一、羽摘み遊び

一、羽摘み遊び


僕には見えてしまう。人の羽が。

背中に生えている羽は、人によって様々だ。コウモリのような羽の人もいるし、蝶のような羽をしている人も居る。大きさもまちまちで、小鳥のような羽から大鷲のような羽の人もいる。ただ、どの羽も薄っすらとしていて、向こう側が透けて見える。在るのか無いのかわからない。

 いや、実際に人に羽が生えているということはないし、背中の羽が他の人に見えないと言うことはわかっている。だからこれは、僕の想像なんだと、普段から自分に言い聞かせるようにしている。

 それでも人の羽を見るのは昔から好きだ。

 その羽を見れば、その人がどういう人なのかだいたい分かる。悪い人などの羽は色が淀んでいる。その反対に、善い人の羽などは澄んだ色をしていて、形も綺麗だ。

 羽だけで人を判断しないようにしているけれど、十中八九当たってしまう。なので僕は、高校に進学してから悪い奴とは友達にはならないようにした。そのおかげで、順風満帆に過ごせている。


 朝の登校時間は一番好きかもしれない。校門手前でぞろぞろとしている皆の背中を見る。羽は、その瞬間毎にも変化する。体調が悪い人は、やはり色が淀んでいたりする。

 僕の少し前を歩く希崎純の背中の羽はとても澄んでいる。だが、今日は少し曇っていた。

「純。おはよう」

「……あぁ」

 純の表情は暗く、目つきが鋭い。だがこれはいつもどおりの純だ。小さい頃から暗めの表情でくぐもった声で話す。小学、中学の頃はこれで女子から嫌われていた。高校でもそうなるかと思っていたのに、同じ中学出身じゃない女子からは、然程悪く思われていないらしい。

「あいかわらずだな」

「なにが?」

「いや……別に。風邪は大したことはないから心配するな」

「なんだよいきなり」

 少し驚いた。病状を心配しようと声を掛けたのに、先に答えられてしまった。

「お前、逆になるんだよ。なんでか知らないけど、朝、挨拶の前に名前を先に呼ぶ時は、大抵俺が調子悪い時だ。他の奴でもそうだぜ」

「ふーん。気づかなかった」

「ま、べつにいいんだけど」

「それで、なんで風邪引いてんの?」

「なんでもくそもないだろう。ちょっと微熱があるだけだ」

「五月病かね?」

 純は特になんの反応も返さず歩き続ける。もともと口数が多くはないのに中途半端にちゃかして突っ込みを待った自分が恥ずかしくなった。羽はぼんやり光っているような感じだ。純は楽しんでいるのか呆れているのか、どっちだろうかと考えていたら純が口を開いた。

「今日、うちのクラスに転入生が来る」

「え?」

 純から話を振るのは珍しい。

「来るというより戻ってきたって感じか」

 それだけで誰だかわかった。空神美羽。羽見の儀式の時の巫女が彼女だ。

「俺が風邪引く時は、何か悪い事が起こる時が多い。気をつけとけよ」

 そう言い残し、純はC組の方の下駄箱へ行ってしまった。僕はもやもやとした気持ちになりながらA組の方の下駄箱へと向かった。


 クラスに入ると、幾人かが少人数のグループを作っていて、それぞれの話題で朝の束の間の雑談に興じている。

机に突っ伏している生徒もいるが、別に仲間はずれにされたり、虐められてたり、それでぼっちでいるわけではない事が分かる。

 このクラスに居る生徒に悪い奴は居ないからだ。これはものすごく運が良いことだと思う。みんな綺麗な羽だ。まだ二ヶ月経っていないのに昔から一緒のクラスのように違和感がない。

僕の前の席に座っているのは手塚総一。バスケ部で期待の新人と言われている。中学でもバスケ部だった。いつも先生が来ると同時に教室に入ってくるのだが、今日は僕より先に座っていたので聞いてみた。

「今日は朝練無いの?」

「ペキ。おはよう」

 『ペキ』と言うのは、総一が僕につけたあだ名だ。僕の名前が「あお」だからだ。「紺碧の碧という字であおと読みます」と、自己紹介をした時「じゃあ、ペキね」と総一が一言言ってそうなってしまった。高校になってそんなあだ名で呼ばれるとは思ってなかったが、総一に悪意はない。ペキというあだ名も然程浸透せず、総一とその他数名からしか呼ばれていない。

