第20話 穴の空いた写真
「おおう、情! おそよう! もう2限だぞ?」
「あっ、諏訪部君おはようございます。それに沙夜ちゃんも――」
俺は教室に入るなり、飯島のもとへ脇目も振らず歩を進め、焦る気持ちのまま口を開く。
「飯島! 沙夜が、沙夜が……!」
「ど、どうしたんですか? そんなに慌てて……」
「沙夜が、消えたッ……!」
「え……?」
俺の伝えた事実に、飯島は言葉を失った。
しかし、俺はそんな飯島のことも構わず、ぐちゃぐちゃにこんがらがった頭のままに言葉をぶちまける。
「昨日まではいたんだ、確かに寝る直前まで沙夜はいてっ……! でも今朝は起こしてくれなくて、どこ探してもいないし、神社も行ったけどいなくてッ! もしかしたらこっちに来てるかもって思ったけど、どこにもいないし!」
「お、落ち着いてください。何があったのか、順を追って説明してくれないと」
「落ち着いてなんていられるか! あいつは無断でどこか行くようなやつじゃない! なにか、なにかあったのかも……。どうしよう! 俺、どうしたら……!」
「情ッッ!」
体を駆け巡る衝撃に、俺の視界は一瞬白く染まる。
詰まる息を勢いよく吐き出し、咳き込みながらも顔を上げると、光平が怒ったような顔をして俺を見ていた。どうやら俺は光平に背中を叩かれたらしい。
「何があったかは知らん。だが取り乱すな。男ならどしっと構えて、冷静に次に何をすべきか考えろ」
「……あ、ああ、そうだよな。だいぶ取り乱してた。俺もまだ混乱してて、何がなんだか分かんねぇけど、最初から話すよ」
「それで、見えない情の友達がどっか行っちゃったのか?」
俺の顔を覗き込んだ光平は、とても真剣な目をしていた。
「ああ。まず昨日の夜のことを話そう。昨日はなんだかちょっと様子が変だったっていうか、思いつめてるような顔してた」
飯島と別れてから、沙夜は明るく振る舞っているようだった。でも、家に帰って俺が風呂から部屋に戻ると、沙夜はベッドに腰掛けて何か考え込んでいたんだ。
でもその後俺の存在に気づいて、いつもの沙夜に戻ったから、ぼうっとしているだけだと思ったんだ。
寝る直前も何もおかしなことはなかった。普通におやすみを言って眠って、そして起きたらすでに沙夜はいなかった。
「なにか痕跡とかなかったのか? 取るものだけとって~とか」
「あいつは何にも触れられない。痕跡なんてこれっぽっちも残ってなかった」
「となると後を追うのは難しいかもしれませんね……」
「あいつがいそうな場所なんて、神社かここくらいしか思いつかないし、
どうしたらいいんだ……。あいつは俺以外には見えない。周囲に聞いてまわろうにも、飯島たちと手分けしようにも、それじゃあ無理だ。
「諏訪部君、沙夜ちゃんはいなくなってまだそんなに時間は経ってないはずです。
心当たり、沙夜が知ってる場所といえば俺の家の周辺と、神社に学校。あとは……、
「2つ隣の町……! 沙夜と一度だけ行ったことがある。もしかしたら……」
「探せるところは探しておきましょう。私では沙夜ちゃんを見つけられませんから、あまり力にはなれないですが……」
「飯島……。そうだな、探してみよう。飯島がいてくれて心強いよ」
「俺も力になるぞ! 何がなんだかよく分からんが、ごっこ遊びじゃないってことは分かった!」
「おう、ありがとう光平。俺が女だったら危うく惚れてたとこだぜ」
「おおう! 冗談が言えるならそれでよし!」
こうして、俺は沙夜を探すために
体調不良ということで学校を早退し、俺は以前沙夜と夏祭りに行った町まで足を運んだ。
沙夜を探せるのは俺だけだ。今は一分一秒が惜しい。学校に行く時間はなるべく削ってでも沙夜を探さなくては。
……どうして、どうして沙夜はいなくなってしまったんだろう。あいつはなにか用事があっても俺に一声かけてから行くようなやつだ。
そもそも誰とも話せない。食べ物も衣類も必要ない。物に触れることだってできない。そんな沙夜がどこかに行ってしまう理由は、いくら考えても思いつかなかった。
2つ隣の町について、俺は沙夜と歩いた道を、あの日をなぞるように歩いた。
祭りの日に見た景色とはぜんぜん違う昼間の町は、沙夜がいたあの夜が夢だったと言っているように思えて、無性に心がざわついた。
沙夜と騒いだ改札。屋台が並んでいた
俺の記憶の中には沙夜がいるのに。そのどれにも沙夜はいなかった。
