強運者の集い
つっちーfrom千葉
第1話 二度の当選と夫との別れ
アメリカ合衆国の下院議員オルマー氏は普段通りに、その器の小ささをあらわにしていた。飛行機がリバティ空港を離陸してから、すでに数時間が経った今も、まったくその機嫌は直らないようで、顔を怒りと恥で真っ赤にしながら、運悪くそばを通りがかったスチュワーデスに対して不平不満をぶちまけていた。彼がプライドを傷つけられたと感じたのは、自分が国を代表する高貴な身分であるにも関わらず、今日この日に限っては、ファーストクラスの座席が取れなかったことだ。
この日、ニューヨークからロンドンへと向かう、航空機847便のファーストクラスの座席は、四年に一度開かれる、ある特殊なイベントへの参加者で満席だった。そのイベントは『世界強運者の集い』というもので、世界各国から我こそは世界一の強運の持ち主だと主張してはばからない人々が、開催地であるロンドンへ続々と集結しようとしていた。
その中の一人に北米有数の強運家で知られるエメルトン夫人という女性がいた。彼女はアメリカの公的な宝くじにおいて、二度も数億ドル単位の大当たりを出したことで、一躍有名人になった。くじを引くまでは地味な一般人であったはずの彼女は、大金を得てからというもの、連日のように、テレビやラジオのバラエティー番組に出演するようになった。二度目の宝くじを当ててからは、映画スターや有名スポーツ選手などの上流階級のサロンにも頻繁に招待されるようになった。この国の誰もが彼女とお近づきになることを望んだ。最初の頃は、周囲からちやほやされる生活になかなか慣れず、いたく恥じらい、戸惑っていた彼女も、最近ではすっかり裕福で華美な生活に慣れてきたようで、その話し言葉や立ち居振る舞いまでが洗練されてきたのである。何でも願ったことを叶えてくれる、周囲の優秀なるスタッフの存在や、彼らに勧められて購入した、高価なブランドの衣類や宝石を身につけることを、何とも思わないようになっていった。
彼女は元々、正確にいえば三十五歳までは、一般庶民であった。ある日、仕事場からの帰り道に、気まぐれにより、気の知れた同僚と一緒に宝くじを購入することになった。彼女はその半生の中で得た教訓により、ギャンブルというものには、ほとほと嫌気がさしていたので、始めは、それほど乗り気ではなかったのだが、その場の雰囲気には逆らえず、付き合いで一枚だけ購入した。一緒にいた同僚たちは、皆数十枚ずつ購入していたのだが、一等を引き当てたのは、エメルトン夫人が買った黄金の一枚だった。彼女はそのとき実に三百万ドルを手に入れたのだが、長年付き添ってきた夫がいたため、長い交渉の末に、渋々、彼とその金額を折半した。本音を言えば、彼女は相手がどんな恩人であっても、自分が当選して手に入れたお金を折半する気などは、さらさらなかったのである。
この夫は、くじを当てる前のエメルトン夫人と同様に、その半生が相当に地味な人間であったので、妻が宝くじを当てた後も、その住み慣れた暮らしを変えようとはしなかった。妻が大都会の邸宅や、デザイナーズマンションに引っ越して、毎晩高級レストラン、毎晩カジノ通いの、もっと派手な生活をしたいと要求しても、がんとしてそれを拒み、今手元にある、小さな農場で鶏や豚を飼って過ごす、田舎暮らしの凡庸たる生活をやめようとはしなかった。しかし、エメルトン夫人としては、そんな夫の考え方に我慢がならなかった。ど田舎と不毛な時間の流れは何も生みはしない。彼女はスターがひしめく大都会に出て、もっと派手に生きてみたかったのだ。すっかり、生まれ変わったことを実感してみたかった。結局のところ、宝くじを当てたということが、二人の間に決定的な溝を作り、数か月以上にわたり、夫婦の間で頻繁に言い争いが起こるようになった。彼女は周囲の人間から優しくされる毎日を送っているうちに、生涯の中で、宝くじの一等を一度でも的中させることなど、常人にはとてもなし得ないことだと思うようになっていた。テレビ番組に生出演し、司会者の有名芸能人から、自分がいかに飛びぬけた強運の持ち主であるか、凡人がくじを一万枚を購入したところで、一等などは、そうそう当たるものではないと何度となく聞かされた。彼女はすっかり自分が特別な人間であると、神様から選ばれた巨星であると思い込むようになった。各界からの豪華な宴席に招かれるたびに、その振る舞いは自信に満ち溢れたものになっていった。
