第7話 正しいことなんて分からないけれど。
警戒していたはずの人物に、杏子はすっかり心を赦してしまっていた。
様々な他人の恋愛を目撃し、さらには巻き込まれていく杏子。なのに自身にはまったくといっていいほど縁がなく、時折大好きな親友にさえ苛立ってしまう自分の愚かさ。醜い自分との対面。今日も、結局自身がおまけのような存在のように思え、虚しい気持ちを抱いていたこと。優一が言っていた『妙にこわばった顔』の正体についても白状し、先程突き放したこともあっさりと謝罪をした。
ゲームセンターの騒音に掻き消されぬよう、声が届くように身体を限界まで寄せた杏子は、今思いつく限りのすべてを話した。
「そりゃ大変なことで」
話を聞いた優一の第一声はそれだった。
完全に他人事であると言いたげな声色と、軽いノリ。どんな反応をすればよいか分からないと言いたげな表情で、頭をポリポリと掻いていた。
「で?」
それでも話を聞くと返事をするように、優一は次の言葉を促す。杏子はその様子を察すると、構わず次の言葉を紡いでいく。
「今日来てる美咲……親友なんだけど、すっごくモテるし、可愛いし、それは分かってるしそれは問題じゃないんだけど……何故か周りからは協力してってすごく頼られて。振り回され過ぎて、ちょっと疲れちゃった」
「んじゃ、協力するのやめたら? 他の男の」
「でも、美咲の幼馴染が一番しつこくて……拒否してるのにすごく言い寄って来るし、協力しろってえらそうだし。美咲に怒ってもらったこともあるのに、未だに声かけてくるし……それが嫌で、他のヤツの協力しちゃうの。嫌われるように」
「ふーん。そいつ、美咲ちゃんには告白しねーの?」
「したことあるらしいよ、小学生の時くらいに。性格が嫌だってフラれてるのに、諦めきれなくてこじらせてるけど」
「うぜー」
人に話しているうちに、杏子のごちゃごちゃとした頭の中はどんどん整頓されていくかのような感覚を味わっていた。イライラとしていたゴミのような感情は少しずつ消えてなくなり、掃除されていく。
困った様子の優一も、何だかんだ話を聞いてくれていたのが救いだった。先程のように、勝手に席を外して帰ってこなくなることも想定していたのだ。
「それでさ、愛菜ちゃんもよく分からないんだよ。うちのクラスの転入生に一目惚れして、その人のためにものすごいダイエットしたのに、今は京介くんと仲いいじゃん」
「あー。あの二人デキてるんじゃね? 今日の日程決めるのに何度も連絡取ってたみたいだし、今だって二人で遊んでるじゃん」
「やっぱそうなの!? えー……一方的に話聞かされて、でも応援したいなって思ってたのに……好きな人変わっちゃったのかぁ」
信じていたことや、応援していたことが否定されてショックを受ける。春秋は美咲に気があるため勝ち目があるかは分からなかったが、愛菜の努力に感動し、応援したいと心から願っていたのは事実だった。
「人生、何があるかわかんねーからな。何かがキッカケで始まるものもあるんじゃねーの?」
「考え方が大人だねぇ」
「んなことはないけど。ようは、他人のことに首をつっこみすぎて理不尽な想いをしてるんだろ? 適当に流しとかねーと、アホらしくね? 人によるけどさ、人の心ってコロコロ変わるだろうし」
優一に言われ、杏子は天を仰ぐ。
確かにそうだった。いろいろな人から相談を受けてきたものの、美咲絡みの相談で今もずっと一途に続いているのは幼馴染の健太だけだ。それ以外の男はすぐに他の誰かに乗り換えていた。愛菜もすぐに違う相手に乗り換えて、世の中を上手に渡り歩いている。
「みんなさ、恋愛に必死でさ。真剣なあまり、わたしになんかに相談したりしてさ。だからわたしも理解できないことは多いけど、でも真剣にならないと! って、勝手に張り切りすぎてたのかも」
始まりは確かに、誰かのために尽くしたいと思っていた。そこに性別は関係なく、役に立ちたい気持ちだけが先行していた。幸せになってほしかったと心から思っていた。
だけど、あまりにも背負いすぎた荷物は重量を増すばかりで、すっかり押し潰されそうになっていた。相手の本心など杏子には分かるはずはないが、心のどこかで『自分は利用されているだけなのではないか』と一度や二度以上に考えたこともある。
「別に、杏子のすべてが悪いわけじゃないよ。元凶は巻き込んでくるヤツだから」
難しい顔をする杏子に、優一は優しく語りかける。ファミレスの冷たい声色よりも温かく、太鼓のゲームで遊んでいた時よりは落ち着いた、穏やかな口調だった。
「でもさ、杏子は自分のことを諦めすぎてるんじゃねーの? 杏子には杏子の人生があって、本当はあったはずの恋愛も……他人に気を取られてるうちに、見逃してるだけかもしれねーじゃん」
声色だけではなく、表情も、言葉も、何もかもに優一の温度が宿っていた。心地よい温かさに、杏子の心は軽くなっていく。背負っていた荷物が減っていき、その分を優一が持ってくれている。
本当はあったかもしれない恋を、見逃しているだけ。
そんなまやかしのような単純な言葉で、杏子の心は揺れる。
「そうかな。素敵な男の子が……わたしを好きになってくれるのかな」
「素敵な男の子って」
期待に満ちた瞳を込めて杏子が尋ねた言葉に、優一はぷっと吹き出し、必死に笑いをこらえていた。
「全然笑ってくれないくせに、そこで笑う?」