総一も自分の事をあだ名で呼んでいいと言ってくれたが、別段思いつかなかったのでそのまま名前で呼んでいる。

「朝練は少し早く終わっただけだぜ。それよか知ってるか。C組に転入生が来るらしいぞ」

「そうらしいね」

「しかも女子だ」

 総一は女たらしだ。たらしと言うには大袈裟かも知れない。けれど入学初日にクラスの女子のアドレスやらを聞き出していた。本当にこういうちゃらい感じの人が居るものかと思って呆れた。中学の時もそうだったらしい。

 そして一週間しないうちに六クラスしかない凰鳴学園一年の女子はすべて把握したと言っていた。ただし、総一基準で可愛い人のみだ。

だけど総一の羽は輪郭が真っ直ぐで、薄っすらとした緑色をして澄んでいるのだ。女の子を追っかけているのに不思議だ。ピンク色に染まっても良いように思う。総一の羽については、部活を一生懸命に頑張っているからだと僕の中で結論づけている。

「それは、総一にとっては嬉しい限りだね」

「聞いたぞ。お前、中学の頃モテてたらしいな。聞かなくてもそうだと思ってたが、中学の時モテたからってこの先永遠にモテ続けるとは限らない。孤独死は寂しいぞ」

「やめてくれよ。そんな悲惨な未来はお断りだ」

「だったら積極的に行かないとな。一限終わったら見に行くぞ」

 この積極性には頭が下がる。

 モテたくないわけではない。そして僕はモテてはいない。確かに中学の時に二度告白されたことがある。だけど全員羽に動揺が無かった。感情の強さが羽にまったく無かったのだ。本当に好きなら、羽に表れるはずなんだ。からかわれていただけか、罰ゲームか何かだったのだろう。だからやんわり断った。実際聞いてみると、事実そうだった。それにニ度ぐらいじゃモテているとは到底言えないだろう。

 でも、もし羽が、告白の言動と一致していたら、僕は誰かと付き合っていただろうか。

 うだうだと考えていると、貫禄のある羽を携えた担任の杉浦先生が入ってきたので、総一は前へ向き直った。


 授業はまったく頭に入らなかった。

 空神の事を思い出していたからだ。彼女が十四歳の時に羽見の儀式が行われ、それ以降は会っていない。あれから……二年ぐらいか。

 羽見の儀式の後、学校に来る空神にどんな顔をして会ったら良いのかわからなかった。でも空神は登校してこなかった。登校しないまま一週間が過ぎ、そのまま都内の方の中学へ転向したと先生から聞かされた。

 噂は絶えなかった。やはり儀式中に死者が出たせいで、空神が殺したんじゃないか、という内容だ。

 新聞には乗らなかった。警察の発表も単なる一酸化炭素中毒という発表だった。だが誰も信じない。閉めきった屋内だとはいえ、隙間風が通る広い舞殿で、蝋燭の火如きで一酸化炭素中毒はありえない。

 空羽村はかなり閉鎖的な村だ。権力のある空神家が何かしらの隠蔽をしたのだろう。そうなると皆口を噤む。空羽村に住む人達は昔からそうだ。

 やがて事件の事は忘れ去られた。いや、意図的に忘れようとしていたのだろう。

 そんな閉鎖的な村の……しかも権力のある空神家の空神美羽と僕が仲良くなれたのはどうしてだっただろうか。僕がぎりぎり隣の白羽町に住んでいたからかもしれない。空羽村に住んでいる人よりかはそういった事に疎いだろう。

 空神と最初に出会った時はどんな感じだったか。昔を思い出そうとした時、総一に肩を叩かれた。

「おい、行くぞ」

 授業終わりのチャイムにすら気が付かなかった。

 廊下では空神がどうして戻って来たのか考えた。そのまま都内の高校で過ごせば良かったはずだ。だとしたら向こうで何かあったのだろうか。イジメと言う単語が頭をよぎったが、空神に限ってそんな事はあるわけがない。かなり気の強い女の子だったはずだ。

「どの娘かなっと」

 楽しそうに総一はC組を覗きこむ。

 総一に続いて、僕もC組を覗きこむ。入口近くに純が机に突っ伏して寝ている。そこからぐるっと見回すと、窓側の一番後ろに空神が座っていた。昔よりおしとやかな感じになったような…。

「あれか」

 総一が小さくガッツポーズをとる。総一の基準だと空神はかわいいと言うことか。

 それならもっと転入生の周囲に集まっても良いように思うけど、高校にもなると転入生と言う立場の人間に、周囲はあまり興味を向けないらしい。それに彼女を知っている同じ中学の出身者は、進んで関わろうとはしないだろう。

