を見れなかったんだから。とっても寂しくて、退屈だった。


 だから、あの日。積乱雲が立ち上り、蝉の声が境内を満たすあの夏の日。私は自分の目を疑ったのよ。

 ひと目見て分かった。情だって。小さいときから何も変わらないのほほんとして穏やかな顔。どこかぼーっとしている雰囲気。私の知っているあの子供が、私と同じ高校生くらいになって帰ってきたって。


 決してイケメンじゃないけど、立派な好青年になった情を見て、私は自分の胸が高鳴っているのを感じていた。

 話をしてみたい。話をして、あの頃の情のままなのか、あれから何をしてきたのか、今の彼の全部を知りたいって思った。


 そして彼がシャッターを切って、私達は出会う。

 一度世界から切り取られた私は、もう一度切り取られることで情の目に映される。まさに奇跡だった。


 でも、出会ってすぐにあいつは気絶しちゃうし、私の話をなかなか聞いてくれないし、散々だったわ……。

 だけど、情は情のままなんだって、すぐに分かった。情は私の好きな情のまま、今まで生きてきたんだって分かった。


 それからはもうあっという間。今まで家族みたいに思ってたのに、あいつは立派に男子になってて、ちょっと頼りないけど、恋をするのに時間はかからなかった。



『だが汝は諦めたであろう。いくらあの男への想いを募らせようとも詮無きことよ』

「黙って。人の心の中まで覗かないでくれる?」

『失敬。人の子との関わりが希薄ゆえ、言の葉を発しなくてはならないことを失念していた』

「……ホントに今日はよくしゃべるのね」

『ふむ……。少々干渉が過ぎたようだ』


 それきり神の声は聞こえなくなった。これでようやく静かになるわね。


 ……でもそうね。あいつの言うとおりだわ。今いくら私が情への想いを募らせても、それが報われることはない。だって私の願いは反転してしまうのだから。

 友達がほしいと願った私は、好きな人と再会することも、新しくできた友に会うこともできず消えてしまう。


 私の願いは確かに叶った。望んだ友達はできたんだから。

 でも、意地悪な神は私の願いを単純には叶えてくれなかった。捻くれた解釈をして、余計に面倒なことにしてくれた。


 あーあ。私、バカなことしたなぁ。こんなことになるならあんなこと願わなければよかった。


「なにを今更……」


 思わず失笑が漏れて、すっかり日が沈んだ境内で俯く。


「あぁ、ダメね、私。自分で決めたことなのに、こんなにも弱い」


 せめて、せめて最後に彼に会いたい。お別れの言葉もなしに消えてしまうなんてやっぱり嫌だもの。


「会いたいよ、情……」


 そんな私の声に応える者は、人も、神も、虫の声でさえ、一つもないのだった。

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