第6話 非日常的な土曜日のこと。
ここまで来ると、杏子がどんどん小さな事件に巻き込まれるところから話が進んでいく……そういう流れになってしまう状況についてはお分かり頂けたと思う。
基本、杏子自身に事件は起きない。あくまで他人の問題に巻き込まれるだけだ。
そして、この日も……いや、数日前から、杏子は新たな出来事に巻き込まれていた。
……ただ、それはいつもの事件とは様子が違っているわけだが。
***
「杏子ちゃんって、今週の土曜日ヒマ?」
教室で杏子がひとり、自席でぼんやりとしているところだった。
先日、驚きのスピードでダイエットに大成功し、美少女に変身した坂上愛菜が、突然そのようなことを尋ねてきた。
愛菜と杏子が二人で話をして以来、こうして話しかけられることはあったものの、何かに誘われるのは初めてのことだ。
「え? ヒマだけど……」
そこまで口にして、杏子はすぐに『しまった』と思った。
用事も分からないのに予定がないことを明かしてしまうのは、自分の首を絞める行為であると、瞬時に気づいてしまったからかもしれない。もしもその誘いが厄介な内容だった場合、どう断るか悩んでしまうことになるだろう。
「ほんと!? やった!」
案の定、事情も知らないのに杏子が参加する雰囲気になっている。
「えっと……何かあるの?」
恐る恐る、本題について尋ねる。一輪の花がぱーっと満開になったかのような笑顔を浮かべている愛菜は、周りをきょろきょろと見回した後、杏子の耳元でひっそりとこう告げた。
「……隣町の男子校の子と合コンするんだけど、ぜひ杏子ちゃんに来てほしくて!」
「えっ!?」
椅子に座っていた杏子は大きな音を立てて立ち上がり、オーバー気味に後退りをする。余りにも予想外すぎる誘いに、それ以上の言葉も出てこなかった。
クラスメートの視線が集中しているが、そこは気にする暇もない。
そして、動揺している杏子のことも気にしていないのであろう愛菜が、誘った経緯を説明し始めた。
「杏子ちゃんってさ……私が見てる限り、ものすごく苦労してると思うのよ。私が言える立場じゃないんだけど、いろんな人に相談されてるイメージあるし。特に神園さん絡みでは大変そうだなって思うこともあるし」
普段、杏子自身が抱いている悩みをズバズバと言い当てられ、思わずドキッとする。
「あとはね、杏子ちゃん自身にも恋が芽生えたらいいのになって。大きなお世話かも知れないけれど、もしかしたら相談も減るんじゃないかなって思って」
自身に恋愛が降りかからないことに対しての嘆きまで言い当てられたような気がした杏子は、何とか振り絞ろうと考えだした台詞も忘れて話を聞くことしかできなくなってしまった。愛菜のこの洞察力が、クラスの中心にいられる要素の一つなのかもしれない。
「それにねっ! 杏子ちゃんが気になるって写真見て興味持ってくれた子もいるんだって! チャンスだよ!」
「いつの間に……」
正常な思考を持てない、混乱の渦に巻き込まれてしまった杏子には、果てのない話題であった。非日常の話題をこれほどまでに持ち込まれてしまうと、杏子のキャパシティを大きく超えてしまう。
「とにかく! これ、私のLIMEね。今のとこ○○駅前に十二時集合だからよろしく! あ、神園さんには内緒ね! 神園さんが来たら全員取られちゃうかもしれないし!」
断る間もなく愛菜はさくさく予定を杏子に告げると、教室に入ってきた美咲と入れ違いで去って行った。
「? 坂上さんと何かあった?」
優しく癒し系の美咲の顔を見ると、何故だが無性に安堵してしまい、杏子はぎゅっと美咲を抱きしめた。それは数多の男子生徒たちが羨むような行為であり、それを易々と実行に移すことができるのは、親友である杏子くらいである。
「えっ、え!? どうしたの杏子!?」
「やっぱ美咲が世界一可愛い」
戸惑う美咲に構わずぎゅっと抱きしめながら、杏子は土曜日のことをぼんやりと考える。
(まあ……ぶっちゃけ悪い気はしないんだけどさ。わたしのこと気にしてくれる人もいるっていうし……いや、嘘だな。単純に人数合わせでしょ。てか愛菜ちゃんは睦月くんのことはもういいのかな……?)