そんな中で一人、空神に仲良さ気に話しかけている生徒が居た。日野桜だ。総一と同じ中学校の出身で、総一と姉弟かと思うぐらい羽が似ている。

 もしかしたら、彼女が話しかけることで、他の人の興味を向けさせないようにしているのかもしれない。きっと転入初日の空神を気遣っているのだ。羽も彼女を庇うように動いている。

 僕らの気配に気づいたのか、日野さんが視線を入り口へ向けた。

「ほら来た」

 日野さんは総一の事をよく知っている。転入生が女子となれば総一という男が見に来ると、空神に話していたに違いない。

「気をつけてね。みう。こいつ凄く女好きだから」

 みうと呼ばれた空神。彼女の名前は美羽(みはね)だが、みうと読み間違えられる事が多い。自己紹介などをして、知らない訳はないから、あえてそう呼んでいるのだろう。

「桜、変な情報を刷り込むな。俺は至って紳士だ」

 自分で紳士と言うと説得力がない。確かに総一の羽は紳士的な色をしている……のかもしれないが。

「みうって言うの? めっちゃかわいい名前じゃん。俺は次期バスケ部エースの手塚総一。せっかくだからアドレス教えてよ」

初対面で強引アドレスを聞き出す総一には才能があると思う。才能というか度胸があるというか。

「あぁ、ごめん。わたし携帯持ってないから」

 空神は困ったように笑って誤魔化す。名前については「みう」と呼ばれても特に気にはしていないらしい。

 そのあと空神は、総一の後ろに居た僕に気がついた。

「あ、那由崎君」

良かった。忘れないでいてくれた。

 那由崎というのは僕の苗字だ。だけど空神からはいつも「あお」と語気を強めた感じで呼ばれていたので、凄く違和感がある。もちろん学校でそんな風に呼ばれても困るけど。

「ひ、久しぶり」

 声が裏返ってしまった。

「なんだ。知り合いなのかよ」

「みうはね。もともと羽中に居たんだって。十人ぐらいはここの学校に来てるよ。那由崎もそこ出身だったからでしょ」

 羽中とは、空羽村にある羽喰中学校のことだ。多くの生徒は少しでも都会の高校に行きたいと願って受験し、受かったものは村を出て行く。落ちたものは遠方の県立へ行くのが殆どだ。近場の私立凰鳴学園に入学する生徒は、日野さんが言った人数程度だ。

「だけど空神は中二の最初の頃に都内の中学に転校したんだよ」

「へぇ。都会からこっちの方に戻ってくるのは嫌だったんじゃないの?」

「親の都合だから、ね」

 微笑んでいる空神の表情からは読み取れないので、故郷に戻ってきてどういう思いを抱いているのか、ちらっと背中の羽を見て確認しようとした。

空神の羽が……。

「……ない」

 反射的に胸を見た。違う!

 僕がうっかり呟いてしまった言葉で、空神の胸を見たのは、僕ではなく日野さんと総一と空神自身だった。

 僕は慌てて弁解をした。

「いや、あるよ。うん。ある」

 何を言ってるんだ僕は。弁解ではなく、余計な誤解を招く言動を。だからといって羽という主語を言ってもどうにもならない。

「那由崎おまえ、お前もそういう奴だったのか」

 日野さんの左手で首を掴まれた。右手は総一の襟元を掴む。

「二人共A組に帰れ!」

「桜、ちょっと待て。まだみうちゃんと全然話してないだろ」

 廊下に連れ出される時、廊下側に座っていた純の羽が見えた。笑っている。あの色は笑っている。

 廊下で総一が小さく笑い出した。

「おまえ、あれが無いとか。どんだけなんだよ」

 くっくっとにやけて笑う総一。心底楽しそうだ。総一ほどじゃない。

 あの場で羽見の儀式の事を聞くことは出来ない。変な誤解を与えてしまったが、取り敢えず空神と一言話せただけで良しとしておこう。


僕が呟いた言葉は、その場に居た四人と、聞き耳を立てていた純ぐらいにしか聞こえてなかったはずだ。そのはずだが、次の日にはもう広まっていた。しかも僕が巨乳好きだということ以外にむっつりだという付加価値までついて。

 昨日純が言っていた善くない事は、僕にとってはこの事だったに違いない。

 クラスメイトにからかわれて、居た堪れないが、何時もどおりの自分を通した。僕がどういう人間か知っている上でみんなからかうのだ。僕はいつも通り当たり障りなく飄々と過ごす。