笑われたことに腹が立つはずの場面で、杏子は何故か釣られて笑う。表情を持っていないのかと勘違いするほど冷ややかな表情をしていたせいだろう。笑っている表情が、通常よりも新鮮に感じるのだ。
「なあ」
だが、すぐにその笑みは消え去り、優一は杏子の瞳をじっと見つめ、とんでもないことを口にした。
「その素敵な男の子って、オレじゃダメなの?」
予想外のセリフに、頭の中が真っ白になっていくのを感じる。
「何が……」
何とか絞り出した言葉で心臓の音をごまかそうとするが、杏子の中では平常心を保てずにいた。その間にも、優一はじりじりと杏子との距離を詰めている。
「他のヤツなんて、気にする暇もないくらいにしてやろうか?」
優一の挑発的な態度に、かき乱されていくのを感じていた。杏子はこの状況を上手く飲み込めずに固まることしかできない。
「おーい! 二人とも! こんなとこにいたかー!」
そんな緊迫した状況で、一人の男が空気も読まずに声をかけてきた。美咲に一方的に話しかけていた達也だ。
「は?」
引きつった表情を浮かべる優一は、不機嫌な様子をむき出しにしてベンチから立ち上がる。その態度には、明らかに怒りが込められていた。
「んだよ~。邪魔したから怒ってるのか?」
「空気読め」
「悪かったって~。そろそろ解散しよーってさ」
会話に入れない杏子は、慌てて立ち上がり、二人の後を追うので精一杯だった。
(た、達也くんナイスです……)
先程の状況から解放されたことにホッとする一方で、杏子の心は大きく揺れている。
あのまま身を任せたら、どうなっていただろう……。そんな好奇心がゆったりと脳内を駆け巡っていった。
***
「あはは、正直ただ遊んだだけだったな!」
ゲーセンを出て全員が合流したところで、京介が笑いながらそう言った。
「間違いないぜ京介……王様ゲームとかなかったしよぉ」
「そもそも合コンの意味もいまいち分からずに来たし」
「……でも私は楽しかったからいいけどね」
達也と美咲も続き、照れた様子でぼそぼそと愛菜が呟く。
「てか、京介と愛菜ちゃんはデキてるんだろ?」
「えっ!?」
「そうだけど、よくわかったな!」
誰しも勘付いた予感を優一が指摘すると、愛菜は驚くにとどまったが、京介は隠すことなく肯定した。
「はあっ!? マジかよ! 最初からデキてたってマジかよ!」
達也だけが察していなかったらしく、優一、杏子、美咲は三人で『やっぱり』と頷いている。
「おう! そうだぜ! 付き合ってるぜ!」
「少しは隠せよ! ちくしょー! こっちは上手くいかなかったっつーのに!」
「あはは! どんまい!」
結局美咲に振り向かれなかったらしい達也は、不貞腐れたように京介に絡んでいる。あっけらかんとしている京介はかなりオープンなようで、愛菜が恥ずかしがっているのに反して堂々としていた。
「で? 優一は?」
達也をあしらいながらも、余裕の態度で京介が尋ねる。
その時、杏子の心臓が一瞬はねたのは内緒だ。
「オレもダメだった」
「イエーイ! 仲間!」
「達也が空気読まずに邪魔したからダメになった」
「うっ! 人のせいにすんなよ! ……そ、そんなことねぇ……よな?」
優一と達也の二人はタイプが全然違うように見えるが、こうして掛け合いを見ていると、意外と相性がいいのかもしれない、なんてことを考える。しかしそんな現実逃避をする時間にも限界があり、杏子はどうやってこの会話を乗り切ろうかと必死だった。
「い、いや……あそこで達也くんが来なくても、成立しないかと……」
「そう?」
何とか助け舟を出そうと杏子は会話に入り込むが、優一が杏子の顔を覗きこみ、睨めっこをする羽目になる。目を逸らそうにも、逸らした先に必ず優一の視線があり、杏子の逃げ道は塞がれてしまった。
「ほら、いじめないの。杏子が困ってるでしょ?」
絶体絶命かと思われたところで、美咲の救いの手が伸びた。杏子はぐいっと美咲に引き寄せられる。なんとか気まずい状況から逃げ出すことができ、小さくホッとため息をついた。
「とりあえず、今日はこの辺でお開きにしようぜ。またタイミングが合えば集まるってことで」
「美咲ちゃん! 気が変わったらいつでも俺に会いに来てね!」
京介と達也も加勢し、この場は解散ムードである。時間としては、集まって三時間ほどの短い出来事であった。帰り道は男女別々になる……はずなのだが。
「ちょっと待って」
別れ際、すっかり背を向けたところで、杏子は優一に腕を掴まれる。
「なんで普通に帰ろうとしてんの?」
優一のセリフにクエスチョンマークを浮かべる杏子は、首をかしげることしかできなかった。
「ここで普通に帰ったら、もう二度と会えないかもって思わねーの?」
「え……っと……」
「連絡先。また話くらいは聞いてやるから」
予想外すぎる展開に、杏子の頭の中はまたしても真っ白にされてしまった。
優一がスマホを取り出し、LIMEを起動させる。同じように杏子も起動させ、互いにアカウントを交換し合った。
その間、空気を読んだ他の四人は、その成り行きを黙って見守っている。何となく視線を感じたせいか、杏子の手は緊張で震えそうになっていた。
「よし。じゃーな」
交換ができたことで満足したのか、優一はくしゃりと杏子の頭を撫でると、そのまま背を向けて去っていく。
「……は?」
杏子にはついていけない展開の数々に、ただ立ち尽くすことしかできなかった。
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