第11章  青空が白に染まる頃

第204の扉  テスト返却

「赤点の皆さんは後日補習がありますので、よろしくお願いします」

「補習、だ、と……」

「何それ美味しいのぉ?」

「およ……」


 先日実施したテストの答案を返しながら、担任の西野が死刑宣告。絶望しているのはもちろん、彬人、颯、結愛である。


「なぜ、赤点なのだ! 解せぬ!」

「あんたがバカだからでしょ」

「解せぬ!」


 一葉の指摘に彬人が答案用紙を握りしめ、悶えている。彼の答案用紙は見事に全教科赤点。綺麗に真っ赤である。


「頑張って勉強したのだ……なのに……うぅ、なぜ、なぜぇぇぇ」


 彬人は赤点が余程ショックなよう。彼なりに一生懸命頑張った結果なのだ。しかし、惨敗。机に突っ伏して、めそめそとしている。


「そんなに落ち込まなくても」

「よよよ」

「次頑張ればいいじゃない? ほら、泣かないでよ」

「かずぅはぁぁぁ」

「あぁぁ、もう汚いなぁ。ほら鼻水拭いて」


 涙と鼻水でぐずぐずな彬人の顔面。一葉が苦笑いを零しながらも整えてくれる。


「グスン……ありがと」

「ご飯食べよ? お昼休憩終わっちゃうよ?」

「うん」


 一葉に宥めてもらい、何とか彬人は鼻水と涙が引っ込んだ。そして、お昼という言葉に釣られて笑顔まで咲かせている。単純馬鹿は扱いが楽である。


「いただきます」

 訳)いただきます


 元気に手を合わせて、ビニール袋を取り出した彬人。本日の彼の昼食はコンビニのおにぎり。嬉しそうにアホ毛をぴょこぴょこさせて、丁寧に包装を破いていく。


「……」


 パクパクとおにぎりを頬張る彼を眺めながら、一葉は彬人の言葉を考えてみる。


『俺には無理だろうな』


 夏旅行の花火大会の時、好きな人はいるのか、という問いにそう答えた彬人。彼の言葉の意味は何だろう。

 文化祭の時に聞こうと思っていたのに、彼から邪気が抜けたことが意外過ぎてそれどころではなかった。その後は太陽と月のことがあり、なかなか深く聞く機会がなかった。


(無理って何よ……)


 好きな人が無理。「いない」ではなく、彼は「無理」と言った。なぜその言葉を使ったのだろうか。

 何かしらの事情があるのは確かだが、その真相が掴めない。


(どういうことなの、もしかしてもう許嫁みたいな人が居るとか? それとも深淵を愛しているとか? それなら勝ち目が……)


 漆黒の堕天使本城彬人。その名の通り、彼の真意は黒い闇に隠されていることが多い。彬人はその身に何を抱えているのだろうか。


「む?」


 一葉が悶々と考え込んでいると、彬人から不思議そうな声が上がる。声に反応して見てみると、おにぎりの入っていた袋の中をガサゴソと探っていた。


「どうしたの?」

「今日はおつかいQuestが入っていないのだ。……漆黒の戦士にも休息は必要ということか?」


 彬人はよく母親からおつかいを頼まれている。買い物の内容はいつもお昼の袋の中に入っているのだが、今日はなかったらしい。


「世界が闇に包まれる……」

「おつかいに行かなかっただけで、そんな大事にはならないから大丈夫だよ」


 おつかいQuestがないので、残念なのだろうか。彼のアホ毛がシュンと下がっている。


「今日暇なら、風花の家に行こう? 相原くんたちが魔法の練習するんだって。混ぜてもらおうよ」

「ふはっ、俺の真の力を見せてやろう! はははははっ!」


 一葉のお誘いを聞き、機嫌が回復した彬人。アホ毛が元気に揺れている。やはり単純馬鹿は扱いが楽である。

















 放課後、桜木邸にて……


「あぃはらくん、やだぁ。んんっ、やぁなの」

「んー」


 風花が懇願する中、困ったような笑顔を浮かべる翼。二人は今リビングのソファの上に仲良く座っているのだが、風花がさっきから翼の服をギュっと握って、ふるふると首を振っている。


「お願い、やめて。ね?」

「そう言われても」

「やだもん、相原くんおねがい」

「ぐ……」


 うるうるの瞳の上目遣いで翼を見つめる風花。彼女のその仕草を受けて、翼がモザイク寸前になるものの、ギリギリの所で踏みとどまった。こんな至近距離でモザイクの顔を風花に見せてしまったら、確実に彼女のトラウマになってしまう。翼は表情筋に目いっぱい力を入れて、風花の説得を試みる。