 放課後僕はC組へ向かった。やはり言っておくべきだ。誤解が生まれてしまったのは仕方ない。むっつりではないと否定する。巨乳好きは否定しないでおこうか。

 丁度C組から出てきた日野さんと空神に呼びかけた。

「日野さん……と空神」

 日野さんはむっとした表情で僕を睨みつける。空神は別に表情を変えたりはしなかった。

「いや、あの、空神、昨日はごめん」

 神社とかで祈るよりも念を込めて祈った気がする。

 日野さんは腰に手を当てて「はぁーっ」と大きな溜め息を付いて言った。

「わかったよ。許してやる」

 それは日野さんが言うべき言葉じゃない気もするけど。

「と言うか、昨日みうからお前の性格はそうじゃないと延々聞かされたからさ。みうが許すもなにもないよ。あと、言っておくけど噂広めたのは総一だからな」

「あ、うん。それは知ってる」

 今日の朝、総一に直接言われた。散々だ。

「那由崎君、相変わらずそういう事気にするのね。人の噂も七十五日でしょ」

「そ、それは……。でも三ヶ月は長いかな」

 はははとわざとらしく笑ってみせた。なんとも情けないので話題を変える。

「日野さんは部活?」

「そう。せっかくだからみうを見学に誘ったんだ」

「へぇ。空神、部活は運動系にするんだ」

「うーん。中学の時は美術部だったから、どうかな。でも嫌いじゃないから一応見るだけ見とこうかなって」

「そっか」

「じゃ、またね」

「うん。気をつけて」

 誤解は解けた。どちらかと言うと空神ではなく日野さんの誤解を解いたという感じだ。

 女子バスケット部か……。

 生徒に悪い人は居ないけれど、先生方の中で唯一僕が嫌いな形状と色をした羽を持った先生がいた。それが女子バスケット部の顧問永田先生だ。三年の担任だから関わることは殆ど無い、できれば僕は関わりたくない。だから思わず「気をつけて」と言ったけれど、日野さんは「なんで?」という表情をしていた。

「終わったか」

 突然声を掛けられて、肩がビクッとなった。

 純がC組の入り口で手を組んで待っていたらしい。まったく気が付かなかった。

「ちょっと部室まで付き合え」

「なに? 入部の誘い?」

「違う」

 答えを待たずして歩き出した純の後ろに付いて行く。

 僕は入学してから一ヶ月以上経つのにまだ特定の部活に所属していない。いわゆる帰宅部だけど、どの部活にもちょこちょこ出入りしたりはしている。主に文化系だが。

吹奏楽部以外はゆるい感じの部活が多い。部員以外の生徒がいてもそんなに文句を言われることはない。

 取り敢えず純が所属するパソコン部にでも入部届を出しておこうか。その後出来たら掛け持ちでもしよう。


 パソコン室はかなり設備が良い。私立だからだろう。部員が各々好きなパソコンで作業をしている。家のパソコンよりハイスペックだ。

 純はパソコンの無い平机に荷物を置いてバッグの中から自分のノートパソコンを取り出した。

「ここのパソコンは使わないの?」

「ああ。ネットは部長の許可がないと駄目だからな」

 モバイルルーターで自分で契約しているプロバイダでネットに繋ぐ。費用は全部自分持ちだと前に聞いた。アフィリエイトなどで地味に稼いでいるそうだ。

それでも電波の範囲はここらが限界とか言っていた。自宅では別の回線を使っていると聞いたことがある。空羽村にもインターネットに繋げられる環境はある。しかし何故か村長との誓約があるそうだ。そして大きなプロバイダの子会社が空羽村の回線を管理している。その子会社は空神家の親戚だと言う話を聞いたことがある。

