秋
肩の荷が下りて、ほっとしている。
前回簡単に書いたけれど、毎年、車の車検には、かなりのエネルギーを使ってしまう。屋久島にいた頃は全く壊れなかったが、ここ数年はさすがにくたびれてきたようで、皆様が思いもつかないような箇所が次々に壊れ、その都度どうやって直そうか考えたり、お金の都合をつけたりと、秋の入りはそんな感じである。
無事に車検を取得できたこの先は、仕事の大型トラックのタイヤをスタッドレスに交換する時までの間、少しだけ、車の悩みから解放される。
屋久島を出て、しばらくは親方やお世話になった方々と年賀状のやり取りをするなどの小さな交流があったが、島を離れて20年以上が経過した今は殆どなくなった。
ただ一件、私が購入した土地の、三件隣に先に移住して来ていた方とは、未だにやりとりが続いている。
いつも季節になると、屋久島のたんかんを送ってきてくれるので、こちらも東北の名産品をお送りしている。先日、山形のぶどうを差し上げたところ、はがきでご丁寧なお返事を頂戴した。
「最近は入退院を繰り返し、皆様にお世話になりながら暮らしている、いつか会いたい」と書かれていた。
私の親よりも少しだけ年下位のご夫婦なので、さすがに生活も大変なのだろう。
こちらのご夫婦は私達同様、子供がいらっしゃらない。私は土地を買い、移り住む前に何度か自分の土地に足を運び、テントなどを張って、田舎暮らしの生活とはどんなものなのかを体験、勉強していた。その時に、わざわざ足を運んで声をかけて下さり、水をもらったり、ご飯をごちそうになったりと、私と同郷だったこともあってか、まるで自分の子供のように接してくれたのが、こちらのご夫婦だった。
屋久島は、人と人とのつながりが濃く、強い。今だから言えるけれど、私は移住した際に、正直このつながりを苦痛に感じてしまった。しかし、今になって考えて見れば、この方の老後のように、集落、地域というものは、家族同然、いや、家族なのである。
一方、中途半端に都会で、これまた中途半端に田舎を感じる今の私の住居は、どうなのだろう。少なくとも、屋久島のような状況ではないし、この先の事は全く想像もつかない。
考えてもきりがないのでやめておくけれど、ただ一つ言えることは、死ぬまで好きなことをやって行きましょう、と言うことだろうか。
車検のストレスから解放され、こうして、誰かに読んでもらえるだろう文章を書いている時が、やはり私は幸せなようだ。
アプリなどでの作曲にも挑戦したいけれど、やっぱりなかなかどうして、新しい事への挑戦は難しいのである。
細々と続けて行きますので、これからもどうぞ、よろしくおねがいいたします。私のつたない文章が、皆様の心に届けば幸いでございます。
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