鉄のフライパン

 カミサンとショッピングセンターをうろついていた。


 売り場面積が東北最大級というだけあって、もう、ここには何でもあるという状態になっている。


 屋久島にいた頃なんか、あれもない、これもない、頼めば送料が高い、あるものは古くて日に焼けていて値段が高い、と、大変だったが、その頃と比べれば大違いだ。モノがあふれかえっている。


 カミサンもいるので、いつも行くところは大抵決まってしまう。洋服の店、100円均一の店、カミサンの好きな雑貨屋、そして食事処など。


 今回は新しい所なので、ちょっと勝手が違っていた。カミサンがいるのを忘れ、何気に展示されているアウトドアの商品に吸い込まれるように、その店に入った。


 利益商品なのだろう、昔よく見た某ブランドの商品が格好良く展示されている。時節柄冬で寒いからだろう、テーマは焚き火のようで、火起こしの道具やストーブ、燃料となる薪や着火剤なども販売されている。


 そんな中私の目を引いたのが、鉄で出来た小さなフライパンだ。


 ちょっと手に取ってみると、鉄製でずっしりと重い。でも、大きさは一人用で、目玉焼きがようやく一つ作れるかなという代物だ。軽くて実用性のある、よくスーパーで見かけるような卵焼き器とは全く違う物。実用性など何も考えられることがなく、鉄で出来ていることだけが取り得の、ただただ重たいだけのフライパンだ。


 時々話題になるダッジオーブンと呼ばれる商品もあるが、これはこれで心をくすぐる要素があるにはあるのだが、ちょっと有名すぎる。何だか今日はこのフライパンが気になった。


 もう一回り大きなサイズの物もあったが、こちらは重すぎた。


 この小さなフライパンがいい。


 寒い休みの日の朝、庭に出て火をおこして、このフライパンで目玉焼きを焼いて食べたら美味しいだろうな、などと思っていた。


 ソロキャンプなんて言葉がまだなかったころ、私は関東近県のキャンプ場や、それこそクルマで入って行くことのできる山の中などで、一人、火を焚きながら過ごすことがよくあった。


 屋久島でも、トレーラーを買う前には自分の土地でテントを張って過ごしていた。大雨が降ったり、台風が来たりしたけれど、それを楽しむことができていた。


 結婚して家庭を持つようになったので次第にキャンプ熱は薄れ、持っていた道具も倉庫の一番奥に収納されてしまい、今は活躍する場を失っている。


 かつて仲がよく、あっちこっちに一緒に出かけた地元の友人は現在、とあるおしゃれ雑誌の編集長兼、おしゃれアイテムを扱う会社の雇われ社長となってしまった。昔はよく飯盒でご飯を炊いてあげて「直火の飯盒でご飯を炊くの、上手いね」なんて褒められていたことが懐かしく思い出される。


 ほんの一瞬、このフライパンを見ただけだったが、様々なかつての想い出が頭の中を駆け巡った。


「どうする?お店の中も見る?」

「あ、いいやいいや、行こう」


 私の過去の領域に、妻を引きずり込む訳にはいかなかった。


 同じく私も、妻の愛する音楽やドラマなどには、立ち入らないようにしている。


 20年以上一緒に暮らしてきた、暗黙のルールだ。


 あの時、あの店のあそこにあった、ただ重たいだけの小さな鉄のフライパン。家に帰って思い出してみると無性に欲しくなってしまった。通販じゃだめだ。あの店のあの場所にもう一度行って、あそこのディスプレイにあった「あのフライパン」が欲しい。


 あのフライパンが、20数年間忘れていた何かを取り戻してくれそうな気がしている。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る