そこまで徹底するものなのだろうか。

「見てみろ」

 ディスプレイに並べられたウィンドウを覗き込んだ。

 掲示板の魚拓や都内の死亡事件が並べられている。

「これは?」

「空神が転校した先での事件だ」

――

都立×××××中学で一酸化炭素中毒。教師と生徒合わせて五人死亡。

×××××都×××××区で暴走族が事故。死傷者十二名。

×××××町×××××通りで心臓麻痺で三人死亡。

――

目立つ記事はそれぐらいだが、他にも幾つか事件のファイルが表示されている。

そして、それらの事件の事柄を話し合っている掲示板。

死んでいった者達は素行が悪い者達が大半だったようで、「ザマァ」とか「因果応報」とか、そう言う被害者への中傷的なレスで埋め尽くされている。

 これだけ資料を集めて纏めるのは骨が折れるだろう。純は将来こう言う感じの仕事に就くのだろうか。

「これ、一晩で調べたの?」

「そんなわけあるか」

「で、何が言いたいんだよ」

「俺は、これらの事件や事故は、全部空神がやったんじゃないかと思ってる」

「まさか。どうして空神が」

 純は僕の意見を否定せず、タッチパネル式の液晶を操作しながらグラフを表示させた。

「見りゃわかるだろ。空神が転校して、一年間にこれだけ死んでんだ。あいつが転校する前、そこら一体の事件の件数は十分の一って所だ」

「だからって……。空神が一体どうやって。何でこんなこと。できるわけないだろ」

 咄嗟に空神を庇う。だけど心の中では純の言葉が正しいと言っていた。

 羽見の儀式の頃を思い返してみる。宮司と楽師の人の羽は、あの時とても嫌な色だった。

 空神も人の羽を見る事が出来る。


 空神が彼らの羽を奪えるとしたら。羽を奪われた人間が死んでしまうとしたら……。

 純は短く息を吐いてから椅子の背もたれに寄りかかって僕を見た。

「空神は頭が良い。空神家には権力もある。隠蔽はそれなりにできるだろ。こういう事があったから空神の家があいつを呼び戻したんじゃないか」

「じゃあ空神はどうして殺さなきゃならなかったんだ」

「わからないから知りたいだけだ」

「そんな。じゃあ」

「お前昨日『ない』とか言っていたな。手塚のアホは勘違いしてたが、一体何が無かったんだ? 知ってるんだろ」

 純にこれほど威圧的に問いつめられたのは初めてだ。周りに聞こえないぼそぼそとした声のはずなのに、冷や汗が出るほど強い。

 僕はその迫力に負けて、他の人に聞こえないよう小声で白状した。

「羽……」

「羽……?」

「純……。僕には人の羽が見えるんだ。彼女にはその羽が無かった」

「…………は?」

 ……純。頼むからそんな表情をしないでくれ。

純は困惑して目を左右に動かした。

「いや、俺は、何か彼女自身に犯行の証拠かなにかがあって、それを碧が知っていて『ない』と言ったのかと思っててさ。例えば、被害者が抵抗した時に出来た傷とか……もしくは、空神家の人間が事件に関わっている証拠か何かが……」

 普通の考えだった。警察が情報を一般人に教えるわけがない。だから心臓麻痺や交通事故というのは偽証で、真実は別の所にあると、純は考えていた。そう考えれば犯人は空神か、あるいは共犯者がいるとか、そういう事になるはずだ。

あの日、僕は直接儀式を見ていた。だから空神が羽を奪って殺してしまったのではと考えただけだ。

普通じゃない考えをしていたのは僕の方か。

「よし、わかった。お前が嘘をつかない奴だと知っている。だから大丈夫だ。信じるからもう少し詳しく話してくれ」

 純の目が真っ直ぐ僕の目を見た。言ってしまったからには話さなくては。


 パソコン部は各々の作業に集中しているからあまり他人には関心がない。おかげで素っ頓狂な話でも場所を変えずに話すことができた。

「なるほどな。そんな能力があるものなのか。じゃあ昔から羽見の儀式は本当……と言う事でいいのか。でも、空神の母親が羽見の儀式をした時、そういう事件は無かったし、羽は見えないから、見えるふりをするだけだと祖母は言っていたぞ」

