menu68 きつね色の油揚げ
フォンは、アセルスとともにヴェーリン家にやってきた。
長い付き合いだが、こうしてアセルスの家にくるのは、フォンは初めてだ。
子爵位を持つ貴族の家。
国の中では英雄であるアセルスの家だけあって、フォンは緊張していた。
しかも、着ているのはギルドの制服である。
突然お呼ばれしたため、身なりを整える時間がなかったのだ。
本来なら1度家に帰りたいのだが、アセルスは気にならないらしい。
フォンの格好よりも、どうやら食欲の方が我慢できないらしく、屋敷に来る間、何度も唾を飲み込んでいた。
ちょっと意地汚い主とは違って、屋敷の中はとても品がよく、清潔に保たれている。
アセルスの従者キャリルの歓待を受け、早速食堂へ向かった。
そこにいたのが、ディッシュである。
側には神獣ウォンも座っていた。
フォンを見つけると、「うぉん」と挨拶する。
「ディッシュさん、どうしてヴェーリン家に……。え? もしかして、同棲?」
フォンはアセルスに振り返る。
はっは~ん、という顔をしながら、ニヤリと笑った。
アセルスは慌てて弁解する。
「ちちちちち違う! きょ、今日はディッシュが我が家の厨房を貸してくれというから」
「厨房を? どうして?」
「フォンには世話になったからな。俺が出来るのは、せいぜい料理ぐらいだ。だから、何か作ってやろうと思って……。何かリクエストはないか?」
「え? 別にそんな……。お気になさらずに。あれはギルド側というか、私のミスでもあったので」
フォンは尻尾と手を同時に動かしながら、遠慮する。
すると、手をあげたのは、アセルスだった。
「なあ、ディッシュ。前にちょっと話していた料理を食べたい。えっと……。確かあ、あ、あぶらなげ?」
「ああ、油揚げのことか」
油揚げ!!
ぴこん、と反応したのは、フォンだった。
モフモフの尻尾と耳をピンと立たせる。
心なしか、顔が赤くなっていた。
フォンは知っていた。
油揚げとは東方の料理である。
1度だけ東方の冒険者のお世話をした時に、お礼としてもらったことがあった。
モフッと柔らかく、かつ食べるとカリカリした食感が溜まらなかった。
熱々の醸造酒と一緒に食べると、また美味いのだ。
「でも、作れるんですか? 東方の料理を」
「ああ。前にケンリュウサイの爺さんから教わって作ったことがある」
「ケンリュウサイって……。あの【剣神】と呼ばれるケンリュウサイ様ですか?」
「そうだ。ケンリュウサイ様も、ディッシュの料理のファンなのだ」
「え、ええええ! 世界で10人もいないっていわれる神のスキルを持つ方と、ディッシュさんがお知り合いなんですか!?」
なんて交際範囲が広いのだろうか。
フォンは驚嘆した。
SSランクの聖騎士アセルス。
神獣ウォン。
聞けば、天才魔法姫にして美食家アリエステル姫すら、ディッシュの料理の虜になっているという。
さらに【剣神】ケンリュウサイ……。
正直、信じられなかった。
「じゃあ、油揚げでいいか?」
「はい! 是非!!」
「にししし。こういう事もあろうかと、材料は持ってきておいて良かったぜ」
「あのディッシュさん」
「うん?」
「作ってるところを見せていただけないでしょうか?」
「おう。いいぞ」
すると、さらにアセルス、キャリルが手を挙げた。
そこにウォンが加わって、ヴェーリン家の厨房へと向かう
アセルスとウォンは涎を垂らしながら、フォンはぶんぶんと尻尾を振りながら、キャリルは熱心にメモを取り、ディッシュの背中を見つめた。
「さてと……」
まずディッシュが取りだしたのは、カワキ草の葉だった。
とても水を吸う草で、冒険者にはお馴染みの草だ。
浸すだけで、葉の中に水をため込み、出す時はぐっとしぼるだけなのでとても便利な葉である。
それを何枚も重ねてあるらしい。
ディッシュは1枚1枚丁寧にはぎ取ると、現れたのは白い長方体だった。
「もしかして、それってトウフですか?」
フォンは尋ねる。
これも昔出会った東方の冒険者のお礼の中にあったものだ。
冷たく、とても素朴な味がしたのを覚えている。
「そうだ。平たく言うとな、油揚げってのはトウフを揚げたものなんだよ」
そう言って、ディッシュはトウフを薄く切る。
カワキ草にくるまれていたおかげか。
水分を吸われて、知っているものよりも少し硬そうに見えた。
切り終えると、早速油を張った鍋の中に投入していく。
あまり派手な音は鳴らない。
薄く切ったトウフは、油の上を滑っていった。
時折、油をかけながら、じっくりと熱を入れていく。
「ディッシュさん、横の鍋は何に使いますの?」
手を挙げたのは、勉強熱心なキャリルである。
今、トウフを揚げている鍋の横にも同じように油を張った鍋があった。
「2度揚げするのさ」
2度揚げ???
