第38の扉  見えない心

 月の国から帰ってきて数日後。


「行ってきます」

「行ってらっしゃいまし」


 風花が元気に学校へと出かけていく。太陽は手を振りながら風花の背中を見送ったのだが、気がかりなことが一つ。


『あ、あのね……』


 月の国に攫われる前、彼女は何かを伝えようとしていた。本人に尋ねてみるも「また今度」とはぐらかされている。風花が伝えたいことは何なのだろう。


「んー」


 太陽は首を傾げて考えるも、答えは出ない。心のしずくを取り戻してきて、少しずつ感情が分かりやすくなった彼女だが、本人が何か押し込めているようで、考えていることは更に掴みにくい。いつか打ち明けてくれる日はくるのだろうか。太陽は儚い自分の主人へ想いを馳せる。





_______________





「次の授業は音楽室だよ!」


 美羽が風花に声をかけてくれて、一葉と共に移動を開始する。月の国での一件以来敵の襲来はなく、風花たちはまた日常を取り戻し始めていた。

 次の授業は音楽。風花は音楽の授業が全ての教科の中で一番好きだ。様々な楽器に触れられること、歌を歌えること、綺麗な音を楽しめることなどなど。音楽の授業の前の風花の心は自然と軽くなる。しかし……


「あ、ノート置いてきた」

「あ、待って。私も持ってない」


 移動中、風花と一葉は教室に忘れ物をしたことに気がつく。一緒にいた美羽には先に行ってもらい、二人は元来た道を戻って行った。


「しまった、しまった~」


 語尾を伸ばして風花は何だか楽しそうである。鼻歌まで聞こえてきて、一葉は隣の風花を驚いて見つめた。余程次の授業が楽しみなのだろう。こんなにご機嫌な風花は、出会ってから初めて見た。表情の柔らかい風花を見ていると、自然とこちらの頬も緩む。純粋な笑顔は癒しを与えてくれるのかもしれない。


「「ん?」」


 そうこうしているうちに、二人は教室にたどり着く。しかし、教室に入る一歩手前で、中に人影と不穏な空気を察知して、風花の顔から笑みが消えた。


「ねぇ、何回も言ってますでしょ?」

「彩、無理だよ。この子バカだから覚えられないんだよ」

「確かにそれもそうですわね」


 教室では川本愛梨を囲んで、大野彩、長谷川柚希、八神穂乃果がいるのが見える。バシバシと愛梨を叩く音が響いていた。その音を聞き、風花と一葉は勢いよく教室の扉を開ける。


「何してるの?」

「ただの遊びですわよ、ねぇ?」


 突然の二人の登場にも彼女たちは動じない。毅然とした態度で言い返してきた。そうよ、そうよ、と長谷川と八神も、ニマニマ笑いながら同調している。対する愛梨はとても怯えているように見えた。


「遊びに見えない」


 そんな4人の様子を見て、風花は無表情のまま言い放つ。


「遊びですわよ、私たち友達で……」

「いじめに見える」


 大野の言葉を遮って、風花ははっきりとした口調で告げた。風花は無表情なのだが、その瞳には、確かに怒りの感情が浮かんでいるように見える。それを聞いた大野は、耳まで真っ赤にして反論し始めた。


「いじめだなんて、人聞きの悪いこと言わないでくださる? これはただの……」

「大野さんにとっていじめってどんなこと? 叩いたり、宿題を押し付けるのはいじめじゃないの?」

「……っ!」


 大野は風花の言葉にぷるぷると震えるが、言い返すことができない。


「行きましょう、みなさん。授業に遅れてしまいますわ」


 耐え切れず、そそくさと教室を退散していった。ぴしゃん、と、強い音で扉が閉められる。


「はふぅ」


 余程緊張していたのだろう。三人の姿が見えなくなった途端、風花から息が漏れた。彼女は一人で大野たち三人を相手取り、撃退したのだ。そのはっきりとした態度、言葉は今の柔らかい風花からは想像もできないほど冷たい物だった。


