第7話 衝撃の結末
それほど深い意味のないこの文章を、ここまで熱心に読み進めてくれた読者の方々には、まことに申し訳ないのだが、ここで場面を大きく切り替えなければならない。エメルトン夫人らが航空機に乗って、災難に巡り合っていたのと、ちょうど同じ時刻、スイスの田舎町、ボードレンにおいては、四年に一度、各国のメディアに向けて公開される、世界お菓子祭りが、国をあげて大々的に開催中であった。その会場には、すでに世界数十カ国から、数千種類もの際立ったお菓子が集められ、豪華な飾り付けとともに真っ白いフキンをかけられた、テーブルの上に並べられていた。決して広くはない会場には、約三万人もの利用客が、まるで蟻のように密集して、世界各国のスイーツに舌つづみを打っていた。メロンに生ハムを巻いた奇抜な料理もあったし、牛肉とマロングラッセを組み合わせた豪華なスイーツも見られた。この日のために運輸されてきた、色とりどりの和菓子も紹介されていた。会場の一角には、奇をてらったのか、長さ十メートル以上ものチョコポッキーも飾られていた。もちろん、お菓子の山を見て、甘いもの好きな子供たちは入場と同時に大喜びだった。堅くつないだ両親の手を、あちらこちらに引っ張り回して、『次はあれが食べたい』『あっちにポッキーがみえるよ』と大はしゃぎだった。
しかし、会場に集まった人々を、この日もっとも驚かせたのは、この祭りの偉大なる主催者パーレグ氏が一週間をかけて製作した、巨大な卵プリンだろう。世界一の圧倒的な大きさを誇り、ギネスブックにも登録されたというそれは、なんと直径が二百メートル、高さが百二十メートルという、まさに前代未聞の大きさだった。会場の真ん中にどかんと設置された、その巨大プリンに、人々の注目の視線は否が応でも集まっていた。その外観はまるで、ふわふわの生地で造られた、小高い妖精の丘であるようだった。
著名人の挨拶が終わるたびに、会場の熱気は、いや増していき、いよいよ、メインイベントの時間が来た。主催者のパーレグ氏が自ら巨大プリンに最初のスプーンを差し込むのである。スプーンが刺さったその瞬間、二百発以上もの花火が上空に打ち上げられることになっていた。プリンはこのイベントの後で細かく裁断され、集まった大勢のお客に無料で振る舞われることになっていた。ところが、パーレグ氏がスプーンを身構えて、まさに差し込もうとした瞬間、スタッフの一人が上空で何かを見つけて、小さな叫び声を発した。パーレグ氏もその声に反応して、目を細めて空の彼方を見やった。最初は大きめの鳥のようにも見えたが、どうやら、それは北の方面から飛んでくる巨大な鋼鉄製の飛来物のように見えてきた。さらに恐ろしいことは、近づいてくるたびに、それがジェット飛行機であり、しかも制御不能に陥っていることが、この祭りに参加している、誰の目から見ても、明らかになったことだ。機体はすでにバランスを失い、フラフラと、まるで雑に創られた紙飛行機のように、揺れながら飛行していた。
「なんてことだ! あの飛行機はここへ突っ込んでくるぞ!」
誰かが上空を指さして、発狂したようにそう叫んだ。すぐに会場中がパニックに陥った。混乱して何もできず、頭を抱える客もいたし、子供たちは危険な事態を察して、すぐに両親にすがりついて大声で泣き出した。パニックになった客の多くは、一目散に駆け出して、町の出入り口まで殺到した。
「ああ、せっかく、一年以上前から、この街のみんなで時間をかけて準備してきた、お菓子祭りがこれで台無しだ……」
パーレグ氏はそう呻くと、失望のあまり、その場にしゃがみ込んでしまった。これは憶測になるが、狭い町の一角に大量の人間が密集しているこの状態において、もし、あのままの勢いで巨大な爆弾とも表現できる飛行機が突っ込んでくれば、その爆発の衝撃と混乱による圧死で、数千にも及ぶ犠牲者が出るのは間違いないと思われる。もはや、この場からは逃げられないことを悟った多くの人が、迫りくる大事故を頭に描いて、天界での幸福を神に祈り、半ば絶望していた。飛行機の機体は、ぐるぐると不規則に回転しながら、みるみるうちに会場に迫ってきた。人々はもはや絶叫するしかなかった。誰もが生をあきらめた次の瞬間、どすんという小気味いい音がして、飛行機の機体は巨大卵プリンの北東側の斜面に、その頭から突き刺さった。誰もが大きな爆発を予見して、目を覆っていたが、爆発も衝撃波も何も起こらなかった。
飛行機は巨大プリンに対して、機体の前方部分が完全に突き刺さった態勢で停止した。この事態に驚愕したのは、主催者やプリンの製作者だけではなく、その場に居合わせた人全員だった。皆呆気にとられて、しばらくの間、目を見開き、口をだらしなく拡げて、プリンの下部から、その光景を呆然と見上げていた。
やがて、この事態を聞きつけた警察と消防が駆けつけ、プリンに埋まってしまった機体の中から、乗客が次々と助け出された。エメルトン夫人も他の乗客も全身卵まみれであり、頭部から足のつま先まで、ほとんど全ての部位がプリンの生地に覆われていた。飛行機の機体は弾力性のあるプリンに正面から突っ込んだことで、奇跡的にも、機体も乗客もまったくの無傷だった。しかし、乗客の多くは墜落時の精神的ショックで、約数週間にわたり、放心状態であったことは付け加えておく。
この驚愕すべき事件は、瞬く間に集まってきた、マスコミ記者によって詳しく取材され、その日のうちに、あらゆる伝達手段によって世界中に報じられた。飛行機が墜落したにも関わらず、乗客に一人の犠牲者も出なかったことや、そもそも、この飛行機には世界中から集まった多数の強運者が乗り込んでいたということが、テレビや新聞を読んだ人々の驚きに拍車をかけた。巨大プリンに飛行機の前方部が突き刺さったユニークな写真が、世界中の主要紙の朝刊の一面を飾った。驚くにはあたらないが、アメリカの有力紙は、この年のもっとも衝撃的な事件に、この事件を選んだ。
数日後、スイスで生存者による記者会見が開かれたわけだが、墜落しかけた飛行機に乗り合わせた人たちは、いまだにあのショックから立ち直れてはいないのだった。どのメディアのスタッフが見ても、乗客たちの浮かぬ顔には疲れの色がありありと見て取れた。それは一般の乗客だけの話ではなく、続けて会場にあらわれた強運者たちも、一様に憔悴しきった様子を見せていた。今となっては、幻の会合であるが、強運者が集う会を代表して、エメルトン夫人が事件の感想を述べることになった。
「我々が世界有数の強運の持ち主であることは、そもそも疑いようもないですし、それは実生活において、何度も証明されているのですが、そんな我々でさえ、自分の運勢を疑わしく思ってしまうような、そんな瞬間が人生には秘められているものです」
事件の詳細を報告するための、この記者会見場には、世界各国から有能な報道記者が大勢集まっていたが、疲れのせいで青白い顔をしたエメルトン夫人から聞き出せたのは、その言葉だけだった。
強運者の集い つっちーfrom千葉 @kekuhunter
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