「……もう一度、今度はもう少し範囲を広げてみよう」
そうして何度も何度も町を歩いた。橋の下、店の看板の裏、公園の木の陰。もしかしたらと思う気持ちが、いるはずのない場所にまで目を向けさせる。
「もう、日が落ちてきた」
夏も終わりが近づき、せっかちになってきた太陽は、もう半分も顔を隠し始めていた。
あたりが暗くなって、景色は俺の記憶と重なる。
「……帰ろう」
怖かったんだ。景色が俺の記憶と同じになっていくことが。でもそこに、沙夜がいないことが。
帰りの電車に揺られながら、俺はあの祭の夜、沙夜が言っていたことを思い出していた。
――それでね、情にも覚えていてほしかったのよ。私がいた今日のことを。
そんな沙夜の言葉に、俺は忘れるはずないって答えたんだ。
……もしかして、沙夜はこんな未来を想像していたのか? 自分がいなくなって、消えてしまう未来を。
だからあいつは初めから、友だちになってくれるだけでいいって、そんな事を言ったのかもしれない。
「……そんなはず、ねぇよ」
呟いた言葉は、電車の音に混じって消えていった。
――――
沙夜がいなくなって3日がたった。探せるところは全部探して、それでも再三探した。
でも、どれだけ探しても、沙夜は見つからなかった。
「どこにいるんだよ、沙夜……」
「情……。心配なのは分かる。だけど無理はだめだ。ここんとこずっと探し回ってるんだろ? みるからにボロボロだ」
放課後の教室で
俺は無理なんてしてない。沙夜はもうずっと一人だ。きっとあいつのほうが辛いんだから。
――じゃあなんで沙夜は出ていったんだ? お前と一緒にいるのが嫌になったんだろ。だから何も言わずにいなくなった。探されることは迷惑なんじゃないか?
黙れ黙れ黙れッ! そんなこと、そんなことない! 沙夜は、あいつはそんなこと……。
自信は持てなかった。沙夜もきっと俺と同じような気持ちでいてくれてるんだと思っていたけど、違ったのかもしれない。
……いや、それも含めて確かめるんだ。このままさよならだなんて俺は認めないからな。
「沙夜ちゃんの行きそうなところはもう全部あたったんですよね?」
飯島も光平と同じように心配そうに俺の顔を覗き込む。
「あたったよ、俺の思いつく限りの場所を、隅から隅まで何度も探したんだ。でも……」
そう考えてみると、俺は言うほど沙夜のことを知らないんじゃないか。あいつとはいつも一緒にいたけど、あいつの話をほとんど聞いたことがない。
昔はどの高校に通っていたとか、実家はどこなのかとか、よく行っていた店はどこだとか、思い出の場所とか。
そんな沙夜のことを知らないから、俺はたった数箇所しか探せる場所がないんじゃないか。
「……怖かったんだ」
「え?」
「踏み込んで、あいつのことを知ろうとすることを拒絶されたらって思ったら、俺怖くて……。だから聞けなかった。だから今こんなにも無力なんだ……」
「諏訪部君……」
俺と沙夜はあんなにも近くにいたのに、心の距離はさほど近くもなかったんだ。
「諏訪部君。私考えたんですけど……」
俺が無力さに打ちひしがれていると、飯島が妙に真剣な声音で話し始めた。
「沙夜ちゃんは本当にイマジナリーフレンドだったのではないでしょうか」
「え……?」
沙夜がイマジナリーフレンド? 確かにあいつは最初そんなことを言ってたような気がするけど……。
でもそれって、たとえ話だったはずだ。だって、あいつは実際に俺と触れ合えたし、写真にだって写った。
「沙夜ちゃんは諏訪部君にしか見えなくて、あなたとすぐに打ち解けるほど性格も合っていた。私は見た目を知りませんが、きっと諏訪部君の好みの見た目をしていたんじゃないですか?」
「それはっ……」
確かに、飯島の言う通り沙夜はとても魅力的だった。性格がなんとかなれば俺の好みと言えなくもない。
でも、だからといって沙夜が本当にイマジナリーフレンドだと言う証拠にはならないだろう。
「諏訪部君は以前言っていましたよね? 神社に行って、彼女が欲しいと願ったと。そして写真を撮ったときに沙夜ちゃんが写り込み、出会ったと」
「そうだけど……。それがどうしたってんだよ」
「その諏訪部君の願いの結果が、沙夜ちゃんなのではないかと言う話です」
「は……?」
沙夜が、俺に願いの結果……? あんな俺に願いに神が応えた結果が沙夜だって言うのか?