アセルス、フォン、キャリルが一斉に反応する。
横でウォンが「うぉん?」と首を傾げた。
聞いたことがない調理方法である。
おそらく、その名の通り2度揚げるのだろう。
でも、フォンにはそのメリットがなんなのかわからなかった。
それは他の2人も同じだ。
「ぞれぞれ油の温度が違うんだ。1つは低い温度、もう1つ高い温度にしてある。低い温度でじっくりと揚げて、中まで熱を通し、次に高い温度の油で揚げる。すると、外はカリカリ、中はふっくらとした仕上がりになるんだ。衣揚げする時は便利な調理方法だから覚えておくといいぞ」
「相変わらず、みんなが知らないような調理法を知ってますわね、ディッシュさん。でも、薄い揚げ物には向かないと思いますけど」
と指摘したのは、キャリルだ。
ヴェーリン家の料理担当だけあって、なかなか鋭い。
フォンも思わず頷いてしまった。
ディッシュはにししし、と笑う。
なんだか嬉しそうだった。
2人は同じ料理人である。
だから、料理の話ができるのが嬉しいのだろう。
「さすがはキャリルだな。実は、油揚げを2度揚げするのは、その効果を狙ったわけじゃないんだ。……おっと、そろそろだぞ」
すると、薄く切ったトウフに変化が合った。
もわもわと膨らみはじめたのだ。
「おお! 膨らんできたぞ」
「不思議ですね。色も変わってきました」
煉瓦のように硬そうに見えたトウフが、干したばかりの布団のようにふわふわになっていく。
フォンがよく知る油揚げの形になっていった。
揚げのいい香りが漂ってくる。
フォンは思わずピンと尻尾を立てた。
「頃合いだな」
次にディッシュは油揚げを、高温の方へと投入した。
しゅわわわわわわわわわわわわわわわわわわわわ……。
炭酸の気泡のような爽やかな音が響く。
アセルスのお腹にも、ダメージがあったらしい。
ぐおおおおおおおお……。
お馴染みの腹音を響かせた。
高温で揚げられた油揚げの色がさらに濃くなっていく。
「まるで、フォンの尻尾の色のようだな」
「そうですね」
フォンは相槌を打ち振り返る。
アセルスの目が爛々と光っていた。
まるで野獣の眼光だ。
「ちょっ! アセルスさん! 私の尻尾は食べ物じゃないですよ」
「う、うむ。わかっているのだが、ついな――。美味しそうに見えて」
「美味しそうに見えないでください!!」
フォンはアセルスから逃げる。
それを食いしん坊騎士はウォンと一緒になって追いかけた。
ついには捕まり、フォンの尻尾をアセルスはモフモフする。
「アセルス様、厨房で走らないでください。……ところで、ディッシュさん。油揚げを2度揚げするメリットって?」
「低温の油は――今見たように――油揚げを
「なるほど。水を吸いやすい具材なんですね」
「ああ。だから、揚がったばかりが1番美味しいぞ」
ディッシュは菜箸で油揚げを摘み、油から取り出す。
油をよく切り、皿の上に載せた。
「わぁあ……」
子どもみたいな歓声を上げたのは、アセルスとウォンに揉みくちゃにされたフォンだった。
文字通り目を輝かせ、自分の毛と同じ黄金色に輝く油揚げを見つめる。
「ほらよ」
ディッシュは軽く塩を降って、フォンに差し出す。
「冷めないうちに、召し上がれ」
「あ、ありがとうございます!」
フォンは皿を受け取る。
鼻をピクピクと動かした。
香ばしくていい匂いが、お腹の中に溜まっていく。
何より見た目がいい。
このまま頬ずりしたくなるほど、ふわふわだった。
「いただきます!」
箸で摘み、ふーふーとよく冷ます。
そして豪快に口を開けた。
サクッ!
気持ちのいい食音が響く。
「コオオオオオオオオオオオオオオオンンンンンンン!!」
フォンは思わず叫んだ。
耳と尻尾が重力に逆らうようにピンと立つ。
美味しい……。
まずは食感だ。
ディッシュが説明した通り、外はカリカリ、中はふっくらに仕上がっている。
中までよく熱が通っていて、噛んだ瞬間、中の熱風が胃まで吹き込んできた。
素朴な味わいは、トウフと似ている。
そこにちょっと垂らした塩の味が染みこみ、味に良いアクセントを与えていた。
サクサクと音を鳴らし、フォンは夢中になって食べる。
これだ! この味だ!
何度も頷き、懐かしさを噛みしめる。
遅れてアセルス、キャリル、ウォンも出来たての油揚げを食んだ。
「ふぉぉぉおおおおおおぉぉおおぉおおぉぉおぉ!!」
「サクサクですわぁぁぁああああああ!!」
「わおぉぉおおぉぉぉおぉぉおぉおおぉぉぉおおぉ!」
大好評だ。
かなり揚げたはずなのに、一瞬にしてなくなってしまう。
「お前たち、食い過ぎだぞ。折角、油揚げでもっと美味しい料理を作ってやろうと思ったのによ」
ディッシュは少し頬を膨らませる。
一方、フォンたちは目を輝かせた。
「油揚げで……」
「美味しい!」
「料理ですか?」
「うぉん!」
3人と1匹は興味津々だ。
たまらずアセルスが食い気味にリクエストした。
「早速、作ってくれ、ディッシュ!」
「生憎と持ってきたトウフは今ので最後だ」
「そ、そうなのか」
アセルスはシュンと項垂れる。
「だけど、俺の家でなら食べられるぞ」
ディッシュはにししし、といつもの笑みを浮かべるのだった。
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