まんざらではない気持ちと、先日愛菜の春秋に対する恋を応援したいと思っていたはずなのに……という微妙な気持ちが合わさって、複雑な想いを抱いてしまう。
とりあえず言えることは、もはや当日を迎えるのは必然であることだけだった。
***
そして当日。土曜日はあいにくの雨で、傘を持って待ち合わせ場所へ移動する。
それだけでも憂鬱なのに、これから起こる出来事に予測がつかない杏子の不安は大きく、何度もため息をつく羽目になっていた。
休日なのに制服なのは、変に服装で悩まないようにと気遣ってくれた愛菜のおかげだ。確かに合コンに着ていく服など考えもつかないため、制服指定にしてもらえたことについては感謝している。
駅前に着くと、普段は近くにあるシンボル的な銅像の周りにたむろっていた人たちは皆、駅の屋根がある場所に移動しており、駅の入口付近は様々な人でごった返していた。杏子が辺りを見渡している限りでは、目的の人物は見当たらない。
「おーい! 杏子ちゃーん!」
すると、遠くから今回の首謀者である愛菜が呼びかけてきた。
そこには相手の男子生徒も集まっていて、何やら談笑しているように見える。
そしてもう一人……その輪の中に、見慣れた人物も確認できた。
「あれ? 杏子?」
そう。愛菜に今日のことは内緒だと口止めしていたはずの美咲がいたのだ。
普通に考えて、おかしい状況なのはよく分かる。
若干戸惑った表情を見せる杏子に、愛菜は慌てた様子で事情を説明した。
「ごめん……一人体調不良で都合が悪くなっちゃって。いろんな人を誘っているうちに、神園さんだけがヒマだったから、連れてきちゃった……ほんとごめん」
「お、おう……」
(始まる前からカオスだ)
杏子は何故ここに来たのか、ぼんやりと誘われてから今日までの日々を思い出す。
そう。杏子は杏子自身の恋を探すためにここに来た。乗り気じゃない振りをしつつも、心の中では期待を膨らませていたし、いつだって可愛い親友が不在ということもあって、自身にもチャンスが巡ってくることにワクワクしていた。
「美咲ちゃん可愛いよね! 彼氏いるの?」
「え? いませんよ」
「ほんとにぃ? でも絶対モテるっしょ」
「そんなことないですよ」
だが、既にどこの誰かも分からないチャラそうな男子生徒と楽しげに話をしている美咲を見て、少しずつ心が諦めの色を見せてくる。
「うん。とりあえず非日常を楽しむことにするよ」
しかし、愛菜の過剰な気遣いを肌で感じ取った杏子は、苦笑しながらも受け入れることにした。
他校の人間と絡む機会も滅多にない。今も美咲は一対一で話をしている状況であり、残りの二人は男同士で会話をしているようだ。全員が美咲に集中していたら勝ち目もなかっただろうが、まだチャンスはあるかもしれない。
杏子はそう言い聞かせ、自身を奮い立たせる。
「ありがと! 普通に遊んだりするだけだから、一緒に楽しもう!」
「うん!」
ホッとした様子で愛菜はそう言い、杏子も大きく頷いた。
(はっ……ここで美咲が誰かとくっつけば、幼馴染の呪縛から解かれるかも……)
そして、ひとつの思い付きが杏子を燃え上がらせ、妙なやる気が生まれるのであった。
***
まずはお昼ご飯を食べるということで、一行は駅前のファミレスへと足を運んだ。急に個室空間に行くのは不安もあるだろうと過剰に気を遣ってくれた愛菜は、当初行く予定だったカラオケから人目のつくファミレスに変更したのだという。
人の多い時間帯だったが、ちょうど入れ違いで団体が会計を終えたこともあり、すんなりと席へと通された。
奥側のソファ席に左から愛菜、美咲、杏子の順に座り、男側の幹事である京介が愛菜の前に、美咲にずっと話しかけていた茶髪でチャラい達也が予想通り美咲の前に、残りの黒髪で物静かそうな優一が杏子の前に座った。
親しくなるため、お互いに名前だけを告げ、それぞれ呼びやすいように呼ぶというのが今回のルールのひとつらしい。
「いやー、俺ら男子校にいるとやっぱ女子に出会う率が低いからさ。今日は可愛い子が来てくれてよかったよ! ありがとね! 合コンとか言いつつ、何すりゃいいかわかんねーけど、今日は楽しく遊ぼうぜ~!」