大金は人の性格を容易に変えるものである。彼女は次第に傲慢で見栄っ張りになっていき、高貴な有名人との付き合いだけを好むようになった。胸の高鳴るような有名人との出会いも、回数を重ねるごとに、それが決して特別なイベントではなく、自分にとっては、至極当たり前のことだと思うようになった。毎日、夫と家畜たちが待つ自宅には遅くになってから帰るか、あるいは帰宅することすら億劫になり、高級ホテルに外泊することも珍しくなくなった。大金を得てから半年も経つ頃、夫との生活や日常的な家事などは、すっかりおろそかにされた。昔から付き合いのある一般庶民の知人の氏名を、つまらない関係だと決め込み、電話帳から削除するようになった。夫や知己の前で、過去とは非常にくだらないものだと力説するようになった。ここに至って、夫は妻のそんな変貌ぶりを見て、心からの忠告をすることにした。
「いいか、一時的に大金を得たからといって、これまでの実直な生活を反故にして、能天気にはしゃいでいたら、世間の人は君のことを金儲け主義でスノッブの本当につまらない人間だと思うだろう。資産を得ても品性を失うことは人の堕落だ。今からでも遅くないから、元の地味で堅実な生活に戻るんだ。地味な生活を何十年にもわたり、謙虚にひたすらに繰り返す。そこに本当の幸せはあるんだ」
夫人は、こんなことを言い出すようになった夫を、なんてつまらない人間だろうと思うようになった。なぜ、大金持ちになったことを素直に喜べないのだろう。彼女はいまやいくらでも資産を増殖できる身の上であったから、とりあえず、自分の財産だけを握って、そろそろ、家庭を捨てて身軽になりたいと思うようになった。この近辺の牧場をまるごと買い占めるほどの札束を持っているのに、こんな地味な田舎暮らしを続けることなど我慢ならなかった。それほど地味な暮らしを続けたいのであれば、夫が自分だけでそういう生活を送ればいいのだ。その後、数度の修羅場を繰り返したあとで、結局二人は別れることにした。
「おまえが変わりすぎたんだ」
別れしなに夫はその言葉を残した。もちろん、彼女はその心を揺らされることはなかった。
エメルトン夫人はこれまで自分を縛ってきた家庭を失うことにより、ぐんと身軽になった。言うまでもなく、その生活はさらに変貌し、以前よりもさらに夜遊びに熱中するようになった。そして、夫と別れてから約二年後、彼女の人生で二度目の決定的な出来事が起こる。エメルトン夫人はこの年、再び宝くじを購入し、今度は一度目とは比較にならないほどの枚数を購入してはいたが、またしても一等を的中させた。しかも、今回は購入してから抽選会に出席するまでの一部始終を、知り合いのスタッフに頼んで、ドキュメンタリーとしてテレビ局に撮影させていた。もちろん、この効果は劇的であった。前回の一等的中の際は、ただ運のいい人としか扱われなかった彼女だが、今回はこの時代で一番選ばれた人、神懸かった強運の持ち主であると全米中に紹介された。
厚化粧を施した彼女の顔写真は、それから数週間もの間、毎週のように有力雑誌の表紙を飾った。民衆の中には、この自分にも強運を、との願いを込め、彼女の写真をお守りとして財布に入れて持ち歩く人まで現れた。もはや北米全土を巻き込んだ社会現象となり、彼女はまさに時の人になった。今度は社交界に招かれて出入りする人間ではなく、そこの頂上に君臨する人と崇められるようになった。彼女はいまや特別な存在となり、好きなテレビ局に好きな時間帯に出演することができた。二度目の当選により、アメリカにおいて彼女を知らない人間は、完全にいなくなったといえる。大統領もエメルトン夫人をホワイトハウスに招き、その膨大な運量を惜しみなく賞賛した。その様子は、テレビや雑誌で全米中に紹介された。そんな人生の絶頂のさなかに彼女はこの強運者の集いに招かれたのであった。
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