「少しだけだよ。一瞬で終わる」

「でも」

「今辛いでしょ? それよりも楽になれるからさ」

「んぅ……」


 翼の優しい言葉を受けて、風花が悔しそうに唇を噛む。風花自身今の状態が辛いし、翼に身を任せた方が良いことは分かっているのだ。しかし……


「怖いの」


 うるうるの瞳を更に潤ませて、恐怖を訴える風花。翼の服を握りしめて、今にも泣き出してしまいそう。


「怖いから、やだ」

「大丈夫だよ。優しくするから」

「ほんとぅ?」

「うん、本当。約束する」


 風花を安心させるように翼は優しい言葉をかけ続ける。彼のその行為で風花の力が少しだけ抜けた。もう少しで彼女は落ちるだろう。翼は落とすべく、最後の一押しを繰り出す。


「桜木さん、いいよね? 入れるよ?」


 一際優しい光を放つ翼の瞳が風花を捕らえた。彼のその瞳と言葉を受けて、風花の身体から更に力が抜ける。


「いい、よ……入れて」


 翼の瞳を見つめ返し、風花が決意を固めた。しかし、まだほんの少し恐怖があるのだろう。彼女の身体は微かに震えているようにも見える。


「あぃはらくん、優しくしてね。絶対だからね、ゆっくりやるんだよ?」

「うん、分かってるよ。力抜いててね」


 翼は微妙に力の入っている風花の身体を優しくソファに横たえると、そのまま彼女の顔を上から眺める。


「桜木さん、大丈夫? いくよ?」

「う、ん……平気。入れて」


 風花は恐怖を押し殺すように、ギュっと手を握りしめて、口元に添えていた。優しくすると言われても怖い物は怖いのだ。


「ぐ……」


 彼女のそんな仕草が翼に刺さった。モザイク寸前の顔を何とか耐えて、その手を動かしていく。












「よいしょ!」


 元気な翼の掛け声と共に、彼が目薬・・を風花の瞳に入れる。彼女は目薬が目に近づいてくるあの感覚が苦手なのだ。翼の要求を拒否していたのもそのためである。


「くぅぅぅ、しみるぅ!」

「桜木さん、ほら、パチパチして」

「パチパチ!」

「違う違う。手じゃなくて、目をパチパチするの」


 目をギュッと閉じながら、手をパチパチと叩いている風花。慌てて翼が止めさせて、正しく瞬きができた。


「何をしているのだ?」

「目薬なのに……」

「文字にすると卑猥だよな」


 彼らの一部始終を眺めていた月と、先ほど桜木邸に到着した一葉と彬人。目薬を刺すという行為事態は健全なのに、文字だけ取り出すとどうしてこうも卑猥になるのだろう。謎である。


「すっきりぱっちりおめめなの!」

「それは良かったよ」


 もちろん本人たちには全くその自覚はない。風花は目の痒みが引いてご機嫌だし、翼はそんな風花を見てお花をまき散らしている。

 今日は魔法の練習のため翼、彬人、一葉の三人が集合。一葉たちの到着を待っている間に、目が痒くなった風花が物凄い勢いで目を掻き毟り、先ほどのやり取りに戻る訳である。


「なぁなぁ、一葉」


 月と一葉がため息をついていると、突然視界に一人のアホ毛が入る。嬉しそうにぴょこぴょこと揺れているのだが、これは嫌な予感がしなくもない。若干顔を引きつらせて、一葉が彬人の方を振り向くと曇りなき眼で目薬を手にしている彬人が。そして……


「俺もれt……ぐはっ」


 彬人が言い終わる前に一葉のグーパンチが見事炸裂。綺麗に飛んでいき、壁に激突した。


「何をするのだ! 俺はただお前に挿れt……」

「うるさい! バカなのあんた! 変な漢字変換するな!」

「痛い、痛い! やめろよ!」


 壁まで飛んでいった彬人が再び変なことを口走りそうになったので、一葉が容赦なく殴り飛ばす。誤解を招くので、不穏な漢字変換はしないでいただきたい。


「氷も大変だよな~」

「一葉ちゃんたちはどうしたの?」

「お前は見ない方がいい」

「?」


 ポカポカと殴られている彬人に、風花が疑問を発するが、月が視界を遮ってしまうので首を傾げることしかできなかった。

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