5-4 三木本商事経営企画室長室、ニ枚の書類

「そうか……」


 三木本商事経営企画室長室。室長は、眼前のテーブルを見下ろしている。視線の先は今まさに俺と吉野さんが置いた。二枚のA4用紙だ。


「いよいよこの日が来たか」


 溜息をつく。


「まあ……遅かれ早かれこうなるとは思っていた。君たちコンビは破天荒だからな」


 苦笑いで、紙をとんとんと叩く。


「退職願ね。ふたり揃って」

「はい」


 吉野さんは、椅子に座って背筋をぴんと伸ばしている。


「あらゆる部署で敬遠されていた私と平を拾っていただき、感謝しております。経企では目立った実績を残せずに、申し訳ありません」

「いや君たちは、三木本の膿を徹底的に排除した。あれ以上の経営改革はないだろう。言ってみれば、経営企画室の設置目的そのものだ」

「そうそう。室長、いいこと言うっすね」

「平シニアフェロー、君は黙ってろ」


 睨まれた。さーせん。


 俺と吉野さんは、社内で事業部長同等の待遇を受けている。といっても役員どころか管理職ですらない。シニアフェローはスペシャリストルートの最上位だが、一般社員である点で、平社員と変わらない。辞めるには取締役会の承認とかでなく、上長への退職願提出が必要となる。


「君たちは一般社員とはいえ、三木本の台風の目だ。ふたり同時に辞めるとなれば、大きな嵐を社内に巻き起こす」


 室長は、俺を見つめた。


「もちろんこれ、事前に社長に根回ししてあるんだろうね」

「事前調整なんか、やらんでもいいっしょ。俺と吉野さんの承認ルートは室長だし」

「平シニアフェロー、君は……」


 もう一度、書類をとんとんした。もしかして室長、苛ついてるのかな。いつものポーカーフェイスではあるけどさ。


「大馬鹿者だ。やっと落ち着き始めた社内を、また大混乱に陥れたいのか」

「この後すぐ、社長に相談します。秘書室を通し、すでにスケジュールを押さえてもらっていますから」


 すかさず、吉野さんがフォローしてくれた。


「そうしたまえ。社長と君たちで辞職時期を詰めるまで、これは私が預かっておく。……見なかったことにして」


 眼鏡を外し、閉じた目頭をぐりぐり揉んでいる。


「頭が痛い……」


 さーせん。


「下手すると……というかうまくいくと……のどちらかわからないが、とにかく、社長が三期終えるまではと引き止められる可能性が高いだろうな」

「あと数年とか、嫌っすね。社内に敵が増えすぎたし。俺はともかく、吉野さんがいじめられるのは、もう勘弁」

「平くん……」


 室長の前というのに、きゅっと手を握られた。目の前でいちゃつかれて、室長は呆れ顔だ。


「だがまあ……とはいえ」


 苦笑い。


「平シニアフェローが決めたことだ。誰も止められんだろう。上長の前で社内恋愛を見せびらかす、大馬鹿者だからな」


 社長みたいなこと言うなー、今日の室長。俺達が辞めると知って、本音丸出しにしてもいいと思ったのかな。辞職後は俺達から話があちこちに流れる可能性は、絶ち切られるから。


「おそらく退職時期はかなり早くなるだろう。その際は君たちに、他の書類も書いてもらわないとならない」

「もう退職願出しましたけど、ここに」

「こいつは事務ルートに回る書類だ。あと手書きの退職願が必要なんだ。社長宛でな。……それと機密保持に関する誓約書も。在職中に得た機密情報を、退職後に漏らさないという内容だ」

「めんどくさっ。今どき手書きとか」

「そう言うな」


 呆れたように笑う。


「機密保持誓約書のほうはドラフトがあるから、後で君等にメールで送っておく。それと自筆書類は、ちゃんと自分の言葉で書くんだぞ。ネットで適当な奴拾ってまるっきりおんなじ文言とかにしてはいけない」


 ぎくっw


「やだなあ。そんなことしませんよ。てか室長、幼稚園の園長さんじゃないんすから。ハンカチ忘れるなみたいなこと、言わないで下さい」

「言わなきゃやるだろ、君は」

「平くん、室長に見破られてるわよ」


 吉野さんはなんだか楽しそうだ。


「それで……辞職後はどうするんだ。ふたりで世界一周でもするのか。新婚旅行として」

「やだ……」


 吉野さんが赤くなった。


「新婚旅行……というか、旅立ちはしますね。世界一周とかでなく、異世界ですけど」

「そうか……」


 室長は、窓外のビル街に視線を移した。皇居から飛んできたのだろう。上空に猛禽類が舞っている。


「雛の巣立ち……という奴だな」

「後の巣は、笠垣さんに任せます」


 室長の名前だ。


「悪党の大掃除は済んだ。現社長は慣例通りあと二期、つまり社長を三期務め上げるっしょ。次の社長は本来なら金属資源事業部長だったが、海部さんは陰謀に潰されて退任した。となると今回の騒ぎでも一貫して社長を支持した実力者、常務であるミキモト・インターナショナルプレジデントが、次期社長に適任だ」

「……だろうな。普通なら」

「ですが現社長が三期終えた後だ。常務もかなり高齢になっている。彼も三期……とは行かない。一期だけの繋ぎ社長になるはずです」

「そうかもな」

「となるとその次は、一気に世代交代する。社長だけでなく、取締役全体が若返る。そのとき社長に選ばれるのは笠垣さん、俺はあなただと思っている」

「……」

「なにしろ室長は、曲者揃いの経営企画室を束ね、数々の改革案件を三木本にぶっ込んだ実績がある。社内の抵抗勢力をうまく制御する、政治力もある。……それに社長レース王道の営業経由は、この陰謀でかなり土が着いた。経団連や経産省、マスコミ、さらに学生へのリクルーティングアピールとしても、ここは新味を出したいところだ。これから室長が致命的なヘマを打たない限り、まず鉄板でしょう」

「……」


 長い間、室長は黙っていた。それから口を開く。


「平シニアフェロー。君は面白いな。明らかに大馬鹿なのに時折、鋭い戦略家となる」

「室長、平は異世界では頼りになりますよ。現実世界のサラリーマン社会が、平の実力を生かせないだけです」


 吉野さんはくすくす笑っている。


「私や他のガールフレンドを率いる、言ってみれば群狼のリーダーです。私たちは、平くんを支えて生きるだけです」

「君たちふたりを見ていると、私も血が騒ぐよ。経企ルートに逸れてはるか昔に忘れた、商社マンとしての魂が、ね」


 俺と吉野さんの辞職願を、黒いファイルに収めた。


「未来の社長がどうとかいうタワゴトは、絶対口にするな。たとえ……相手が社長でも。商社の出世レースは、君が思うほど単純ではない。変数が異様に多い方程式のようなものだからな」


 ほっと息を吐いた。


「正直言えば、君たちが消えるなら私も肩の荷が下りる。平シニアフェローの尻拭いは、どえらく大変だったからな」

「すみません、私が平をコントロールできなかったから」

「いや言い過ぎっしょ、室長。俺、そんなに迷惑掛けましたか」

「決まってるだろ」


 目を見開いてみせる。


「……とはいえ寂しくはなる。上司としての感慨ではなく、戦友としての素直な気持ちとして」

「室長……」

「君たちの門出を祝おう」


 立ち上がると、手を伸ばしてきた。俺と吉野さんが握り返す。


「吉野くんと平くん、君たちは素晴らしいコンビだ。これからも仲良くやりたまえ。異世界でも、現実世界でも」


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