第11話 敗北の味

「おっはようさん、情。……ってどうした、なんかげんなりしてるな?」

「お坊さんってすごいんだな……。煩悩を払うのに人生を捧げる理由が分かった気がする……」

「おおぅ、悟り開いてんなぁ」


 教室について早々、名簿順に並べられた自分の席に突っ伏していると、長身で引き締まった体の男子生徒が話しかけてきた。


「ねぇ情、この人だれ?」


 俺がそんな悟りを開く原因になった沙夜が、俺に耳打ちをしてそう尋ねた。

 俺以外に声が届くことはないんだから耳打ちする必要はないんじゃないかなぁ? 今ようやく精神が落ち着きを取り戻してきたところなんだから、あまり距離を詰めるのはやめていただきたい。


獅戸ししど光平こうへい。俺の親友だ。趣味は運動。俺には到底理解できないね」

「おおぅ、どうした急に?」

「転校生にお前のこと紹介するならどう紹介しようかなってシュミレーションしてた」

「ははっ! 相変わらず変わったことすんなぁ、お前。それよりこれから席替えだろ? また近くの席になれると良いな!」


 光平はそう言って周囲の生徒に挨拶をしながら自分の席に戻っていった。

 ほんとあいつのああいう社交性の高さは見習うべき点だよなぁ。男女別け隔てなく、なんて俺にはハードル高すぎて無理だけど。


「なんか元気な人ね。友達も多そうだし、情とは対極って感じね」

「そうなんだよなぁ。あいつモテるくせに恋愛に興味なしって感じだから、俺とは真逆だなぁ」

「……それ自分で言ってて悲しくならないの?」

「あいつが陽を極め、俺が陰を極める。二人揃って最強なんだよ」

「……どういうこと?」


 適当な事を言って誤魔化ごまかしたけど、要は光平と俺は性格も趣味も全然違うからこそ、でこぼこがピッタリハマった。そんな落ち着きがある。

 何より光平は俺が変なこと言っても笑って受け入れてくれるし、否定しないでいてくれる。それが何より心地いいんだ。



 そんなことを思っていると、先生が教室に現れ、席替えが始まった。

 一人ひとりくじを引き、それぞれ黒板に書かれた番号の場所に移動する。

 俺はっと……。おっ、窓際一番うしろじゃん。ラッキー。


 机と一緒に沙夜も引き連れ、俺は窓際の一番うしろの席に移動する。

 他の生徒も続々と移動を完了していき、俺の周りにも生徒が集まってくる。


「おおう! また近くの席だな、情!」

「んむ。なんとなく分かってはいたな」


 目の前は光平。夏休み前も前後で一緒だった。こういうのを腐れ縁というのかな? え、違う?


「情の隣は飯島か。飯島もよろしくな!」

「はい、よろしくおねがいします」


 俺の隣に机を持ってきたのは飯島という女子だ。

 ダークブラウンの少しウェーブのかかった髪を短く切りそろえた大人しめの生徒だが、なんか女子の間で占いが当たるとかなんとか噂になってたな。休み時間に他のクラスからも人が来てるくらいだし、相当すごいんだろう。


