3-2 マリリン博士の解決策

「またここに戻ってきたか……。久しぶりだわ」


 例のどでかい「元倉庫」を、俺は見上げた。


 塗装も剥げ、くすんだ倉庫。壁には「ミツバフィールド」という屋号と潮吹きくじらのイラストが描かれており、かつてトラックが出入りしていた大きなシャッターは閉ざされたまま。アルミの安っぽい扉の脇に、「三木本商事開発部I分室」と書かれた小さなプラ板が、申し訳程度に掲げられている。


「社長もいい加減、前所有者の屋号とか塗り替えればいいのにね」


 吉野さんも呆れ顔だ。


「まあここ、アレ博士の隔離部屋ですからねー。堂々と三木本商事とか名乗るのも恥ずかしいんでしょう」


 ここは築地と新富町の間。築地市場移転で使われなくなった空き倉庫だからなー、元々。


「相手は天才科学者よ。もう少し言葉を控えたら」


 吉野さんは呆れ顔だ。


「そうだよー、お兄ちゃん。あれでもあたしのママなんだからね」

「そうそう。これからトリム救出のための頼み事をしに行くってのに。ご主人様ったら、口が悪い」


 レナもキラリンも不満そうだ。


 キラリンは博士によって作られた謎スマホだし、レナは現在、博士の助手としてたまーに怪しい実験をしている。なので連れてきた。吉野さんはもちろん、博士の暴走ストッパー役。キラリンとレナだと博士の尻馬に乗って、面白がって俺をおもちゃにするからな。


 タマや他の仲間を連れてこなかった理由はわかるな、もちろん。


「久しぶりだからなー。博士、少しは常識人になってればいいけど……」


 博士のプロフィールを、俺は思い返した。




――マリリン・ガヌー・ヨシダ――


父:ノシムリ・ヨシダ 母:ノリコ・ヨシダ

米国で、祖父リョウタ・ヨシダから続く日系人研究者・実業家の家系に生まれる。


幼少時から天才的な学力を発揮。十二歳で米スタンフォード大学大学院数学科および数理科学科、博士課程修了。博士号取得後、スタンフォード研究所で数理経済学および多次元物理学理論、体組成変容理論を研究。


十五歳、両親の事故死を機に単身来日、帰化。東京大学先端科学技術研究センターに所属し、多次元物理学理論を深化。異世界の存在を発見し、多次元転移理論に発展させる。


現在、

経済産業省異世界調査プロジェクト・シニアアドバイザリースタッフ

内閣情報調査室特別顧問

東京大学先端科学技術研究センター筆頭外部研究者

三木本商事開発部シニアフェロー

などの要職を兼務


珠算三級。好物はチョコクロワッサン。趣味はオリジナル清涼飲料水開発。




「凄い人なんだけどなー……」


 それが毎度毎度、俺の精子を抜いて怪しい実験にいそしむんだからさ。まあ「紙一重」ってパターンよ。


「待ってたよー」


 インターフォンから博士の声が聞こえた。


「えっと、まだピンポン押してないですけど」

「ぐふっ。平くんの精子から遺伝情報抽出して、『平くんセンサー』作った。この天国から半径一キロ以内に入ったらわかるから」


 ほらな。さっそく吉野さんNGワード(俺選定)、口にしてるし。


「ほら入って」


 安っぽいアルミ扉が、自動で開いた。しばらく来ないうちに、「開けゴマ」装置も進化してるじゃん。


          ●


「話はわかった。モンスター化した巨大海藻を駆除したいんだね」


 例の「マリリン謹製ビーカーコーヒー」を、博士は口に含んだ。倉庫内に屹立する巨大テスラコイルが、火花を飛ばし轟音を立てている。


「あーうまい。今日は我ながらおいしく入ったわー。ほら、みんな飲んで飲んで」

「はい」


 俺も飲んだ。あーもちろん、俺のビーカーコーヒーはキラリンに先に飲ませた。睡眠薬とか怪しい薬が入ってないのを毒見させるために。博士相手だと、最低限やるべきリスク管理だからな。


「ええ博士」


 きちんと脚を閉じ佇まい正しく、吉野さんはスツールに座っている。


「博士のお力で、なんとかならないでしょうか」

「ママならできるよねー」

「ぐふっ。あんたかわいいね、おいで」

「ママーっ」


 甘えて抱き着いてきたキラリンを、ぎゅっと抱いてやっている。ただキラリンも博士も成長の悪い中学生くらいの見た目だ。かたっぽ白衣着てるから偉そうなだけで。その白衣も床に垂れそうなくらい長すぎだし……。だから三歳児が大きな猫を抱え込んでいるような雰囲気だわ。


「ちょうどいいわ。平くん、これ使いな」


 奥の巨大ゴミ箱(としか思えないもの)から、よくわからないマシーンを引っ張り出しては、床に放り投げてゆく。


「あれー……ないな。これでもない。……これは拷問用だし。こいつは使ったら本人が死ぬし。どこに捨てたかなー……」


 不吉ワード連発なんですがそれは……。


「あったあった、これこれ」


 取り出したのは金属筒。卒業式で免状を入れる紙筒くらいの大きさで、あれよりずっと太い。中間はガラスかアクリルか、ともかく透明円柱状になっていて、補強用と思しき金属バーが何本も両端を結んでいる。透明筒の中にはコイル状のなにかと球状のなにかが収められている。


「なんすか、それ」

「オキシジェンデストロイヤー。その名も『セリザワLOVE』」


 名前が意味不だなー。見た目も賞状筒だし。頼りない。


「これで海藻根絶できるんすか。相手は超巨大。しかもおそらくモンスター化していて、襲いかかってくるってのに」

「平気平気ーっ」


 博士はまたコーヒーを飲んだ。


「この子を海中で起動するとね、付近の水中溶存酸素を急速に膨張させ、破壊する。つまりその海藻は、藻体全体の細胞が破裂して、溶けちゃうわけ」

「はあ……」


 超強力除草剤みたいなもんかな。しかし……。


「さっき『捨てた』とか言ってたけど。不良品っしょ、これ」

「あははー」


 笑ってごまかした草。


「多分大丈夫。最初の実験のときみたいに、使用者の体内酸素が破壊されて死ぬことはないと思う。おそらく……」

「多分? おそらく? そんなん安心できんわ」

「うるさいなー」


 目を細めて睨んできた。


「大丈夫だよ。ちゃんと当日までに改良しといてあげるから」


 ならまあいいか。というか信じるしかないしなー。不安まみれの心を俺は、無理やり奥に押し込めた。


「あの……博士」


 吉野さんが口を挟んできた。


「それをどう使えばいいのでしょうか」

「さすがは吉野さん。平くんと違って、ポイントをついてくるね。どう、今日あんたの卵子――」

「お断りします」


 吉野さんの代わりに、俺が断った。なにされるかわからんわ。どうせ保管してある俺の精子と吉野さんの卵子で、勝手にホムンクルス作るに違いないしな。俺達ふたりの知らんところで子供がぽこぽこできてるとか、嫌すぎる。


「卵子提供のご褒美に、これあげるからさ」


 デスクの引き出しから、眼鏡を取り出した。普通の黒縁。ウエリントンぽくって、ちょっとフェミニンな感じの。


「なんすか、これ」

「秘密兵器、『お見張りくん』」

「はあ」

「早い話、盗撮、盗聴装置ね。吉野さんの度数とサイズに合わせてあって、普通に眼鏡としても使えるし」

「はあ、このちっこいのにマイクとカメラ仕込んでるんすか」

「あとネット接続装置とバッテリーもね。はあーあたしって天才」


 うっとりしてやがる。


「プレイにも使えるしね。平くんとの組んず解れつ、ぜえーんぶ録画してよ」

「別にそんな趣味ないんで」

「あたしが鑑賞するに決まってるでしょ」


 何言ってんだ、このガキ。


「ねっ。これあげるからさ、卵子を──」

「断るって言ってるだろ」

「ちっ……」


 俺を睨んだ。


「このおじゃま虫小僧が……」

「今なんて──」

「まあいいわ。これあげるからさ、考えといてよね」


 問答無用で眼鏡状ギミックを、吉野さんに押し付ける。


「んでまあ対策だけどさ、平くんがね、深海まで潜るのよ。それで海底ね、その海藻モンスターの生え際で、こいつを起動する」


 生え際とか、抜け毛治療かよ。


「あとは……どかーんっ」

「爆発するんですか」


 吉野さんは唖然としている。


「平くんが死んじゃう……」

「ごめんごめん、一発で解決って意味」

「それより俺、どうやって深海まで潜るんですか。息なんか続かないし」

「大気圧潜水服があるわ。これ着て」


 博士がデスクのスイッチを押すと、奥から三メートル級のオートローダーが自動で進んできた。荷台の上に、ドラえもん体型の潜水服がある。


 潜水服は総金属製。顔部分だけ丸く、分厚そうなガラスが嵌め込まれている。手の関節部分には丸い可動ジョイントと思しき構造がある。指も同様だ。脚はただの棒状で、見た感じ、股関節部分だけは可動するようだ。だから膝は曲がらないだろうが、かろうじて歩けそうではある。


「なんか見たことあるわね。こういう服」

「ええ、吉野さん。俺もです」


 ドキュメンタリーだったか、映画だったか。


「これはね、お兄ちゃん」


 脳内検索したキラリンが、解説を始める。


「大気圧潜水服。服の内部は、一気圧だよ。深海だと外の水圧が半端ない。だから潰れないよう、頑丈な球を連ねたような形になってるんだ」

「へえ……」

「そうそう」


 博士が付け加える。


「飽和潜水が一般化するまでは、実際これで深海作業してたんだよ。それをあたしが改良したの。船上からの酸素供給パイプなしで使えるように」

「さすがは天才科学者ね」


 吉野さんは感心しきりだ。


「まあねー。平くんの遺伝子構造も全部解析し終えたし、暇だったからさ」

「あら、どうやって平くんの遺伝子を解析したんですか」

「これで採取した」


 右手を握って上下に振ってみせた。例によってはしたない。


「なんですか、それ」


 吉野さんはきょとんとしている。いや、わからないほうがいいっす。俺、そんなんで吉野さんに絞らせたことないし。


「さて……」


 作業デスクの引き出しを開けると、医療用のラテックス手袋を博士が取り出した。ぱちんと音を立てて、右手だけに装着する。


「ほら平くん、脱いで」

「ふざけんな」


 やっぱ今日も抜くつもりか。


「もういいっしょ。俺の遺伝子全解析終わったんなら。どうせ残りは冷凍保管してるに決まってるし、それ使えよ」


 なんたって前回はキラリンやレナと徒党を組んで、何度も何度も抜いたらしいしな。


「ちぇーっケチ。お礼くらいしなよ」


 ぶつくさ言ってやがる。死ね。


「いいじゃんねえ減るもんじゃなし」

「減るわ。十シーシーくらい」

「ならまあ……いいか」


 はあー。


 これみよがしに息を吐いてみせた。


「じゃあ代わりに、あたしも現場に同行させてよ。機材提供の代償として。それなら使わせてあげる」

「同行?」

「そうそう。あたし異世界通路の開発者なのに、考えたら一度も向こうに行ってないし」


 チェアの背を軋ませて、ぐっと背中を押し付けている。


「いろいろ見てみたいのよねー」

「ご主人様、博士を連れて行こうよ」


 博士のデスクであぐらを組んでいたレナが、俺を見上げた。自分の分のミニコーヒーは、もうすっかり飲み干しているようだ。


「今回の件を抜きにしても、一度博士には異世界を体験してもらったほうがいいと思うんだ。だってこれからも、なにかとお願いすることがあると思うし」


 なるほど。たしかにそれはそうだ。それに今回の現場で、いろいろ助言も貰えそうだしな。


「そうだよお兄ちゃん」


 キラリンも頷いている。


「あたしもママと向こうで飲みたいし」

「博士もお前も未成年だ」


 中坊くらいの見た目のくせに。


「あたしは元機械だから、関係ない。それに異世界では日本の法律は無関係。ママだって飲めるよ。ねーっ」

「そうそう。ねーっ」


 くそっ親子でハモりやがって。


「わかったわーかった」


 俺は溜息をついた。


「トリムのためだ。その提案に乗るわ」

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