「ありがとう」


 愛梨はぺこりと風花たちに頭を下げる。愛梨の顔からは先ほどまでの怯えた表情は消えていた。風花は愛梨に柔らかな微笑みを向ける。








「あの二人、調子に乗っていますわね。覚えていなさい、痛い目みせて差し上げますわ」


 廊下をずんずんと進みながら、大野はポツリと呟いていた。








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 キーンコーンカーンコーン


「風ちゃん、一緒に帰ろう!」


 結愛が話しかけてくれて、風花と一緒に帰宅する。今日も結愛は元気だ。彼女はずっとスキップをしているのだが、風花の歩くペースに合わせてくれる。かえって疲れないだろうか。風花が首を傾げながら歩いていると、道の先に愛梨が歩いているのを見つけた。


「わっ!?」

「愛梨ちゃん、こんにちは」


 結愛が目を輝かせて、愛梨に飛びついたので彼女から変な声が飛び出した。愛梨の家も風花たちと一緒の方向のよう。


「途中まで一緒に帰ろう」

「うん」


 風花たちの登場に驚いていた愛梨だが、快く同行を引き受けてくれた。その表情はにこやかで嬉しそう。愛梨は真っ黒の髪を二つに結び、三つ編みをしている。おどおどとした性格のため、大野のような輩に目をつけられやすいようだ。いつも彼女は怯えているような気がする。

 しかし、今の愛梨からはそんな空気は全く感じない。風花は何だか嬉しくなる。





「「およよ」」

「もう少し、早くだよ。およよ!」


 相変わらず結愛はスキップを続けている。そして結愛による『およよ講座』が開校された。三人はおよおよ言いながら帰路につく。途中すれ違う通行人が変な目を向けるも、そんなことはお構いなしである。結愛先生が熱心に教えてくれた。少しすると……


「およよ?」


 風花はしずくの気配を感じ声をあげる。完全に結愛の口癖が移ってしまったようだ。


「風ちゃん、どうしたの? しずく?」


 風花がきょろきょろしていると、異変に気がついた結愛が声をかけてくれる。この近くにあるようだが、すぐには見つけられない。そして、今ここには、事情を知らない愛梨がいる。小声でこそこそとしている風花たちに愛梨は首を傾げていた。彼女に不審がられないようにしずくを探したいのだが……


「風花、しずくを渡せ」


 風花たちの後ろの地面をバーンと破って、京也が登場してしまった。相変わらず真っ黒のローブを身に纏い、目をギロリと光らせている。風花は自分の後ろに急いで愛梨を隠した。


「京也くん、早いよ!」


 結愛が素早い京也の登場に、ぶーぶーと文句を言い放つ。確かに今回の彼は早かった。普段は15分くらい間が空くこともあるのだが、今日は1分もしないうちにやってきた。


「そうか、早かったのか♪」


 京也は嬉しかったのか、なぜか上機嫌で鼻の下をこすっている。彼の周りにふんわりとお花が飛んでいるような気がしなくもない。


「およ!? あった」


 ふんわりとした雰囲気の中、元気な結愛の声が響く。風花の後ろに心のしずくを見つけたのだ。大切に両手で拾い上げる。


「渡せ!」

「やだね! それに京也くん、しずくを持ってる結愛に敵うと思ってるの?」

「………覚えてやがれ」


 京也は不服そうに捨て台詞を残し、自分が出てきた穴に大人しく戻っていった。結愛たち精霊付きがしずくを手にしていると、精霊本来の強大な力を発揮され、京也は吹き飛ぶしかないのだ。

 風花たちがほっと安心していると、愛梨から声が上がる。


「今のは何?」


 彼女の発言に風花たちの動きがピッと固まる。魔法の存在は秘密。愛梨に事情を説明するわけにはいかない。風花が固まる中、結愛があたふたと手を動かしながら一生懸命に嘘をつく。


「あ、愛梨ちゃんごめんね。びっくりしたよね。えっと、あの人はマジシャン! そうマジシャンなの! で、いきなり現れたのも、その……」

「マジシャン?」

「そ、そうなの! すごい人で、地面を割ったのもそのせいなんだよ!」


 結愛が愛梨を納得させようと必死に言葉を繋いでいく。今回は素早くしずくを回収できたため、風花と結愛は変身していない。制服姿のままである。京也も特に魔法を使っていない。非日常的な部分と言えば、彼が地面を割って出てきたことくらい。それを結愛は「マジシャン」ということで押し通すつもりらしい。


「すごいよね! 種も仕掛けもありません、なんだよ!」

「そう、なの……」


 結愛の必死な説明の賜物か、愛梨はマジシャンということで納得してくれた。何とか誤魔化すことができたので、風花と結愛から同時に息が漏れる。

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