京介が楽しげに話をしながら、杏子は心の中で安堵していた。
合コンで何をするのか理解しないままここに来てしまったが、誰もよく理解しておらず、ただ一緒に遊ぶだけである雰囲気だからなのかもしれない。
危機意識が高いのか、愛菜からは事前に『危なくならないように、人目がない場所で遊んだりとかはないから』と言われているため、そういう面では事前に安心していたものの、初体験のことは何に対しても緊張はするし、不安もするものだ。
しかし、一通り食べたいものを注文したところで、杏子は気付いてしまう。自然な流れで愛菜と京介、美咲と達也が話している中、杏子と優一だけが取り残されていることに。
優一はどこか退屈そうに、スマホを弄っている。
(やばい……何か話さないと)
ここ最近、杏子が異性と話をした記憶といえば、恋の相談を持ちかけられたことくらいだろう。言ってしまえば、それ以外の関わりはほとんどないと言っても過言ではなかった。
「あ……えっと、優一くん、だっけ」
「あぁ……うん。何?」
とりあえず何か話そうと呼び掛けたものの、冷ややかな態度に杏子は怯みそうになる。
「えーっと……いや、なんとなくこういう場にいるのが意外だなって思って……他の二人ともタイプが違うし」
もはや自分でも何を話しているか分からない。ただ、無意識のうちに何か失礼なことを言っているような感覚だけが頭を侵食し、罪悪感で満たされていくのが分かった。何より杏子自身にも当てはまる台詞で、ブーメランが戻ってきたかのように心に刺さって、何故だか妙に落ち込む。
「あー、うん。オレは人数合わせで無理やり連れてこられただけだから。何か変なヤツの相手させて悪いな」
「そんなことは! こっちこそ……余りものでごめん……」
お互いに謝罪し、ぺこぺこと頭を下げる。楽しいとかそういう前向きな感情は後ろ向きな感情に埋もれ、崖から奈落の底に突き落とされたかのような気分に陥る。
優一との会話はそこで途切れ、杏子は気まずさのあまり水を飲み干した。
ファミレスでは大した展開もなく、杏子はただただ居心地の悪い想いをしただけだった。
***
昼食を終え、一行は近所にあるゲームセンターへと足を運んでいた。
既に愛菜と京介は仲がよさそうに二人で過ごしており、美咲と達也は今もなお達也が一方的にアタックを続けている。
そして残った杏子と優一もペアを組まざるを得ない状況になっているものの、親密度は全くといっていいほど変化がなかった。
それぞれが好きなように遊び始め、優一も杏子に構わずきょろきょろと辺りを見渡している。
(もういいや。勝手に遊ぼ。もうそれしかない! ちくしょー!)
半ば自棄になりながら、杏子は大好きな太鼓のリズムゲームで遊ぶことにした。よく美咲と遊んでいたが、今日は達也に引きずられるように二人でホッケーで遊んでいるようだ。愛菜と京介はレーシングゲームの方へ消えていくのを目撃している。
「あ。それやるの?」
すると、背後から突然声がかかった。クールな表情のまま、優一が落ち着いた声色で尋ねる。
「うん……優一くんもやる?」
「やろっかな」
財布から小銭を取出し、二人は百円玉を一枚ずつ投入した。
優一のようなクールな男が遊ぶとは想像もしていなかった杏子の心臓は、平常時よりも格段に暴れ回っているように感じる。さっき出会ったばかりの人間、しかも乗り気じゃないとばかり思っていた人物が一緒に遊んでくれる状況に、夢心地な気分を味わう。
選曲はCMでよく耳にする有名曲やアニメソング、クラシックのアレンジ曲の三曲。美咲とプレイすると杏子は負けなしのため、今回も自分の方がうまくやれる自信があった。
……だが、その自信は大きく裏切られ、結果は惨敗。
「えっ!? つよっ!! フルコンボ!?」
優一の完璧な成績に及ばず、ショックを受けた。
しかしそのショックよりも、優一の第一印象とのギャップの方が衝撃だったが……。
「オレ、実は結構やりこんでるから」
「すごい……意外……うーん! もう一回やろ!」
悔しがる杏子に余裕の笑みを浮かべる。
「何回やっても勝てないと思うけど?」
「それでも!」
それから三回ほど百円玉を投入。すべて負けた杏子は、疲労感もあいまってぐったりとしていた。
