家屋の解体から学ぶ

 我が家の裏側にあるお宅が、解体されることになった。


 おばあさんが一人で住んでいたのだが、その後亡くなり空き家になった。


 しばらくの間は「売約物件」の看板が出ていて、売れたのかどうかは定かではないが、家は取り壊されることになったようだ。


 作業開始の一週間以上前、解体業者から「工事が始まりますので、関係車両の出入り等も頻繁になり騒音も発生しますが、安全第一で進めますのでご理解下さい。よろしくお願いします」と、丁寧な連絡があった。渡されたA3の用紙には地図が印刷され、会社名、責任者の携帯電話などが書かれていた。地図上の我が家には、私のインチキ事業の屋号が書かれていた。


 家の解体と聞いたので、朝から重機が入ってきて、バキバキと解体をはじめ、夕方には終わってしまうものだと思っていた。


 しかし、家の解体はそう簡単なものではないようだ。


 工事開始の初日、私は仕事を終え、その家の前を通って帰ってきたのだが、家には全く手が付けられていない。パイロンが立てられ、ダンプで行く工事現場にあるような標識が掲示されているだけだった。


 二日目は、家の中の物を外に出し、種類別に分別する作業を行っていた。今もこれが続いているような感じで、取り壊しというイメージは全くない。


 三日目の夕方、玄関の呼び鈴が鳴った。私は荷物は全て置き配して下さいと玄関に指示していて、義父も病気をして町内会を引退したので、最近では呼び鈴が鳴ることも少なくなった。


 私がドアを開けると、ヘルメットを被った、年の頃20代後半の若者がいて、「間もなく、こちらの家の前にある電柱から、あちらの解体する家の配線を取り除く工事をしますので、少しの間工事車両を停めさせていただきますが大丈夫でしょうか?」との確認だった。


 二件お隣などは来客があると、勝手に契約していない駐車場に停めたりしているのに、なんて丁寧なのだろうと感心した。このご時世、何をするのにも段取りが大変なんだな、何を言われるかわからないよな、と、家の解体は思った以上に大変な仕事だということを認識すると同時に、現場に対する評価が更に上がった。


 作業開始から一週間が経過したものの、現場は静かなままだ。


 家の中の物をひたすら搬出し、選別し、処理する作業が続いている。


 私は捨てることが苦手なので、基本的に物が多い。海外へ販売するための商品といえば聞こえはいいが、それこそ古い家から出てきたような、昔の日本の物を部屋やコンテナ倉庫に溜め込んでいる。私が死んで、これらを処理するとなれば、膨大なる時間とお金が必要になってしまう。


 解体される予定の家は、見た目だけでいうなら、かつての住人が小綺麗にしていて、それこそすんなりした物件のように思えた。しかし、かつては子供ももちろんいて、一家族が生活していた「とある家族の実家」であり、生活のための道具や、生活してきた事を象徴する物が沢山入っているのだ。


 これがまさしく、密かに言われている空き家問題なのだろう。こちらの家は、子供がしっかりしているのか、家が売れたのかはわからないが、とにかくこうして処理が進められているのだから、これは素晴らしいことだ。


 一方で、私達のように子供もおらずに死んでしまうなら、その家の処理には大変な事になってしまう。


 人に迷惑をかけないようにがモットーの一つで生きてきたが、ちょっと考えなければならない時期に来ていると実感した。


 それにはまず、先立つものが必要か、いや、まずは物を減らすことか…


 とにかく、身体が動く間に、できる限りの事をしておかなければならないなと思った。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る