帝国の秘密兵器

 まだ夜も明けないうちから、工作班はバルーンを飛ばす準備を始めたみたい。私が起きた時には、すでに準備は整っていた。銀色のバルーンは、充填されたヘリウムガスによって浮いていたが、何本ものロープで地上に固定されていた。王国の人たちも何人か、物珍しげにこちらを見ている。


「今回は、大気の成分分析と温度勾配の観測、それから全周カメラでの撮影を行います」


 神谷一尉の説明通り、バルーンの下に取り付けられたフレームには、いくつかの機器とドーム型のカメラが入っていた。


「では、あげます。放球五秒前!」

「4、3、2……放球!」


 無理矢理地上に縛り付けていたロープの呪縛が解かれると、銀の球は朝の光を反射しながら、青い空へと昇っていった。


「とりあえず五百メートル、その後、様子を見て千メートル上空まで飛ばします」


 観測用バルーンには、細いワイヤーが取り付けられていて、観測が終われば巻き取ってバルーンを回収できる。観測機器とは無線通信で繋がっているから、情報はリアルタイムで入ってくるけれど、そんなに安い機器でもないのできちんと回収し再利用するのだ。コスト削減の洗礼からは異界こちらにいても逃れられないのだ。


「高度百メートル超えました。ちょっと北西に流されているようですね。蓬莱村に比べて上空の流れは速いみたいですね」

「空気の構成は同じですね。当たり前ですが」


 いや、異界こっちでは、私たちの常識は通じないのよ。


「阿佐見さん! これを見てください!」


 観測バルーンのモニターをしていた技官のひとりが、なにやら慌てた様子で私を呼んだ。


「どうしましたか?」


 私は、技官の肩越しに、彼の指さす画面を見た。これは……!


「田山三佐を呼んでください。それから、画面をキャプチャして出力できますか?」

「はい、できます」

「では、数枚、出力してください。できれば違う角度があればいいのですが」

「わかりました。すぐに」

「それと、バルーンは直ちに回収してください」


 観測途中だけど、仕方ない。


「誰か、ドーネリアス殿下のところに伝令に位ってください。調整官がお会いしたいと」


□□□


「これが、帝国の秘密兵器? ということなのか?」

「えぇ、恐らくは」


 観測バルーンが撮影した数枚の画像を第一王子に提示して、私はその正体について説明した。そこには、布製と思われる球状の物体と、その下につり下げられた木製の箱が映っていた。


「形状からして、私たちが『熱気球』と呼んでいるものです」

「ねつ……気球。サクラさんたちが、空に何かを浮かべているのは知っていますが、同じものですか?」

「しくみは少し違います。私たちは空気より軽いガスを使っています。こちらは、空気を暖めて軽くしています」

「そんなことで、空に浮かぶのですか?」

「えぇ。私たちの世界ニヴァナでは、スポーツにもなっています」


 以前から、王国に気球がないことは疑問だった。気球どころか、凧すらない。いろいろな情報を付き合わせて、最近ようやく見えて来たのは、『王国の人は、空をタブー視している』ということ。それもほとんど無自覚に。地球だと、多くの人が空に憧れを持つ。でも、異界こちらの人はそうした憧れを持たない。なぜそうなのか、それはまだ分かっていないけれど。少なくとも、帝国にはそうした忌避感がないことはわかった。


「わかっていますか? 航空戦力は戦いにおいて大きなアドバンテージです。空からの攻撃があることを想定していなければ、どんな強力な軍隊でも大きな損害を出してしまうのですよ」


 私と同行している田山三佐の言葉に、王子の参謀役たちは、苦虫を噛んだ表情だ。空からの攻撃なんて、まったく考えていなかったんでしょうね。


「田山さんも落ち着いて。帝国が気球で攻撃してくるとは限らないのだから」

「そう……ですね」


 偵察のみ、ということも考えられる。それでも帝国側がとても有利であることに、違いはないのだけれど。


「私たちは交渉に来たんです。帝国も、こんなところで交渉をご破算にはしないでしょう」


 これは楽観的過ぎる考えかも知れない。彼らは、私たちを誘き寄せて、一気に叩くつもりなのかも知れない。そんなことにはならないと、信じたい。


「少し整理しましょう。ここに映っているモノは空を飛ぶ道具で、大きさから判断すると四人くらいは人を乗せて空を飛べます」

「そんなもの、魔法で撃ち落とせば……」

「はい。でも、相手も魔法で攻撃できますよね? 下から攻撃するのと、上から攻撃するのでは、どちらが有利ですか?」

「……」


 私の反論に、参謀役のひとりは言い返せないようだ。


「そして、これは私の推測ですが、恐らく彼らは気球を使って王国に侵入しています」

「なんですとっ!」


 そう。春先に来た帝国のスパイ。彼らがどうやって蓬莱村までやってきたのか、ずっと不思議に思っていた。気球を使って移動した可能性が高い。


「たぶん風魔法によって、移動する方向も速度も自由自在なのでしょう」


 地球での熱気球のように、風任せではなく、魔法によってどこにでも行けるのだろう。やっかいだわ。


「ふむ。我々はどうしたらいいと思う? サクラさん」


 考え込んでいた王子が私に問いかける。


「無視しましょう」

「それは……、理由を教えてもらえるかな?」

「第一に、あちらは、私たちが熱気球の存在に気が付いたことに、気が付いているはずです」


 熱気球の乗員は、私たちの観測バルーンにも気が付いたはずだ。


「だとすれば、私たちにも熱気球同様、空を飛ぶ手段を持っていると考えるでしょう。この時点で、熱気球は交渉カードからは外れました」

「帝国は、この兵器の存在を持って、我々に譲歩を迫る計画であったと?」

「そこまでは分かりませんが、交渉を有利に進めることはできたでしょう。交渉の場で、突然存在を明かされたとしたら」


 私たちは、驚きはしただろうが脅威には感じなかっただろう。でも、王国の人たちは違う。大きく動揺したはずだ。今のように。


「ですから、今更熱気球の存在を明かしても、あちらにメリットはありません。そして第二に、熱気球カードを交渉に使ってきたとしても、交渉までの間に対策を取ることができるということです」

「対策? あるのですか?」

「あります。すでに準備を始めています。ですが、肝心なのは、帝国側が私たちに対抗する手段があると考えることです。私たちが、熱気球の話を持ち出さなければ、帝国は勝手にそう思い込んでくれるでしょう」

「ふむ。では、交渉はこれまでに計画したように進めれば良いということですね」

「はい。そう思います」


 あーめんどくさい。調整官として交渉は必要なことだけど、腹の探り合いは面倒だわ。会談までに迫田さんが間に合うと良いのだけれど。

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