第36の扉  月の国編その4

 衝撃に備えてギュっと目を閉じていた太陽だが、一向に痛みを感じない。彼が恐る恐る目を開けると……


「姫様!?」


 ウエディングドレス姿の風花が、真っ白な剣でひかるの剣を受け止めていた。太陽が声をかけると、風花はふわりと微笑んでくれる。


「おや、あなたは薬で眠っていたはずですが?」


 ひかるが風花に受け止められた剣を下ろし、片眉を上げる。そう、風花はひかるが部屋に放った薬により、身体の自由を奪われていたのだ。それが今ではピンピンしている。ひかるは彼女の様子に首を傾げていたのだが、風花は無表情のままひかるを見つめ返す。


「美鈴さんが助けてくれました」






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 数分前……


「桜木さん!」


 何の反応も示さない風花に呼びかけ続ける翼たち。声をかけても、肩を揺すっても何も反応を返してくれない。ただぼぅとした瞳がそこにあるだけ。彼女の身体に何が起こっているのか全く分からない。

 翼たちは回復魔法を使うことができない。唯一使うことのできる太陽は今ひかると戦闘中。風花にたどり着いたのはいいものの、何もなす術がなかった。すると、優一が風花の座っている椅子の気配に気がつく。


「誰だ!」

「あ、あの、こ、これを」


 椅子の陰から出てきたのはメイドである美鈴。彼女は一つの瓶を翼たちに差し出してきた。その中身は風花の中の薬を解毒してくれるもの。


「なんで、ひかるのメイドがそれをこっちに差し出すんだ?」


 戦闘態勢は崩さずに優一の冷たい声と視線が美鈴を射抜く。美鈴は彼の雰囲気を見て、小さく悲鳴を上げたが、震える手で瓶を差し出し続けた。


「今まで、ひかる様に強く申し上げることができませんでしたが、大切なことを風花姫様に教えていただいたのです。主の間違いを正すのは遣えるものの定めだと。だから、どうかこれを……」


 どうか、と美鈴は頭を下げ続ける。相当怖いのだろう、その身体は、声は、ふるふると震え続けている。それでも彼女は瓶を差し出す手を引っ込めようとはしない。優一に睨まれ震えても、風花のために薬を届ける。風花の言葉が美鈴の胸に届いているのだ。そして……


「薬、ありがとうございます」


 美鈴の震える手を翼が両手で包み込む。美鈴の想いは翼に届いた。優しく温かい彼の両手が、美鈴の震えを消していく。


「ぁ……ありがとうございます」


 美鈴はぺたんとしゃがみこんでしまった。相当勇気を出したのだろう、ポロポロと涙が溢れて止まらない。

 

「想いを受け取ってもらえるということは、こんなにも嬉しいことなのですね……」





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「そうですか、美鈴が」


 風花から事情を聞いたひかるは、冷たい視線を美鈴に向けるも、翼が庇うように自分の背中に隠した。そんなひかるの冷たい目線を捕らえ、風花は自分の感情を押し殺しながら言葉を投げる。


「ひかるさん、何をなさっているのですか? 私が間に入らなければ、太陽と一葉ちゃんがどうなっていたか」

「ただの遊びですよ。本気で切るはずないではありませんか。あなたの大切な大臣とご友人でしょう」


 ひかるは、あれだけのことをしておいて白々しく言い放った。その表情はまるで反省していないように見える。


「ちょっと、あんたねぇ……」

「一葉さん」


 一葉が詰め寄ろうとするも、その行く手を太陽が防いだ。彼の真剣な様子を見て、一葉は動きを静止する。

 太陽の視線は自分の主人である風花へ注がれていた。風花の表情は変わっていない、相変わらずの無表情である。しかし、ひかるを見つめるその瞳には、真っ赤に燃えるが如く怒りの炎と真っ暗で冷たい寂しさの感情が見えていた。


「ひかるさん、あなたにとってもそうですよね。国の人たち、大臣、兵士、メイドさん。すべての人たちが大切な存在ですよね」

「何をおっしゃりたいのですか?」

「あなたは何回聞こえないふりをしてきたのですか? 彼らと本当に話をしたのはいつですか?」


 ひかるは、全く意味が分からないというように首を傾げる。風花の目には依然、怒りの感情と寂しさが宿っているように見えた。


「あなたはみなさんが話している言葉に、耳を傾けましたか? 想いを受け取ろうとしていましたか?」


 風花は美鈴たちの想いが届くように、優しく問いかける。美鈴たちは何回も何回もひかるに声を届けようとしていた。彼はそれに自分で気がつけるだろう、いや、自分で気がつかなくてはいけないのだ。周りの暖かい、大切な存在に。

 風花はそれの手助けができるように、と言葉を投げかけた。


「想い……」


 ひかるは風花の言葉を聞き、自分の過去を思い出す……






※※※※



 幼い頃に父さんと母さんが亡くなった。

 当時月の国で流行っていた病に倒れたのだ。それから大臣や召し使いたちが、私の親代わりとなって育ててくれた。

 欲しかったものはすべて手に入った。親を失った私のために、寂しい想いはさせないようにと、私の周りにはいつも人がいた。何一つ不自由はなかった、はずだった。



『自分勝手でわがままでなやつ』

『そうだ、そうだ。みんなお前のことなんか嫌いなんだから』

『こんなにわがままなやつ見たことないぞ』



 大臣たちに甘やかされて育った私は幼少期、友達にも同じように言うことを聞かせようとしていた。


『お前なんか嫌いだ。もう一緒に遊んでやらない』

『国の人たちだってこんな王子いやだろうな』


※※※※




「うるさい! うるさい! うるさい! 黙れ。消えろ!」


 ひかるは頭を押さえ、ブンブンと剣を振り回している。まるで自分の中の声と戦うかのように……


「私は愛されているはずだ! 今まで全て手に入ってきた。欲しいものはすべてだ。今回だって、あなたを手にいれる」


『みんなお前のことなんか嫌いだよ』


「でたらめなことをいうんじゃない! 仲間なんて、友達なんて私には必要ない!」


 ひかるの中に響いている声は止まらない。ひかるの心を抉るように冷たい言葉が響いていく。







『誰も愛してくれないよ』







「うるさい!」


 バンッ!


 突然のひかるの変化に驚き、固まってしまった風花は剣を弾かれてしまった。


「姫様!」


 太陽の焦った声が響く。ひかるは風花を目掛けて、剣を振り下ろそうと上に掲げたのだ。今のひかるの目に風花は映っていない。彼の目の中にあるのは、幼い自分を傷つけた声たちだった。


『誰も愛してくれないよ』

『お前なんか大嫌い』

『わがまま王子』


 風花が動けず固まる中、ひかるの剣が残酷にも、襲い掛かろうと近づいてくる。

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