「やっぱり強い……すごい……疲れた……」
「そりゃ九曲も連続でやってたらね」
そう言いつつもまだ余裕を見せる優一に、本当にやりこんでいるのだと思い知らされる。
二人は近くにあったベンチに腰掛け、一息つく。そこでようやく、杏子は自分の置かれた状況を思い出してしまった。
すっかり楽しんでしまった杏子には、先程までの憂鬱感や気まずさはない。
太鼓をたたき続けたことによるストレス発散もあり、逆に清々しい気持ちだった。
「でも、何かスッキリした顔してんじゃん。よかったな」
すると、優一がぽつりとそんなことを口にした。
ファミレスで話した時よりもあたたかみのある声色。それは杏子の心を読んだかのようなセリフで、驚きのあまり固まってしまう。
「なんで……」
「だって、最初から妙にこわばってたから。顔」
無意識とはいえ、そのような指摘を受けるとは思ってもみなかった。杏子の驚きは続き、思わず優一に背を向けた。
「……言ってる意味が、よくわかんない」
(これじゃあまるで、ずっと見られてたみたいじゃん……)
心に浮かんだ一つの可能性に、反射的に大きく首を振る。
(いや、ない。わたしにラブコメとか、ない)
何度も何度も、心の中で否定。お昼に出会ったばかりの人間なのだ。油断してはいけないと誓い、気を引き締める。
「あっそ。別にいいけど」
だが、冷たい声色に逆戻りした優一の言葉に、杏子の胸がずきんと痛んだ。突き放したのは杏子のはずなのだが、いざ突き放されるとそのダメージはそれなりに大きく感じる。
それから、心配してくれた優一に対して罪悪感も湧き上がっていた。
背後に感じていた優一の気配が消えたことに気が付くと、ますます気分が沈んでいくのが分かる。自業自得という言葉がよく似合うこの状況に、杏子はすっかり落ち込んでしまった。
「おい」
刹那、背後から声がかかった。
不安のあまり思い切り振り返った杏子は、声の主とばっちり目が合い、固まる。
「あ……」
呆れて去ってしまったと思っていた優一が、ペットボトルを二本持って戻ってきたのだ。
杏子の顔は今にも泣き出しそうではあったが、驚いて大きく目を見開いた優一は特に何も言うことはなく、黙ってペットボトルを差し出す。
「好きな方を選べ」
ぶっきらぼうにただそれだけを告げる。
差し出された二本のうち、杏子はアイスティーの方に手を伸ばし、残ったサイダーの蓋を優一が開けると、ぐいっと喉に流し込んでいった。
「あ、ありがとう……」
異性が自分のために飲み物を買って来るなんて。杏子は信じられない気持ちでいっぱいになりながら、優一に倣って蓋を開けようとする。
「あ! お金!」
完全に開封してしまう前に、大事なことに気づいた杏子は、慌てて財布から二枚の百円玉を取り出した。
「いいよ、それくらい」
「ダメだって!」
右手にはサイダーを持っている優一に、杏子は隙を見せている左手を狙ってぐっと掴むと、手の平に硬貨を乗せ、無理やりに二百円を握らせた。
「気持ちは嬉しかった。ありがと」
好意で買って来てくれた、と素直に信じたいところだったが、ジュースを奢って何かに協力させようとする可能性も否めない。
すっかり深読みで疑心暗鬼になる杏子は、お礼だけはきちんと伝え、なんとか借りを作らぬようにと必死だった。
「……お前さ、そうやって急に手触ってくるの、反則だからな?」
「ん?」
「……なんでもない」
杏子が必死になっている間に、優一はぽつぽつと呟くように話しかけていたようだが、残念なことに杏子の耳には届かず、きちんと伝わることはなかった。
どこか呆れたようにため息をつく優一と、優一が戻ってきたことにホッとする杏子。対照的な二人は、しばらくベンチに腰かけたままだった。少しの間無言が続いていたが、ファミレスで味わった気まずさは軽減されている。
「あの、さ」
無言を断ち切ったのは杏子の方だった。ファミレスの時とは違って落ち着いた気持ちで。この、次にいつ会うかどうかも分からない優一だからこそ、話してもいいかと思ったことがあったのだ。
「わたしの愚痴、聞いてくれない?」
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