 そうして生徒に囲まれていても、飯島が大声で話したり笑ったりしているところを見たことがない。男子との接点もほとんどなく、もちろん俺も話したことはない。



「この子は誰? 情の友達?」

「この人は飯島いいじま理恵りえ。でも俺とは特に接点ないな、光平のほうが知ってると思う」

「ふ、ふーん。この子結構綺麗だし、情じゃ話しかけることすらできなさそうだもんね」


 そう言って至近距離で飯島を無遠慮に見回す沙夜。

 い、今にも触れそうな距離で、なんだか見ているこっちがドキドキしてきたぞ……。


「あぁ! そんなに近づいたら唇と唇が……。あっ、あぁッ!」

「うるさいわよっ!」

「いでっ!」


 心の中での葛藤かっとうかと思っていたのだが、どうやら口に出していたようで、沙夜に思いっきり頭を殴られた。ちょー痛い。


「……? どうかしましたか?」

「いや、なんでもない……」

「ははっ! また変なシミュレーションをしていたんだろ? 久々に会っても情は情だなぁ」

「シミュレーション……。ふむ……」


 なにか考え出す飯島。というか今俺初めて飯島と喋ったんじゃないか? なんか感慨深いな……。


「……なに飯島さんのこと見つめてんのよ?」

「うわっ、びっくりしたぁ! 別に見つめてなんてねぇよ。ただ初めて喋っちゃったなぁって思ってただけ」


 ぼぅっとしていると目の前に沙夜の顔が現れたもんだから少しびっくりしてしまった。

 なんか沙夜、すごく不満そうな顔してるな。なんだろ、お腹空いたのかな? あれ、でも沙夜はお腹空かないんじゃなかったっけ?


「ふーん。ふーん!」

「な、なんだよ? なんか目がこわ――、いででっ! 耳引っ張んなって、痛い痛い!」

「おおぅ、情の耳が猿のように広がってるな! 休み中にそんな芸を身につけるとは、やるなぁ!」

「芸、芸か。そうだな光平! 俺はもしかしたら大道芸人として一発当てるのも夢じゃ――」

「そんな夢があってたまるかっ!」

「いでででッ!」



 かくして俺の学校初日は波乱に始まったのだった。

 というか予想通りだよな。沙夜が大人しくしててくれるなんて期待した俺が馬鹿だったんだ。

 シミュレーションだって言って誤魔化すのも限界あるし、沙夜にはもうちょっと大人しくしててもらう他ないな。


 先が思いやられるから、そうだな……。午前の授業はひとまず寝るか。


「おやすみ」

「寝るなぁ!」


 朝から色々緊張したせいで沙夜がいくらうるさくしてもまぶたがどんどん重くなっていく。


「……気になりますね」


 遠のく意識の中、隣の飯島が小さく呟いた。その意味を考える前に俺の意識はぷっつりと途切れたのだった。





 ――――





 授業終了の鐘と同時に目覚めた俺は、完全に覚醒した頭で時計を見る。

 時刻は……、12時5分。昼休みが始まったか……!


「情、俺は先行くぞ!」

「ぐっ……! 出遅れたかッ……!」

「ちょっと情、何事よ?」


 授業終了の合図とともに動き出す教室の雰囲気に、沙夜は驚きを隠せないようだった。


「……始まったんだよ」

「なにがよ?」




「……購買、昼のパン強奪戦。通称『パンだつ』がッ……!」




「……は?」


 完全に油断していた。夏休み明け初日の今日は木曜日。いつもなら昼休み前にSHRショート・ホームルームがあるため、俺も光平と同じようにスタートダッシュを切れたのだが、今日はSHRがない代わりに放課の前のLHRロング・ホームルームがある。そのため授業終了と同時にパン奪が始まるのだ。


 パン奪とは食欲旺盛な高校生たちが織りなす、汗と食欲のパン強奪サバイバル。

 人気のパンであるピザパン、コロッケパン、カツサンドを求め、数多の学年から集まった男子たちの仁義なき戦い。

 パン奪において学年は関係なく、己の知力・体力・財力。あらゆる能力を駆使して、その手に勝利のパンを掴む。それがパン奪だ。


「沙夜、お前はここに残っていろ」

「どうしてよ? なんか面白そうだし私も見に行ってみたいわ」

「馬鹿野郎ッ!」

「な、なによ、そんなに大きな声出さなくても……」

「そんな軽い気持ちでパン奪に、戦場に近づこうとするんじゃない!」

「せ、戦場!? 今って購買でお昼のパンを買うって話してるのよね!?」

「……パン奪はそのあまりの過酷さに、毎年やってきたばかりの新入生が犠牲となる。お昼を忘れたからなんていう軽い気持ちで参加した者たちが一体何人死んだことかッ……!」

「ええ!? 死人が出るの!?」

「敗者は売れ残りの不人気パンであるぼそぼそのバターロール、コッペパン、チーズ蒸しパンを手に、涙の撤退を強いられるんだ」

「……ん? 負けてるのにパン買えてるじゃない」


 俺は席を立ち、沙夜に背を向けてポッケの中の財布を取り出し、握りしめる。


「そしてパン奪は初速が命。こうしている今にもパンは売れていくんだ。俺は行くよ」

「え、ちょっと――」

「止めないでくれ。大丈夫、必ず勝って帰ってくる」


 俺は天高く拳を掲げた後、クラウチングスタートの構えで大地を蹴った。

 戦場こうばいが俺を呼んでるぜッ……!





 ――――





「ははっ! それで結局買えたのが焼きそばパンとメロンパンか。まぁまぁのあたりじゃないか?」

「うぅ……。こんなことなら光平と同盟を組んでおくべきだったか……」

「ジュース1本おごってくれれば、その焼きそばパンがコロッケパンくらいにはなったのになぁ」

「世知辛いッ……!」


 悔し涙を流しながら焼きそばパンを頬張る。

 へへっ、涙の味がしやがる……。



「ほーんと、男の子ってどうでもいいことで本気になるわよね」

「男の子のお昼ごはんは一日の中で最も重要なイベントなんだぞ!」

「人生の楽しみが休みだったり、あんたってなんか寂しい人生ね……」


 沙夜とそんな話をしていると、向かいの光平が不思議そうに首を捻る。


「今度はどんなシュミレーションなんだ?」

「お昼のパンなんてなんでもいいと言われた時のシュミレーションだ」

「おおぅ……、すごく限定的だな! にしても急にやるからびっくりするぞ? 見えない誰かと話してるみたいで」


 一瞬ドキリとした。

 でも事実そうだし、そう見えるのは仕方のないことだ。

 やっぱり沙夜と学校で話すのはなるべく控えよう。というか話しかけられるとつい普通に返しちゃうから、沙夜にも言って話しかけないようにしてもらおう。

 それはそれで少し心が痛むが……。



「諏訪部君、よかったら私のお弁当、分けてあげましょうか?」


 急にそんな声がかかって、俺は思わずすごい勢いで隣の席に目を向けてしまった。


「……え、今飯島が言ったの?」

「そうですけど……。余計なお世話でしたか?」

「いや! ただ飯島って人に話しかけるんだなぁって驚いて――、あっ」


 口にしてから気づいた。今俺すごく失礼なこと言ったんじゃ……。

 沙夜も小声で何言ってるんだと怒ってるし、これはやってしまったかもしれない。


「私だって必要があれば話しかけます」


 ……あれ? そんなに怒ってない? 表情や声が全く変わんないから感情が読み取れないんですけど……。



「ほら、飯島さん怒ってるじゃない! 謝りなさいよ情」

「あ、あぁそうだな。ごめん飯島、失礼なこと言った。そしてありがたくおかずは分けてもらいます」

「えっと、はい。私は気にしてないので大丈夫ですよ。お好きなおかず、とってください」


 わーいやったー! どれにしようかな〜。

 さすがにメインのおかずを取るわけにはいかないから、数も多い卵焼きとかもらおうかしら。


 そう思って飯島に卵焼きをくれと言おうとした時、俺の腕を誰かが掴んだ。


「ほ~ら情? パンは食べ終わったんでしょう? なら学校を私に案内してくれない?」

「え、ちょま――、まだ食べてない、メロンパン食べてないから!」

「いいから行くわよ!」

「待ってくれ! せめてひとかけらだけでも! 皮のひとかけらだけでもっ! あぁッ〜!」

「ははっ! まるで誰かに引っ張られてくみたいだな! すごい芸だぞ情!」

「そうか、やっぱり俺は大道芸人を目指して――」

「目指すなっ!」


 メロンパンと大道芸人の夢を置いて、俺は教室を沙夜に引っ張ららながら出ていくのであった。





 ――――





「……で、どうしたんだよ、急に」

「……別に、なんでもないわよ」


 案内しろと教室から引っ張り出されて校内を歩くこと数分。沙夜はなんだかむくれていた。

 むくれたいのはこっちだってのに……。飯島のおかず分けてもらいそこねたし、あぁ、腹減ったなぁ……。


「あっ、もしかして飯島が気に入らないのか? 朝もガンつけてたし」

「ガ、ガンなんてつけてないわよ! ただちょっと可愛いじゃないって思って見てただけ!」

「若さってのは美しさに直結するもんな……。でも少女の血を飲んでも若返りはしないんだぜ……」

「そういうことじゃないわよ! 後私も血を飲まれる側の少女だからっ!」



 いつもはこのへんで元気になるんだが、どうやら今日はそうもいかないらしい。相変わらずのふくれっ面を引っさげている。


 まったく女心ってやつは分からないな。飯島が可愛いとなにがそんなに不満なんだ? 飯島もよく見れば美少女なのかもしれんが、沙夜が心配するようなほどではないと思うんだけど。


「なにがそんなに不満なのかは知らないけどさ、気にすることねぇって」

「な、何の話よ」

「俺は沙夜より可愛い女子がこの学校にいるとは思わないぞ? いつもみたいに自信満々でいればいいって」

「か、かわ――」


 沙夜はなにを思ったのか急に足を止めたので、追い越してしまった俺は慌てて立ち止まった。

 一体どうしたのかと振り向いてみると、顔を真赤にした沙夜が口元をワナワナと震わせて、驚いた表情で俺を見ていた。


「お、おい、どうした?」

「あ、あんた今なんて言ったのよ!?」

「はぁ? 沙夜より可愛い子なんてこの学校にはいないって……、あっ」

「~~~~ッ! そ、そんな恥ずかしいことを白昼堂々! なに考えてんのよッ!」

「ち、違う! これはその、沙夜がなんか気にしてるみたいだったから励まそうと思ってだなっ!?」

「じゃあ嘘だっていうの!?」

「いや嘘じゃないけどっ……。ああもうっ、俺はどうしたらいいんだよぉ!」


 あぁ、とっさに思ってたこと口に出したから本音を吐露してしまったぁ! 沙夜も聞き流してくれればいいのになんでそんな大げさに拾うんだよ! ていうかいつも自信満々に自分は美少女だなんだって言ってるんだから、これくらいで取り乱さないでくれよほんとによぉ!



「……言って」

「はい?」


 俺が恥ずかしさでどうにかなってしまいそうなその時、沙夜は小さな声でなにか言った。


「もう一回私が世界で一番可愛いって言って」

「ちょっと待て! 俺そんなこと言ったっけ!?」

「いいから言って!」


 あぁぁああッ! もうこうなりゃやけだ! 行けるところまで行ってやろうじゃねぇかッ!


「あーもうっ! 分かったよ……。せ、世界で沙夜が一番可愛いと思いマス」

「もっと感情込めて言って!」

「~~っ! うぉぉぉおおおッ! 沙夜が世界でいっっっっちばん可愛いぃッ!!」

「叫んだぁっ!? 感情込めすぎよバカっ!」

「いでっ!」


 思いっきり頭を叩かれた。ちょーちょー痛い。勢いで下向いちゃうくらいの力で叩くんだもんなぁ。

 自分で言えって言ったのに、言ったら言ったで叩くんだもんな。本当に女心は分からない。



 ……ん? なんか周囲が騒がしいな。まぁそりゃそっか、俺なんか告白っぽいのを大声で叫んだわけだし。

 周囲からも「あれって告白?」とか「すげーな、勇気あるなぁ」とか聞こえるし。


 でもあれ? 沙夜は周囲からは見えてないはずだよな? どうして今の叫びが告白だってみんな気づいてるんだ? いや告白じゃないけども。ていうか今俺告白したの!? してないよねぇ!?


「ちょ、なんであんたが……!」


 沙夜の驚いた声に、俺は顔を上げる。

 そしてその瞬間上げなければよかったと後悔することになる。なぜなら――




「えっと、私は沙夜ではなく理恵ですが……」




 俺の目の前に、さも先程の俺の叫びを受け取った人物のようなポジションで立っていた人がいたからだ。




「……飯島?」




 ものすごく面倒くさい状況になった。それだけは理解できたのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る