「僕の親もそう言ってた」

「なんでお前は見えるんだ」

「わからないよ。小さい頃から見えてたんだ」

「空神ももちろん見えるんだろ?」

「うん。でも血筋の人でもよく見える人はあまりいないんだって」

「で、もしかしたら空神に羽を取られたり、何かされたら、人は死んでしまう……という事なのか?」

「わからないけど、そうなんじゃないかって、僕が思ってるだけ」

「さっき空神を庇ったのは、そんな不可思議な能力を否定したかったからか?」

「まぁ、そんなとこ」

「碧は、人の羽をどうにか出来るのか」

「僕には出来ないよ。見えるだけ。掴もうとしても羽がある空間はすかすかなんだ」

 僕は純の澄んだ羽を掴んでみる。やはり触れない。不思議な暖かさは感じるような、そんな気がするだけだ。

「や、やめろ。触るな。いや、在るのか無いのか分からないが、なんか嫌だな。ちなみに俺の羽は……」

 僕が純の羽の事を話そうとしたら手の平を見せられた。

「いや、いい。やめとこ。今日はもう帰るか」

「え?部活は」

「適当に帰って良いんだ」

 パソコンをシャットダウンして素早くバッグにしまう。

 純をバス停まで見送る。空羽村出身の人は殆どがバスだ。送り迎えの人もいる。それよりも遠方だと通学が大変だから寮住まいの人が大半だろう。

 鳳鳴学園から百メートルぐらい離れた場所に普通の路線バスの停留所がある。私立なのでスクールバスもあるが、純は時間に合わせて使い分けている。

 中途半端な時間なのでバス停にはだれもいないかと思っていたけど、一人だけバスを待っていた。空神だ。

「空神。バスケ部の方はどうだったの」

「うーん。途中からだとやっぱり難しそうかな。桜も練習が大変そうだったし、邪魔になっちゃまずいと思って、早めに帰ってきちゃった。素直に美術部にするよ」

「空神は運動神経が良かった気がするけど」

「広く浅くやってたから、どれも中途半端だよ。テニスと水泳は比較的得意だよ」

「まだいろいろ見学すれば良いよ」

「そうだね」

「……」

「……」

 会話が途切れてしまい、沈黙が続く。

 純。お前も会話に加わって来てくれ。なんだか気まずいだろ。

「那由崎君はバス通いじゃないよね?」

「そう。数少ない徒歩通い」

「いいよね。近くて」

 また沈黙が続く。

……バスはまだだろうか。沈黙は苦手だ。

「き、希崎君だよね。部活動はどこに所属してるの?」

 空神から純に話しかけてくれた。助かる。

「パソコン部だよ」

「わー。すごいねパソコン部。ってことは、那由崎君も?」

「僕は帰宅部。たまたま純の部活に顔出してただけ」

「ふーん。私は機械音痴であんまり詳しくないんだ」

「機械は知った分だけ応えてくれる。分かろうとしないと分からないままだ」

 なんだか厳しい言い方だな。

「それは空神に自分で勉強しろと言ってるの?」

「詳しくなろうとする意志がなきゃな」

「意志ねぇ」

「えっと。うん、なんとなくわかるよ」

「機械は正直だから応えてくれるさ」

「正直か……」

 バスのエンジン音が聞こえてきて振り向く。田舎だけどこの時間帯の本数は多めだ。一時間に一本もある。おかげで変な緊張が解けた。

「じゃあな碧、空神」

 じゃあなって、純は空神と同じバスだろ。

 純は先にバスに乗り込んでしまった。つまりバスの中で空神と会話はする気はないと言う意思表示か。自分が疑っている人間だからそうなのかもしれない

「純とはクラスで話してないの?」

「そうだね。今の会話が、こっちに帰ってきてからの初会話。まだ桜と手塚君と那由崎君としか。あ、あと君嶋さん」

 君嶋萌香。僕と同じ白羽町出身だが、学区の関係で彼女は白羽中学へ通っていた。美術部に所属しているが、漫画を描く為だと言っていた。

何故僕が彼女を知っているかというと、デジタルで漫画を描くために、機材について純に教えを請いたいと僕に頼んできたからだ。

普通に聞けばいいのにと思うが、純は第一印象が悪い。だからだろう。それとは別に純に恋心が多少あるような、無いような、そんな感じが羽から読み取れた。柔らかそうな羽だったから純とは相性が良いかもしれない。

 純はぶっきらぼうながらも細かく教えていた。さっき意志と言ってたけど、君嶋さんには学ぼうとする意志が確かにあったな。

 そんなゴールデンウィークの前の出来事を思い出していたら、運転手さんが早くしろと急かす。なんとなく田舎特有のがさつさを醸し出している髭の運転手さんだ。

「じゃあまた」

「うん、じゃあね」

 純はもう自分の席は此処だと誇示するように後ろから二番目の席に座っていた。空神は純に気を使ったのか、純を避けたのかわからないけど、一番前の席に座った。

 僕は二人に手を振って見送った。

 見送られる側より見送る側の方が切ない感じになる。これは僕が子供の時にどこかのバス停で置いてけぼりされた事がトラウマになっているからだろうか。


 少し日が伸びた帰り道。自分の影を追うように歩く。

一人で歩くと落ち着いて考えられる。羽を見るのは好きなのに、羽を見過ぎると酷く疲れてしまう。それとは逆に空神には羽が無い。

 今まで大して気にもしなかったけど。羽が見えない人と対峙するのがこんなに緊張するものだとは。結局見えてても見えなくても疲れるのか。

 小高い道路の曲がり角。ガードレールの向こう側に広がる景色を眺めて立ち止まる。

 空羽村と白羽町の境に清羽川と言う小さい川がある。とても綺麗な水で、小さい頃は何度も遊んでいた。だけど川を超えた先の空羽村へ行くと、なんだかもう引き返せないような、違う世界に行ってしまった様な感覚になった。

それは今でも変わらない。

 空神の家は、清羽川を越えて、あの小さめの山を越えた所にある。その先に羽喰中学校と小学校があり、純の家はその更に向こう側。

 徒歩で行ける距離ではある。だけど途方も無い程遠くに感じるのは、ここからの景色がとても広々としているからかもしれない。バスだと少し遠回りして大きい橋の方を通る。自転車か徒歩なら直進の小さい橋を渡っていった方が早い。距離感がわからなくなるような不思議な所だ。

清羽川に背を向けて道路を進む。しばらく進むと脇へ反れる道がある。その坂道を進んだ先の高台へ登っていけば、僕の自宅がある。毎日この上り坂を登って帰るのはとてもしんどい。朝は下ってくるから楽なんだけど。こう見ると僕の家は本当にギリギリの国境にあるなと改めて思う。


僕の家はこの辺りに建っている昔ながらの日本家屋ではない。僕が五歳の時に引っ越してきた。その時に建てられたから近代的な造りの家だ。それでももう十年は経ってしまったが。

新興住宅地に建っているような家は、こういう風景がある所には不釣り合いだ。だけど農家の敷地は広いから、同じ土地にこう言う家を建てている家もある。だが那由崎家の敷地はこの家の部分と小さな庭だけだ。「だけ」と言っても周囲には森や空き地がたくさんあるから、そこで遊んでたって誰にも文句を言われたことはない。

だけど元から広大な土地を持っている人が漠然と羨ましかった。もちろん維持したりするのは大変だろうけど。

父になんでこんな所に引っ越してきたか尋ねたことがあった。自分が喘息持ちだったからと説明されたが、後になって母に聞いた話だと、父が仕事の片手間で農業とかをやってみたいからだと。本職の農家の方には申し訳ないぐらい適当なんだ。

でも今では片手間にやっている農業の方が上手くいっている気がする。たまたま空羽村の農家の人に、休耕地をタダ同然で借りることが出来て、更に野菜などの育て方について親切に教えてくれたからだろう。感謝してもし足りないし、運が良かったんだと思う。

父の本職は、著述家だ。

『著述家』と言うと大層立派に聞こえるが、僕に言わせてもらえば社会への愚痴をだらだらと難しい言葉で述べたようなものだ。小説家の方がフィクションな分マシに思える。                 

著述家という言葉に小説家も含まれているとか聞いたことがあるけど、やはり別物だろう。

 家のドアを開けようとしたら鍵が閉まっていた。

「そうだった」

 母は主婦だったが、僕が高校に入った時に働き出した。父の印税で楽は出来ないと。白羽町の中心街にある小さいビルの一室を間借りしてヴァイオリンの先生をしている。音大を出ているから腕は確かなんだろう。教員の免許も持っているし、ピアノも弾ける。父より誇れる母だ。

そんな母がどうして父と結婚したのかは未だに謎のままだ。

 僕は鞄から家の鍵を取り出して鍵を開けた。田舎では鍵を開けっ放しにしておくと言われているが、実際はそれほどでもないと思う。


 玄関に取り敢えず鞄を置いて、居間のソファーに腰掛ける。

 なんだか家がこれほど落ち着く場所だったかと思えるほどぐったりした。 スマートフォンを見ると総一からメールが来ていた。

 バスケ部に空神が来てテンション上がったとかなんとか。「見学したのは女子バスケット部だろ」と、適当に返信する。

 それと、純からだ。

「空神が無風丘で降りていった」

 こんなメールよこすなんて、もはや僕に行けと言っているようなものだ。

 なんで無風丘なんかに。なんで……? 僕は知っている。彼女が無風丘へ行く理由を。考えるよりも先に身体が動いていた。

 制服のまま家を飛び出し、自転車を駐車場の奥から出して無風丘へ向かった。


 無風丘。此処に迷い込んだ鳥は再び飛び立つことが出来ないという謂れがある。

 今では無風丘公園として整備されているけど、行政の無駄遣いと多少なりとも批判されていた。でもそれは茶番に見えた。どちらにせよ空神家の親族の人が村議会に居れば、村の人は批判しようがない。僕は僕で整えられた公園は、昔の草がぼうぼうの頃より気に入っている。田舎での税金の使いみちなんてこんなもんだろうと、選挙権のない浅はかな高校生の意見を自分自身で戒める。