「……違う、違う違う違う! だって、沙夜はずっと10年も神社にいて、それまでにあったことも知らなかったし、猫や手芸が好きで、一人でいるのが寂しくてっ、強気に見せてるけど本当は
こんなにも、俺の中には沙夜との思い出が溢れている。
次から次へと、沙夜が溢れて止まない。
「わがまま放題なところもあるけど、大人なところもあって! 怒ったり、笑ったり、泣いたり、表情も豊かで! 俺はあいつといるだけで幸せになれたッ!」
沙夜と出会ってから、俺の夏は輝きだしたんだ。モノクロだった写真に色がつくように、鮮やかに彩られていったんだ。
「あいつは確かに目の前にいたッ! 俺にとって沙夜は現実だったんだよッ!」
あんなに一緒にいたのに。手で触れて、熱を感じて、話をしたのに。空想なはずがない、幻であるはずがないんだ。
あいつは、俺のイマジナリーフレンドなんかじゃないんだよ……。
「……イマジナリーフレンドは、その人が彼らを必要としなくなったときに消えるって、知っていますか?」
「おい、飯島。もういいだろ」
なおも沙夜はイマジナリーフレンドだと言い張る飯島に、光平が止めに入った。
「いえ、だめです。これ以上諏訪部君に無理をさせるわけには行きません。沙夜ちゃんでもこうするはずです」
「しかしな……」
「沙夜は、空想の存在なんかじゃない。あいつは確かにそこにいたんだ……」
弱々しく呟く俺に、飯島は凛とした視線を向ける。
とても真剣に、でも俺を否定しようとする目だ。
「そうです。諏訪部君にとって沙夜ちゃんは現実の存在でした。でも、私達にとってはそうではない。姿も声も、全部諏訪部君の話しでしか知り得ないんです」
「それは……」
「それに沙夜ちゃんは一度でも諏訪部君以外の友だちの話や家族の話をしてくれましたか? 身の上話や過去の話は? 沙夜ちゃんがどんな人なのか言えますか?」
……そういえば、俺は沙夜の家族の話を殆ど聞いたことがない。家には帰りたくないとだけ言われたけど、家族がどうなってるかとか、家族構成とか、そんなことは一度たりとも聞いてない。
友達はもともといなかったようだから、俺以外に仲の良かったやつの話なんて聞いたこともないし、過去のことはあまり聞いてほしくなさそうだったから聞かないでいた。
俺は、沙夜のことを全然知らない。あいつが俺と出会うまでにどんな人生を歩んできたのか、ほんのひとかけらでも知らないんだ。
「知らないんですね。やっぱり」
飯島はうなだれる俺に溜息をつくようにそうこぼすと、諭すように続けた。
「沙夜ちゃんはあなたの願いから生まれた空想の友達で、そこに人間としての背景はないんです。だから話すことを嫌がったんじゃないでしょうか。そして夏が終わりに近づいて、彼女は役目を終えてあなたの目の前から消えた。そう考えれば説明が付きます」
理屈は通っている。聞けば聞くほど、沙夜はイマジナリーフレンドだったんだと思えてくる。
あいつが、俺のバカみたいな願いの産物だって言うことも、一理あると思える。沙夜とすごした夏は恋人と過ごす夏のようで、とても輝いていたんだ。
初めて神社で出会って、部屋に居候させて、夏祭りも行って、一緒に学校も通って、部活やバイトなんかもして。
そうしてたくさんの思い出をカメラで切り取って、あいつは思い出だけを残して消えてしまった……。
「……そうだ、写真」
俺は慌てて携帯を手にする。
そうだよ、写真を撮ったじゃないか。何枚も、何枚も、沙夜の姿を写した写真を。
あいつがもう消えてなくなってしまったんだとしたら、写真にも沙夜の姿は写ってないはずだ。
取り出した携帯の写真フォルダには、最後に撮った猫カフェの猫を眺める沙夜の写真が残っていた。
「……写ってない」
だけど、そこにはたくさんの猫と不自然に空いた空間があるだけだった。猫を背景に壁を撮っているような、変な写真だった。
他の写真も見てみたけど、沙夜の写っていた場所だけポッカリと穴が空いたように何もなかった。
……じゃあ、本当に? 飯島の言ってることは正しくて、沙夜は空想の存在だったっていうのか? もう、消えてしまったって、本当にそんなこと……。
「好きだったんですね、沙夜ちゃんのこと」
「俺が、沙夜のことを……?」
飯島はそれ以上何も言わず、ただゆっくりと頷いた。
でも俺にはそれがとてもすんなりと腹に落ちて、そして急に悲しくなった。
「そっか、そうだったのか。俺は、沙夜のことが好きだったんだ」
「情……」
「楽しかったんだよ、あいつと一緒に過ごす夏は。楽しかったんだ。騒がしくて、面倒なこともいろいろやらされて、それでもさ、楽しかったんだよ」
言葉はところどころ詰まってうまく外に出てくれない。こみ上げてくるなにかが胸をつまらせる。沙夜との思い出が、目元から溢れ出して止まらない。
暑い熱い夏の思い出が、一粒、また一粒とこぼれ落ちていく。
「楽しくて、幸せで。だから、悲しいんだ……」
溢れ出した涙が、沙夜の消えた写真の穴を埋めるようにこぼれ落ちていく。
それでも穴は埋まらない。今まで沙夜がいた場所に空いた穴は、そんなことでは埋まることはなかったんだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます