【ファンタジー短編】知恵の自由

紫上夏比瑚(しじょう・なつひこ)

【短編ファンタジー】知恵の自由

 おはよう、魔法学校一回生の皆さん。

 今日からこのエルフ魔術理論科クラス担当となった、ポーリッシュ・カルミラといいます。――ああ、そのまま座って、座って。先生は不必要な現代マナーなどで、皆さんの大事な修学の時間を浪費しない主義なのです。

 さて、初回の授業は魔術の自由解釈グループディスカッションからスタートします、とシラバスにはありました。が、初日からいきなり計画通りに授業を始めるのも、なかなか味気ないでしょう。今日は少し、皆さんに別の話をしたいと思います。

 いいえ、大した話ではありませんよ。ただ、皆さんの持っている魔術に関する考え方と、僕の指導する内容、その二者間にあるズレを解消させていただく話をした上で、今後の僕の授業方針の最終調整を考えているだけです。

 そうですね。まずこれから僕は皆さんの考えや経歴について把握するために、三つの項目を掲げます。皆さんはその中で、自分の考えや経歴に当てはまる内容に挙手をお願いしますね。

 一つ目、「魔術に最も必要なのは、創造の力だと思う」――ふむ、早速半数以上の者が手を挙げましたね。ありがとう。

 二つ目、「魔術師として大成するために必要な能力は、自分なりの視点と自由な発想力だと思う」……はい、どうも。これも相当数の者がそう感じている、と。

 三つ目、「これまでに、魔術の勉強として百年以上前の魔術書を十冊以上読んだことがある」――ふむ、こちらは一転して誰も挙手をしませんね。ありがとう、もう結構です。

 やはり僕が懸念していた通りのことが、現代の魔術師志望エルフの間ではまかり通っているようですね。まったく、近頃の魔法中等教育学校は、若いエルフたちに何を教えているんだか……。

 皆さんには耳の痛い話かもしれませんが、これも初日の僕の仕事です。あえてはっきり言います。僕は昨今蔓延っているエルフ族の魔術師育成カリキュラムには、心底失望しているのです。

 いいですか。たとえ天才エルフだろうが凡エルフだろうが、魔術師として大成するのに最も重要な能力は、想像力でも、自由な発想力などでもない。圧倒的な知識と、その知識を自らに溜め込むため膨大な時間を掛けられる、エルフ自身の情熱……すなわち知識欲です。

 にも関わらず、昨今の魔法中等教育学校は、魔術師にとって最も大切な「自分なりの発想」を養うため、ろくに教科書も読ませずに「自由な想像力」を養う授業に時間割の多くを割いているとか……。

 なんでしたっけ。夜空の星を自由に繋げ、自分だけの占星術を作ってみよう? 好きな見た目の薬草をブレンドして、オリジナル魔草を作ろう? 知らない術式がテストに出ても、自由な発想で術式が示す効果を書ければ、テストはみんな百点満点? はははっ! こりゃあ傑作だ。妄想なんかで魔術が使えたら、今頃世の中は大魔術師だらけだ!

 魔術の基礎理論すら学んでいない学生に、一体どうやって自由な学び、自由な解釈ができるものですか。はっきり言っておきます。魔術解釈に自分だけの個性を出そうなどと、君たちには五百年は早い。昔ながらの星の名前を知らないエルフに、誰かを正しく救う占星術ができますか? ノーム文字が書けない文盲のエルフに、精霊を想定通りに稼働させる正確な術式が書けるものですか。「魔術に正解はない」「魔術とは君たち個々エルフの、オンリーワンな想像から自由に生まれるものだ」――こんなことをのたまう教師にかつて教わったという者がいたら、彼らは底抜けの大馬鹿者だということを理解して欲しい。特に魔術に多大な夢を見る若いエルフほど、魔術入門書の一冊も読まずに、魔術解釈は自分の自由で構わないんだ、などと言いがちです。当校に在籍していたかったら、愚か者の教えなど、この場で即刻忘れ給え!

 考えてもみなさい。寿命千年とも言われる現代の長いエルフ生において、君たちはまだ百年も生きていない。そんな君達が、ろくすっぽ魔術書も読まずに「自由に」編み出した術式や魔術の法則が、一体世界に対して何の役に立ちますか? 根拠のない妄想に妄想を重ねたところで、小石一粒、精霊の羽の端っこすら動かせずにエルフ生を終わるのが関の山でしょう。一方、我々エルフの祖先たちが魔術に関して知の遺産を積み重ねてきた年月は、ゆうに五万年を超えるのです。それも歴史に名だたる天才たちが額を合わせ、編纂し、上書きをし続けてきた上での……ね。その彼らをして『魔術の真理はいまだに解明されていない』と言わしめるほど、魔術とは深淵で、底なしに知の探究が求められる世界なのです。僅かな年月しか生きていない君たちが、本来は簡単に知ったかぶりをして新たな術式を編みだそうとするなど、その挑戦すらしていい世界ではないはずだ。

 魔術師の道とは、おそろしく鋭い棘がびっしりと生え揃い、ひとたび足を踏み入れれば後戻りもできぬ茨の道です。その厳しい世界に情熱をもって足を踏み入れ、エルフ生をかけて名だたる快挙をなしとげてきた彼らの業績を差し置いて、自らの無知をチェストの上に押しやったまま『魔術解釈は個エルフの自由だ』とのたまい傍若無人に魔術を扱うのは、この上なく恥ずかしいことだと自覚して欲しいものです。

 ――ふむ。そこの最前列から三番目の君。そう、君だ。そのプラチナブロンドの美しさを見ると、西方の機械都市出身だね。

 ……なるほど。君の出身地は、その短命種が人口の9割を占める科学文明都市でしたね。魔術の存在はとうに遥か昔の記録の中へと閉じ込められ、近年の研究とやらで魔力すらもほとんど実在が怪しまれている。大陸から渡ってきた占星術師の末裔である君のご実家は、「占いなんてあやふやなものに頼る胡乱な種族め」と街では胡散臭い魔物の手先のように扱われてきた……。ああ、言わずもがな、わかる。わかりますとも。つまり、君はこう言いたいのですね。先人の知恵といえども、その先人たちの間でも魔術には様々な解釈があり、その信憑性が疑われる程度には多くの議論がなされている。ただでさえ科学で解明できない魔術などというものには現代の者達にはとうに信頼が置かれていないのだから、魔術解釈に正解があるなどという考え自体が間違いなのではないか、と。そう言うのですね。

 では聞くが……。その『先人たちが唱え、議論されてきた異なる魔術解釈』というものを、君はいくつ論じることができるかね? 時計の針が一周するまでの時間、待ってあげるから答えてみなさい。……ほら、どうです。まともに答えられるものなど、一つもありはしないではないですか。その程度の認識で、君はどうして『魔術解釈には正解がない』などと断じることができるのですか?

 確かに、現代は昔に比べて魔術や占星術にそれほど信頼を置かれない時代となりました。では、それを押してでもなおも魔術師や占星術師に『仕事の依頼』をしに来る方は、一体どんな者達だと思います。――心から困っている者なのですよ。自らの盲信する科学文明とやらでは解決できない問題に直面し、藁にもすがる気持ちなのですよ、その者たちは。そして往々にして、我々エルフに魔術の相談や占星術などを求めてやってくるそれらの種族は、魔術に関して今の君たち以上に無知蒙昧だ。聞いたことがあると思いますが、そんな彼らが知識の胡乱なエルフの魔術師の言うことを鵜呑みにしてしまい、大きな事故を起こしてしまったが故に訴訟を起こした事例は、近年枚挙にいとまがありません。この場合問題となるのは、無知な短命種がその愚かなエルフの言うことを鵜呑みにしたことではなく、赤子のような相談客に浅薄な知識をひけらかし、取り返しのつかない出来事を招いたその魔術師の方です。くだらない自分勝手な解釈に基づく魔術が、どのような悲劇を引き起こすか。その被害者となるのは、魔術の魔術たるゆえんを君たち以上に知らない、哀れなる短命種たちなのです。

 どうです。これでも我々の歴史の中で積み上げられた知を、自らの中に取り入れる必要はないと主張しますか? エルフ族の未来を担う聡い君たちは、そんなことは決してしやしないと、先生は信じたいです。

 ……とはいえ、魔術の実践に失敗はつきものです。厳しいことを言いましたが、僕は君たちに失敗をするなと言っているわけではありません。むしろこの学校においては、大いに学び、大いに失敗して欲しい。失敗は学生の特権だ。自ら選び取る実践にて間違い、それを謙虚に自覚した時こそ、エルフは大きく成長する。先生が君たちに望むことはただ一つ、将来魔術師として――たとえ副業や無償奉仕ボランティアだったとしてもです――君たちが世界に独り立ちした際、不勉強からくる大きな誤ちを犯した挙句、「私の魔術解釈をどう受け取るかは世間側の自由」などという愚かな言い訳で、自らの無知による失敗に背を向け逃げ出すような、無責任で情けない魔術師になどなってほしくない、ただそれだけです。繰り返しますが、魔術とは昨今人間たちの間で言われるような君たちの自由な想像力による産物などでは決してなく、綿密に打ち立てられた知の理論なのですよ。――少なくとも、まだまだ学びの足りない君たちにとってはね。魔術を知らぬ迷える別種族たちは、エルフの魔術師というだけで君たちに多大な期待を寄せていること、その責任を重々自覚するように。

 おっと、終業の鐘が鳴りましたね。

 それでは今日はここまで。次回からは実践的座学として、魔術の基礎理論講義を始めたいと思います。

 何? 今日の授業予定だった魔術の自由解釈グループディスカッションは、次週に回すのかって? はあ……君たち、先生の話を聞いていましたか。中等学校で少しばかり魔術のさわりを知っただけの君たちに、自分なりの魔術の解釈と創造など、百害あって一理なしです。魔術式実習の時間になって「この術式は解釈違いなので受け入れられません」などと言い出す哀れな子羊エルフになる前に、まずはたっぷりと先人の知に溺れることを覚えなさい。何度でも言います。自分なりの魔術解釈などというものは、血反吐を吐くほどに古き知を自らの中に取り込んでこそ、初めて生み出せるものなのですよ。

 僕は本当の意味で、君たちの良き学びの師となれることを、本当に楽しみにしていますからね。

 先程から一番前の席で空飛ぶ箒の数を数えている、黒い瞳のハーフエルフの君。そう、君だ。君のような怠惰な学生に、とめどなく押し寄せる知の洪水の喜びを教えるのが、僕の生きがいでね。来週さっそく君たちには課題を出そうと思っていますが、その課題の答えを最初に読み上げる役目を君に与えようじゃないか。「魔術に間違いなどない」と言われていた中等学校では、決して許されていなかった「間違い」を、ここでは存分に体験してくれ給え。

 さあ、今日の終業の号令は君がかけなさい。起立!



*     *     *     *     *                        



「なぜですか! なぜ僕が解雇クビにならねばならんのです!!」

「あのね。君、先週自分が初回講義で何を言ったかわかってるの?」

 年重のエルフの校長は、やる気なさげにオーク材のデスクに肘をつき、新米教師ポーリッシュとは目も合わせずに先程から自身の汚い爪を弄っている。すらりとしたポーリッシュの精悍な体つきとは反対に、校長の腹はでっぷりと太り、長い耳さえついていなければまるでドワーフだ。

「君の講義の後ね、魔法学校の自主退学届けを提出してくる生徒で事務課がごったがえして大変だったんだ。そんで、何事かと事情を聞いてみたら、まあー……キミ、初回講義でやらかしたんだって? シラバス無視だけならまだしも、よりによって生徒の自主性否定とか……。そんなことしたら、生徒たちが学校を見限るのも当たり前じゃないか。こんなの、当校設立以来初めてのことだよ、まったく」

