第164の扉  夏の風が吹く

「おはよう」

「おはようございます」


 翌朝、窓を開けると気持ちの良い風が室内に入り込んでくる。涼し気に髪をなびかせて、風花は伸びをしていた。


「私は昨日いつ寝たんだっけ?」


 風花のその質問に太陽の胸がチクリと痛む。しかし、顔にいつもの柔らかな微笑みを携えて、風花へと言葉を返した。


「お疲れだったようで、翼さんの所から帰ってきてすぐにお休みになられましたよ」

「あぁ、そっか」


 太陽の言葉を受けて、風花の頭の中に、昨日の翼と見た花火の映像が駆け巡る。色とりどりの綺麗な花火、そしてその横に居るのは相原翼。


「んふっー」


 風花はボフンとベッドへとダイブ。布団を抱きしめて、コロコロとご満悦だ。翼と花火を見れたことが嬉しかったのだろう。朝からいい笑顔である。


「んんー? どうしてこんなに嬉しいんだろう」


 コロコロしていた風花だが、自分の感情の中に違和感を覚える。

 風花は昨日花火を初体験した。とても綺麗だったし、楽しかった。だから昨日のことを思い出して、嬉しい気分になるのは何も変なことではない。しかし、嬉しい以外の感情が混ざっているような気がするのだ。胸の奥がキュッと閉まるような、この感情の名前はなんだろう。


「姫様、そろそろ準備しないと、朝ご飯に遅れますよ」

「わぁ!? 大変大変!」


 考え込んでしまった風花だが、本格的に時間が不味いので太陽が現実世界に引き戻す。そして、バサァとすぐに服を脱ぎ出してしまった。


「……」


 太陽は急いで風花から視線を外す。彼女はいつも太陽が居ようと居まいと関係なく服を脱ぐのだ。目のやり場に困るので改善してほしいのだが、心が欠けている影響だろうか。一向に改善してくれない。今後躾けないと大変なことになりそうだ、主に翼が。













「楽しかったの」

「良かったね」


 現在帰りのバスの車内。楽しい旅行はもう終わり。神崎グループの送迎バスでいつもの日常へと戻っていく。

 そして、翼の隣では風花が二日間の思い出を話してくれた。初めての海、水着、肝だめし、花火、みんなでのバーベキューなどなど。楽しい思い出がたくさんできた。

 話してくれる風花は柔らかい笑顔で瞳の中がキラキラと輝いている。そんな彼女を翼はお花を飛ばしながら眺めていた。


「そう言えば、風の国にはプールもないの?」

「ぷーる?」

「あっ、ないんだね」


 風の国には水の中で遊ぶという概念がないようだ。海もなければプールもない。川はあるが泳いだりはしないらしい。


「そう言えば、梨都りとさんによく突き落とされたな」

「りとさん?」

「あ、私の先生みたいな人なの」


 風花は幼少期、梨都に川に突き落とされていたらしい。幼い少女を突き落とすなど、一体どんな先生なのだろうか。風花はどこか苦い表情をしているような気もする。彼女がこんな引きつった顔をするとは何とも珍しい。それほどの相手なのだろう。相手は風花の師匠なので、今後翼たちが出会う場面があるかもしれない。







「ふはっ! 満足である!」


 風花が夏の思い出を話している後ろの方では、彬人が騒がしい。彼も今回の旅行のことを思い出して、心が満たされているのだろう。アホ毛がぴょこぴょこと楽しそうに揺れていた。


「それは良かったね」


 隣では一葉が無邪気な彼を眺めていた。今回の夏旅行はいろんなことがあったものの、恋する乙女としては前進できたかもしれない。彼が溢した言葉の意味はまだ分からないが、この戦いは長期戦。じっくりと向き合っていくしかないようだ。









「ねぇ、神崎さん強過ぎない?」

「おほほほほほ」

「およ、また負けた……」


 バス移動の中、暇をもて余した彼らはトランプを楽しみ始めたのだが、さっきからポーカーでうららが圧勝している。ちなみに最下位争いを繰り広げているのは颯と結愛。


「あれ? 眠い?」

「んんー、ねむくないもん」


 そんな中、風花の異変に翼が気がついた。目がトロンとしており、何だか呂律が怪しい。初めての旅行ではしゃぎすぎたのだろう。


「疲れたんだね。少し眠ろうか?」

「やだぁ」

「えぇ……なんで?」

「まだぁ、トランプするしぃ、あいはらくんとも、お話するのぉ」

「ぐ……」


 目を擦りながらも、風花はまだ翼たちとの時間を楽しみたいようだ。しかし、翼は先ほどの発言がクリティカルヒット。緩みそうになる表情を何とか耐えている。


「翼、それ以上緩んだら席交代な」


 風花のピンチを知り、後ろの席から優一が声をかける。モザイク翼の顔を彼女に見せるわけにはいかないのだ。風花のトラウマになりかねないので、これ以上緩む前に寝てもらわなくてはいけない。翼の表情筋が、限界ギリギリになりながら耐えるのだが……


「眠たくないので、嫌なの」


 眠たくないはずはないのに、風花が睡眠を拒否。さっきから彼女の目は閉じかけているし、頭がフラフラと揺れているのだ。しかし、トロンとした声を出しながらも、風花は眠りたくないらしい。翼がモザイク寸前の顔を何とか保ち、寝かしつけようと頑張る。


「桜木さん」

「や」

「寝ようよ?」

「や」

「眠いでしょ?」

「や」


 風花は頑なに睡眠を拒否。彼女は意外に頑固である。


「困ったな」

「またぐずり始めましたか」

「また?」


 翼の後ろの席から太陽がぴょこっと顔を出す。彼によると、風花はよくぐずるらしい。寝る前に本を読んでいて、うつらうつらしているのに「やだやだ」と寝てくれないとか。大概寝落ちしたところを、太陽がベッドに運びこんでいる。


「なるほど」

「気にせず放っておいてください。そのうち力尽きますから」


 ぐずり風花の対処法は放置らしい。


「そう言われても……」


 風花はさっきからフラフラと頭を揺らして、「やだやだ」と呟いている。これはいつ寝るのだろうか。それまで翼の顔がもつか分からない。更に……


「んんー」

「!?」


 風花がコテンと翼に身体をもたれかけてきた。風花の髪が翼の頬をふわりと撫で、鼻腔に優しい香りが広がる。


「これは、ヤバいよ……」

「頑張れ、翼。緩んだら、チェンジだぞ」


 翼の表情筋がゆるゆるなので、ついに優一の最終通告がかかった。あと一撃でも翼に攻撃が入ったらアウトだろう。風花が寝てくれるように願いながら、翼は顔面を保つ。


「あいはらく……」

「ん?」

「お話、する。もっと……わたし、と」

「起きてからね」


 先ほどより呂律が怪しくなってきた。これならモザイク前に寝てくれそうである。風花は翼にもたれかかりながら、もにゅもにゅ始めた。


「おおーー」

「?」

「いい匂い、する」

「匂い?」

「これ、好きぃ」


 風花が翼の服にすり寄り、気持ちよさそうに眠りについた。それと同時に翼の顔がモザイク案件に。しかし、風花は眠りについたので、間一髪セーフである。


「ぁぁぁ」

「翼、あんまり動くと桜木起きるぞ?」


 翼は震える身体を何とか保って、悶えながら帰路につく。こうして、彼らの夏旅行は無事に幕を閉じた。

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