 駐輪場に自転車を置いたら街灯が一斉に付き始めた。日は流石にもう陰ってしまった。

 街灯も犯罪防止になるとかで青いLEDライトが使われている。一体幾らぐらい税金が掛かったのだろう。調べれば分かるだろうけど、そんな面倒くさいことはしない。

散歩道を歩いた先にある物見台の上に空神は居た。

「碧。遅い!」

 いつも通りの空神。清涼な声なのに、他人を屈服させるような威厳を持たせた語気がある。これが僕が知っている空神だ。

「希崎君は察しがいいね。きっと碧に連絡してくれると思ってた」

空神は左手の甲にセキレイを乗せている。空神は鳥を従えさせることが出来る。昔から。

 その鳥がそのあとどうなるのかも知っている。

「昨日からずっと聞きたがってたもんね」

空神は一羽一羽丁寧にセキレイの羽を摘み取っていく。それでもう飛ぶのは困難になる。だがセキレイは嫌がらない。されるがままに羽を摘み取られる。あとは再び羽が生えてくる換羽期まで地を這って生き残れなければ死んでしまうだろう。

「あの時。羽見の儀式の時。あれは、空神がやったの?」

「そうだよ」

「どうして」

「見えてしまったから」

 見えてしまう? 空神は元から羽が見えているはず。それなのに、それ以上何が見えててしまったんだ。

「羽?」

「ううん、違う。少し先の未来」

「未来?」

セキレイの風切羽と尾羽根はもう摘み取られてしまった。空神はそれ以上セキレイの羽を摘み取るのをやめた。

「まだ、たのしい?」

「うん、すごく」

 微笑んだ彼女は恐ろしいほどに綺麗だと思ってしまった。とても残酷な事をしているのに。

鳥の羽を摘みとる行為は、空神にとって単なる遊びである。無風丘へ来る理由がそれだ。小さい時からそうして遊んでいる。僕が咎めても聞く耳をもたない。花占いでもする感覚なのだろうか。無邪気に笑う彼女の羽が見てみたい。そんな衝動に駆られた。

「人の羽は、摘んでしまうとね。もう生えてこないの。あの時までは他人の羽を摘んでしまえるなんて思ってなかった。だけどその先の未来を見た時、それを見て、それでその未来を否定したいと思った時、自然と摘み取れたの」

「じゃあ、だとしたら、羽が摘み取られた人は死んでしまうのか? それなら空神の羽は……」

「ふふ、羽は仕舞えることができるのです。表情と一緒。隠せるんだよ」

 隠せるとは知らなかった。見えることを知らなければ隠す必要はないけど、見えていることが分かっていれば、そりゃ隠そうとするのも当然だと思った。

 要するに空神は、自分の羽を僕には見せたくないと言う事だ。

「そうなのか。じゃあ昨日、僕が言った羽の無い事に気がついてただろ。なのになんで総一や日野さんと一緒に、その、自分の胸を確かめたんだよ。おかげで僕は悲惨な目にあったんだぞ」

「桜と手塚くんが一緒に見るからつられて。無いよりある方がいいでしょ」

 そういうものなのだろうか。

「さ、他には? 聞きたいこと、もう無いの?」

 聞きたいことはまだあった。

「昨日の放課後さ。空神が転校していった先の事件のこと純に聞いてさ……。それらも全部空神がやったの?」

「そうだけど、なにか問題がある?」

 手の甲のセキレイを右手で軽く掴んで僕の方へ近づいてくる。

僕は半歩下がった。

「また逃げる? 今逃げたら三回目だよ」

 僕が逃げる未来が見えたのだろうか。それに三回目ってなんだ。今逃げなかったら過去に二回逃げ出している事になる。僕が逃げ出したのは羽見の儀式の時しか思い出せない。

「あの時は、怖かったから」

「……ふーん」

 疑わしそうな目をしている。羽見の儀式前に、僕が彼女から逃げ出した過去があることを、僕が覚えていないか探っているようだ。

 空神は僕の横に立って背中の方へ左手を伸ばしてきた。反射的に身体が縮こまる。

「碧の羽は、摘み取ったりしないよ。摘んでみたいけど」

 魂を直に触られているような恐ろしさと安心感があったが、身体が拒絶して一歩引いた。

純の羽を僕が触ろうとした時の反応と同じだ。

「そ、そのセキレイどうするのさ」

「そうね。いつもはそこら辺に放って置くけど、今日は連れて帰るわ。見送りはいいよ。一人で帰れるから」

 あの時以外に逃げ出した事は、やはり思い出せない。そのせいで怒っているのだろうか。羽の無い空神の後ろ姿が見えなくなるまで、僕はその場に立ち尽くした。



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