「な、な、な、なんっ……」

 馬鹿な。いや、僕は生徒の自主性否定などしておらず、ただ学びの本来あるべき指針を示しただけだ。それをあの時クラスの子エルフたちには、僕の言葉は、想いは何一つ伝わってなかったというのか? 僕があんなに熱弁をふるったのに……。それも我ながらちょっと感動的だなとか思いながら……。

「生徒たちの退学申請理由を読んだらね、まあ反感の酷いこと酷いこと。こんな理不尽で基本的エルフ権を無視した学校だと思わなかっただの、時代遅れの魔法学校に付き合う義理はないだの、たった数百年程度自分より長く生きた程度の教師のウエメセっぷりがヤバイだの、新参者を潰し未来の魔術界の存続を脅かす老害の典型だの、カルミラの耳長野郎は自由とエルフ権に親を殺されているだの……」

「失敬な! 僕の両親は今も元気に田舎で畑耕してますよ!!」

「そういう話してんじゃないよ今は」

 校長が肥え太った身体を豚革のチェアーに沈めると、その頭頂部にススキのようにうっすら生えた毛が、そよりと揺らぐ。校長のてっぺんの薄さだけは、毛深いドワーフなんかじゃなくノームに近い。ポーリッシュは、その精霊に愛されたがゆえにわずかに生え残った校長の頭部の枯れ草原を、根こそぎ引っこ抜いてやりたい気持ちだった。

「ま。そんなわけで、君は今日かぎりでエルフ魔術理論科クラスの講師を解任だ。もう来週以降の講義の準備はしなくていいから、田舎に帰ってご両親と一緒に、黄金の林檎やらマンドレイクやら育ててはどうかね」

「し、しかし校長。僕はただ、若者たちが将来立派な魔術師となるにあたってごく当たり前のことを……」

「黙り給え! 君はこの魔法学校を潰す気なのか!?」

 びしり、と校長の太い指が自分の目玉を潰さんばかりに突き出されて、ポーリッシュは思わずがばっと後ずさる。長い掃除が終わったのか、先ほどまで目を背けるほどに汚かった校長の爪は、すっかり古い垢が取り除かれてぴかぴかだ。その指先を見つめているうち、ポーリッシュがこれまで積み上げてきた崇高な教育の理想と矜持が、彼の頭の中でびしびしと崩れ去る音がした。

「いいかね。時代は大きく変化している。千年ほど前に人間たちを絶滅寸前に追いやった大恐慌により、昨今はエルフ族にも時間差で経済格差の波が押し寄せてきて、未曾有の少子化が進んでいるのは周知の通りだ。我が種族の魔術師は、質どうこう言う以前に、もう数自体が激減しているんだよ。国の魔法教育庁からも、魔術を新しく学ぶ者たちを迎え入れるために、ハードルをできるだけ下げろ、少なくとも上から知ったかぶりで物を言う年嵩エルフの教師は雇うな、とお達しが来ている。わかるかね? やれ先人の知識だ、やれ古式の美だなんて下積みから詰め込む教育は、今の若いエルフたちは到底受け入れちゃくれないんだ。ましてや、生徒に向かって『君の出した魔術解釈は間違っている』なんて授業でやったら、生まれた時から自分だけの魔術観を肯定され続け、『ナンバーワンよりオンリーワン』と多様性の概念を叩き込まれてきた現代エルフっ子たちにとっては、たまったものではないだろう。君が講義で学生に伝えた内容は、もう五百年前くらいに改革された、時代錯誤な教育方法そのままなんだよ。それをどうしたことか、ただでさえ減少傾向にある当校の財源を、こんなことでみすみす逃してくれおって。まったく近頃の魔法学校講師養成学校は、新米の教員見習いに一体何を教えているんだか……」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

【ファンタジー短編】知恵の自由 紫上夏比瑚(しじょう・なつひこ) @alflyla

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