田舎暮らしの本からの幸せ考
インスタで繋がっている、そこそこ仲のよい女子の同級生が、ストーリーズを更新した。
田舎暮らしの本が写されており、弟の話を私と母親とで聞いてあげている、とのことだった。
宝島社が発行している、「田舎暮らしの本」
私が読んでいた30年ほど前から装丁は全く変わらない。今でもそこそこ売れているに違いない。
かつてインターネットなどまだなかった時代、私はこちらの編集者から依頼を受け、記事を書いたことがある。どこからどうやって私に連絡してきたのか覚えていないのだけれど、一回目、屋久島での田舎暮らしに挫折して東京の実家に帰り、まだ働くこともできず、家で悶々としている時だった。
デジカメなどもまだなかったので、依頼された写真なども殆どなく、どんな記事を書いたのかすらもあまりハッキリとは覚えていない。
田舎暮らしを決意するまでの経緯や、はじめて行く何もわからない島で仕事を見つけた方法、そしてキャンピングカーでの暮らし、とびうお漁という仕事の現実、親方やその子供達との生活、日々の暮らし、サラリーマンとの根本的な違い、そして体調不良による帰郷…
そんな事を原稿用紙数枚にしたためて、宝島社の編集部に持ち込んだ。
(自分で言うのもなんだけれども、このように書いているだけで面白そうだと思うのであった…)
その時の編集者は柳さんという方だった。私の顔写真を、宝島社の編集室の壁を背景に、ごっつい一眼レフのフィルムカメラで撮影してくれた。今ではSNSの普及もあり、スマホでの撮影+サムネイル自動生成が当たり前の世の中になっているが、30年前はまだまだ新鮮だった。
フィルム一眼レフで撮影された私の顔写真は、まあるいサムネイルとなって、記事と共に紹介されることとなった。
担当だった柳さんは数年前、田舎暮らしの本の編集長として、テレビ番組に出演していた。一方で私は、田舎暮らしを活用できずにこの体たらくである。
世の中はインターネットの発達で、格段に便利になった。今なら屋久島の情報は、何でもかんでも簡単に手に入る。
でも、インターネットがなくたって、私はこんな風にして、田舎暮らしを経験し、田舎暮らしの本に記事を執筆して、生まれて初めての原稿料を手にすることができた。
便利になったからといって、人間は幸せになれるものではない。
便利じゃなくたって、私は、ほんの僅かな時期ではあったけれど、みんなが羨むような田舎暮らしを経験することができて幸せだった。
人生、やり残したことはない。もう、いつ死んでもいい。
こう言える人が、日本にどれだけいるだろうか?
今、お金もあまりなくて、世間の尺度で見ればそれなりの生活しかできていないけれど、こうやって振り返ってみるなら、実は私は幸せなのかもしれない。
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